2011年2月5日土曜日

ミックスフリーインク:新たなるミキシングの主役

まだ発売されていないようですが、プラチナのミックスフリーインクは新たなインクミキシングへのプレリュードだと思っています。

前回、セーラーとプライベートリザーブの話を書いて、そのすぐ後にまさかという感じでした。プラチナからミックスフリーインクなるものが出ると聞き、かなり心踊ったのです。今、自分自身が書いているインクミキシングノートは、セーラーのジェントルがなくなって以来ぱったりと止まったまま、1年半以上眠っていました。それがついに復活するというのですから、嬉しくないはずがありません。

今、自分自身が作ったインクはあまり多くないのですが、プラチナのミックスフリーインクにはうすめ液もあるという話を聞いています。うすめ液があるインクというのは私は一つとして知りません。うすめ液があるならば、今までにない淡い色使いのインクができ、私はやっていませんが、万年筆画などの世界もまた一歩前進するのではないかと思うのです。

発売されたら、全種類購入して、まずはなにか調合してみようと思います。せっかくですから、新しい色を作ってみたいですね。手紙に使える、私らしい色を。

その前に、そろそろ一本万年筆を買いたいところです。中古でいいので、細くて使いやすいペンを。たまにはキングダムノートのホームページでも見てみることにしましょうか。

2011年2月4日金曜日

立春…寒中見舞いを書けなくなる日に

暑中見舞いと残暑見舞いの切り替わる日を知っている人は少なからずいるのですが、寒中見舞いが余寒見舞いに変わるのを知っている人は、そもそも余寒見舞いを知っているかどうかも含めて、あまり多くないのではないかと思います。というのも、私の友人たちの多くは余寒見舞いという単語を知らないような反応をするからです。

余寒見舞いはもうすっかり廃れてしまったような気がします。それは松の内に出す年賀状という習慣が廃れているのとは比にならないほどの廃れようであると思います。単語すら出ないのですから。

立春、暦の上では春ですが、まだ人間の実感としては春とは思えない。気象用語には便宜上季節を表す語を使っていますが、それとはまた大きくずれています。それもあってか、二十四節気というものを知らない人もいるようですし、歳時記も一部の人だけが持つものという感じになっているように思います。

暦を楽しもうと思います。人間の感じ方とは又違う暦を、楽しもうと思います。先人がなぜこの日を立春としたのか、半月後には雨水と思えるのか。

季節感と暦のギャップを楽しむことで、同時に文学も楽しめるように思うことがあります。和歌などを見るときには、暦を思い浮かべて詠むのも、また一興ではないかと思うのです。

2011年2月3日木曜日

誰も書かなかった中島みゆき論ベスト200を聞いてみよう その13

2月になりましたので、後半戦突入です。今回は101位〜110位です。

4.2.3:102位。これは書かずにはいられない曲です。人間の、あまりにも普段有りすぎて、目に見えない一種の差別を見せているものだと思います。日本の放送は日本を中心に報道する。確かにこの事は日本だからと言ってしまえばそれまでですが…。世界全体がひとつに、というのはあまりにも壮大すぎる理想なのでしょうか。
でも、これをもう少しローカライズしたとき、神戸を他の地域よりもよほど贔屓してしまう自分がいます。4.2.3.は誰しもが持っている心を的確に言い当てていて、平等という観点から見ると辛い状況に見えることをえぐる曲のように思います。だから、重い曲なのに、いつも聞いてしまいます。

見返り美人:104位。私には「アヴェ・マリアでもつぶやきながら、私別人変わってあげる」の一節が一番耳に残ります。別人に変わってしまう、寂しさ故に八方美人になってしまう心がアヴェマリアに書かれているのではないかと思うのです。
元々は見返し美人というタイトルだったらしいこの曲。元々は何を意味していたのでしょうか。

糸:106位。名盤EAST ASIAの御三家として知られている、といっても過言ではない曲でしょう。尼僧の船の後に自然な感じで流れ出すこの曲は、結婚式というイメージが強い曲ですが、結婚というテーマを描きながら同時に人と人との出会いまでも描いているように思います。

2011年2月2日水曜日

白く塩を吹いた塩鮭と2合のご飯

白く塩を吹いた辛口の塩鮭を焼いて、それに醤油をちょっとかけ、白米に乗せて食べる。そのうまいことうまいこと。

そんな感覚を最近忘れているように思います。米をグイグイ食べる感覚を。

たくさんの白米と辛口の塩鮭に、ちょっとしたお漬物、それにお茶があれば贅沢です。幸せな贅沢です。すごく幸せです。白米を思う存分いただきます。考えただけでも幸せ。でも、辛口の塩鮭は意外と売っていない。売っていても驚くほどの値段で手が出ない…。

米をグイグイ、辛口の塩鮭でいただく。最後にちょっとお茶をかけて、鮭茶漬けにする。ただそれだけの食事ですが、力が湧いてくるような気がします。

白く塩を吹いた塩鮭なんて、健康的な理由でもうあまり売っていないかもしれません。でも、そんな塩鮭と一緒にごはんを食べる幸せはすごく手軽な幸せだと思っています。

2011年2月1日火曜日

フリーゲームハンティング その第2回 〜ミーアのグルメ冒険記〜

ちょっと間があきましたが、フリーゲームハンティングの話題です。今回は初心者向けの作品を紹介したいと思います。

「ミーアのグルメ冒険記」
http://meea.fc2web.com/

REV:商売として作られるゲームは、短編がつくりにくい。それは、お金を取るからには、というのもあるし、メディア的な問題もある。現在発売されている機種のソフトは、短編を作るにはあまりにも大きすぎるサイズである。そのサイズを考えると、生半可な短編は出すことができず、短編にするにしてもサブイベントやエンディング後の遊びをたくさん入れるのが定石であろう。よほどシステムに容量をかければ別であるが…。
フリーゲームにはその制約がないので、短編に良いものが多い。長編よりも短編中心にさがしてもいいぐらいである。短編の方が話がすっきりしているという意味もあり、本と同じく、ゲームにも短編が有っていいだろう。そんな、話だけの短編がこの「ミーアのグルメ冒険記」である。
短編と言っても、別に手抜きであるわけではない。話の規模が大きくなく、素早く終わるというだけである。システムは唸らせられる内容であると思う。難易度も適度であり、フリーゲーム初心者に広くおすすめできるゲームであると思う。ストーリーはほのぼのとしており、重厚なRPGを求めている人にはおすすめできないかもしれないが…。

2011年1月31日月曜日

資本主義の極があるのでは?

経済学や社会学に明るい方ならばよい回答をくれるのかもしれませんが、今日は中学や高校で公民を習って以来腑に落ちない点について。

私企業は利潤を目的として経営されます。そして、得た利潤を社会還元したり、納税という形で公企業に回したり、社員に賃金として払ったりします。これは中学や高校の公民科で習うことです。
で、ここで気になるのが、「利潤を目的にしている」以上、その全ての利潤を上記のような形(及び経営)で使い果たすことはないだろう、ということです。会社の経営に必要な費用に上記は含まれます。これらは支出ですが、ものすごくざっくり言えば、収入ー支出=利潤、となるわけです。ですから、社会還元・納税・賃金などで全部使うはずはないわけです。

ある会社が無事に目的を達成して毎年黒字であるとします。そうすると、その100%が使われることはないわけですから、その会社にお金が溜っていくはずです。100%が使われるなら利潤が上げられないから意味がない!となるわけです。
資本主義で私企業が利潤を出すことを目的としているのであれば、私企業の収支は+ですからそこにお金が溜っていくでしょう。とすれば、この原則はそもそも破綻しているのではないかと思います。

経済は地球レベルで閉じた系ですから、その中で利潤を出すことが目的=収支を正とする目的のある企業があれば、十分長い時間の後、そこにお金が集まると思います。そこに資本主義の収入の極があり、そこから破綻していくのではないだろうかと思います。

企業が利潤を出す限り、その企業の収支は正。こんなシステムがもしも熱に関してあれば、それは温暖化ということになります。資本主義にはこんな極があるのではないだろうか、と(少なくとも中学や高校で習った程度のことでは)思ってしまうのですが、もし詳しい人がいらっしゃいましたら教えてください。

2011年1月30日日曜日

書評:1年遊べるパズルの本

故芦ヶ原伸之氏といえば、パズル関連の人として非常に有名な人ではないかと思います。その人が、サム・ロイドの「5000題」には及ばないものの、かなり多くの問題を集めた、というのが、30年ほど前の本ですが「1年遊べるパズルの本」です。

30年前の本ですのでもちろん古びてしまった内容だってありますが、それでも現状出ている文章パズル本の多くの原型を見つけられるように思います。この本を読んでから他のパズル本をやると、見知った問題に出会うことが珍しくなくなります。問題数が非常に多く、ちょっとした問題から比較的面倒な問題までバリエーションに飛んでいます。話の種に使える問題もあります。

550問あると書いていますが、私は全問見つけられていないように感じます。問題を探すという面白い課程もパズルのようで楽しめる本です。

巷間には様々なパズルがありますが、ペンシルパズルでないパズルに興じてみるのもまた一興ではないでしょうか。復刊されると面白そうです。でも、問題を一部差し替えないといけませんし、芦ヶ原氏はもういないのです。