2010年12月4日土曜日

国語の多読教育

堅い話になるかもしれませんが。

英語教育では、多読を大切にしている先生が少なからずいます。偶然にも、高校、大学とそのような先生に会い、全く同じ多読教材であったということがありましたが、ともあれ、それが役に立っていることは間違いありません。

これを初等教育の国語科に活かすということはできないものかと最近思うようになりました。

高校になって現代文という科目があり、そのなかでは「解く」国語というものを習います。しかしながら、いろいろな先生の話を総合しても、たいていは「書いていることを正確につかむこと」が重要でした。そして、「書いていることを正確につかむトレーニング」は、確かに問題集でもできるのですが、わざわざそんなことをしなくても、高校時代は現代文で苦労することはありませんでした。それは、普段本を読んでいて、本の中で「書いていることを正確につかむ」ということが自ずと養われるからです。

読書感想文を書くことも大事なのかもしれませんが、初等教育における国語では、年間5000ページ以上の多読を課することが出来れば良いのではないか、と思います。それも、漫画・コミック以外でです。年間5000ページというとたいそうに聞こえますが、ハリーポッターシリーズを通読すれば6000ページ弱にはなるはずです。1年かけてハリーポッターを読む、というのでは少ないかもしれません。でも、実際それだけ、「授業外で」読んでいる小学生はどれぐらい居るでしょうか。

5000ページ分の文庫・新書等を読もうと思うと、一日あたり15ページ弱読む必要があります。15ページ弱ということは、短めの節を一つ読むぐらいです。それでもやった方がましか、と思うのです。

5000という数字には何の根拠もありません。10000ページぐらいのほうが良いかもしれません。「本を買うお金がありません」という必要はありません、小学校には図書室があるのだから。

一日30ページ、ハリーポッターと賢者の石の第1章と同じぐらいとしましょう。毎日続ければ11000ページ弱です。どうですか、これぐらいなら読めるのではないですか、とおもいます。これを初等教育で課すことが出来れば、国語教育がどうの、英語教育がどうの、若者の日本語がどうのという問題も、少しは解決できると思うのですが。

読書日記をつければ良い。それを1週間ごとに回収して、年間で10000ページの読書を目指すようにすれば良い。日記に書くことは、ただ、何の本のどこからどこまでを読んだか、という程度のことでいい。本の面白さを知る事もできるだろうと思います。

一日10分、などという人もいますが、読書は積み重ねてやるものではないと思います。読みたい気分の時には一気に読みたいでしょうし、乗り気でなければ数ページでやめるかもしれません。だからこそ、1年で、授業外で多くのページ数を読むように課すことが出来れば良いのに、と思います。国語の多読というのを実践してみれば良いのに、と思います。

小学生の頃から本が好きでした。部活に完全に打ち込むようになる中学生にいたるまで、それは変わらず、多いときには1週間で2000ページほど読んでいました。今でこそ専門書ばかりですが、日本語の書籍を読みたいという思いは変わりません。まぁ、最近は物語よりもちょっと違った本のほうが好きなのですが・・・。

学校の国語で「精読」を教わるかもしれません。でもそれは練習には不十分。だからこそ、多読という概念を初等教育における国語に取り入れてみてはどうかと思うのです。

2010年12月3日金曜日

壊れゆくキーボード

もう後1週間少々で今打っているキーボードとも別れられますが。

ついに左Altもきかなくなりました。
左カーソル・デリート・左Altキーと、中途半端にきかなくなると鬱陶しい物ばかりがきかないので、困ったものです。打てなくて困るということはないのですが、とりあえず、早急に新しいキーボードを買わねば、という次第です。気持よくAlt+F4ができないのは結構鬱陶しいので。

良いキーボードがほしいという思いは少し前から持っていましたから、今回はついにという感じです。東プレは高すぎるので、フィルコの者にしましたが、それでも次はついにメカニカル式キーボード、どれぐらいの出来か大変楽しみです。

もっとも、それを打ちながらいろりろと作業をしなければならないので、あまり暇ではないのですが。どうか、引っ越すまでキーボードが持ってくれますように、という次第です。

2010年12月2日木曜日

テレビって

どのチャンネルをつけても
同じことを言っている
CS放送なら別なのかもしれないけど
どのチャンネルでも
どのニュースでも
同じことを言っている。

バラエティ番組ならば
違うことをしているのかもしれないけれど
根本は同じで
多数に受けることをしているだけ
だからクイズ番組でも
理系の問題は出ない。
漢検1級の問題は出ても
数検1級の問題は出ない。

どのチャンネルでも
どの番組でも
やっていることは代わり映えせず
出ている人も大きく変わらず
面白いのかもしれないけれども
多数に見えることだけを楽しんでいる。

経済的には多数に見せなければ
問題が生じてくるのだろう
だからといって
多数に迎合する番組だけを
放映すればいいのだろうか

何よりも
ニュースでは
どの番組でも同じことを言う
TVを見る皆が
その情報を幾度聞いたことだろう
聞き飽きるぐらいに重要な情報は
警報や指名手配犯がうろつくことか
別に裁判や
歌手の死など
こぞって放映するほどのことなのか
連日に放映することなのか
同じ裁判でも
同じひとりの死でも、
全く放映されない事のほうが
ずっと多いというのに。

テレビは
皆が一様な顔をしてみている
大衆化とも言える
そんな人を相手にしているように見える
だからテレビ自体が
みんな一様になっている

オリンピックの時期だからと
テレビを観る人は必ずオリンピックを
応援せねばならないのか
ワールドカップの時期だからと
ワールドカップを
応援せねばならないのか

同じオリンピックでも
テレビは
科学オリンピックを
大々的に取り上げはしない
同じ甲子園でも
テレビは
パソコン甲子園を
大々的に取り上げはしない

テレビは
多くの人が理解できそうなことを
くり返しくり返し伝える
スターの結婚をひたすら伝えて
科学五輪の活躍を全く伝えない

放映されていることを
皆が知りたいと思っているのか
放映されていることが
知りたいと思うことの全てなのか
テレビは
人々を一様に扱う
顔のない人と扱う
だから自分自身が
一様になっていっている

テレビを見るのはやめにした
息抜きで見るのは別にして
ちょっとしたゲーム感覚で
クイズをすることはあるけれども
テレビを見るのはやめにした

一様に皆が
同じことを言う
それを知らないのは
まるでいけないことのように

この前の五輪の結果が言える人
貴方、この前の科学五輪の結果言えますか?

テレビは
ただひたすらの差別の塊だとおもう
低俗だ云々という話ではなく
話に進展が見られない
いつも同じものばかり

違ったニュースを報道しないか
違った分野を取り上げてみないか
いつも漢字のクイズではなく
たまにはイデアルのクイズにすればどうだ

視聴率のために
テレビは今日も
いつもと同じ番組を
いつもと同じように流している
私のここでのつぶやきなど
全く知る由もなく…。

2010年12月1日水曜日

師走の始まり

12/1、ズッコケ三人組のハチベエの誕生日ですが、一般的には師走の始まり、というところでしょうか。忙しい時期であり、私も例にもれずやることの多い月です。

師走という単語は、昔は「先生すらも走る」という意味からきていたようですが、最近は先生のほうが学生よりも忙しいですから、師走というよりは弟子走というべきなのかもしれません。使いっ走り的な意味の弟子はいつでも走っていて、それに加えて先生も…というのが原義なのでしょうが、先生のほうが何かと忙しい昨今、むしろ弟子が進んで走らねばならないという気がします。

忙しい12月ですが、誕生日もあり、JOIもあり、クリスマスもあり、年越しもあり、有馬記念もあり…と、楽しいことも多くあります。忙しい中でも自分らしく、1ヶ月を過ごして2010年を締めくくりたいものです。

2010年11月30日火曜日

Thermo magの活躍

久しぶりにThermo magを復活させました。理由は幾つかあるのですが、とりわけ
1.時間を置いて飲むこと
2.何かの説明で呼ばれるときに紅茶を持っていけること
が便利です。大きめのサーモマグなので、それにたくさん紅茶を入れてから、呼ばれたところにやっていく。それだけで結構お茶を飲みながら話ができそうです。

なにか教えてくれと呼ばれたときに、時間がかかる場合にはやはりお茶がほしい。とはいえ、人に淹れてもらうのも悪いし、自分で好きなのを入れたいというのがあり、埃をかぶっていたサーモマグを起こすことにして、きれいに洗いました。

もともとの理由は、朝起きたときにとりあえず薬をのむため、ですが、しかしながら、それだけではなく、いろいろな用途に使えるのだから、もっと活用せねばなるまいと思った次第です。

2010年11月28日日曜日

いくらでも本がほしい

本というのはいくら読んでもまだ次が欲しくなるもので、それだから不思議です。

とりわけ、専門書。買って、完全に読みきったわけでもないのに(むしろほとんど読んでいないのもあるのに)、次から次へと欲しくなり、中古で買ってしまう。そして少しだけ読んで、読みたいと思いながらも腰をすえて読まず、でもまた本が欲しくなり・・・不思議です。

本が好きです。専門書が特に好きです。いくら読んでもまだ新しい知識が、とばかりに本を買います。いくら買っても飽きることなく本を買い、そしてその多くは読み切ることなく、でもそれなりに読まれて…という状況です。

読み進めようと思ってなにか読み始めても、途中で他の本が気になって、結局忘れてしまって、また読みなおす。でも、その本の内容は少しづつ進んでいる…それが繰り返されて、いつもいつも本がほしい状況です。

万年筆にはまり始めた頃、どんな万年筆でも欲しかった。すこしたったら、特徴ある万年筆が欲しくなった。
今の自分にとっての本は、そんな状況です。違うのは「はまった」のではなく、その内容に興味が有ること。専門書は一昔前と違い、趣味で読むものになった、ということなのでしょうか。