2011年5月7日土曜日

競技プログラミングの一抹の寂しさ

今でも競技プログラミングをしていますが、その中で、かつての「戦友」たちとの距離を感じます。

距離というのは、実力的な差異ではなく(実力的な差異が大きいというと多分叱られそうです)、スタンスの違い、環境の違いです。

私が競技プログラミングというものに出会った古巣は、もう競技プログラミングをする場所ではなくなってきた。
古巣の友人たちも、競技プログラミングはもうやめてしまった。
かつて戦ったライバルたち、今は多くの仲間に囲まれている。その環境は、私の環境とは違うもので、話しかけやすいものではない。
今、自分の身近に、競技プログラミングを共に楽しむ、ライバルのような存在は誰もいない。
ふと気づけば、何かの問題を見ても、それは私が教えるスタンスになってしまった。共に考え、共に競い、共に楽しむ人は、もう、気軽に話せる位置にはいない…。

それが今の私の、競技プログラミングの立ち位置です。
「あの問題は難しかった」と話し合うことは、もうないのです。
複雑な問題のアルゴリズムに一日中議論を戦わせた時代はもう過去のものです。
図書館で買うには高いアルゴリズムの本を借りてきて、勉強するつもりが過去の問題を思い出して悔しい思いをした、そんな時間を友人と過ごすことはないのです。

競技プログラミングは楽しいものです。そして同時に、私にとっては、少し切ないような気がするものでもあるのです。

2 件のコメント:

Volcanologue さんのコメント...

おそらく競技というものの本質が,他からの優越であるとするならば,貴君の孤独は,本質的なものである様に思えます.私もプログラムは書きますが,決してそれ自身が目的なわけではなく,目の前に解決したい自然現象があるからで,他者と競っているわけではない ―― これが貴君と私との差違であると思います.貴君が優秀であればそれだけ,競技という世界では孤立するのではないでしょうか.実のところ,私は競技プログラミングなどでは,「良い問題を作るな」と思うのです.解決は時間が担うけれど問題作成は,頭がよくないと出来ない: 誰もできない問題では目的に合わず,誰でもできる問題でも同様で.

達哉ん さんのコメント...

>Volcanologue 様
ありがとうございます。競技で孤立するのは確かなものなのですが、顔が見えない相手との競技なので、そのあたりが寂しいところです。
競技プログラミングはいい問題が多いですね。私もたまに問題を作っていますが、「これは考えたな」と言われるとなかなか嬉しいこともあります。