2010年8月21日土曜日

試し書きの作法とマナー

Wagner神戸開催を前に、この前の大宮大会でも話題になったらしいので書いてみます。

・つけペンの場合はインクフローについて多少マイナスの補正をかける必要があります。使えないペンでもつけペンなら使えるというぐらいですから、つけペンの試し書きの場合は随分変わります、注意してください。
・試し書きはぐるぐるを書くのではなく、普段良く使う文字を書いてください。実用での書き味が分かります。
・ペンに強い力をかけすぎないようにしてください。ペン先の柔らかさを楽しみたい場合、しならせてもいいかと確認を取り、言うまでもなく変形しない程度にしならせるようにしましょう。そもそもしならせなくても万年筆は楽しいです。
・裏書は向いているペンと向いていないペンがあります。裏書によって変形させてしまうおそれもあります。前もって、裏書はOKかどうか確認を取ってから裏書してください。
・万年筆に対してテストをするような試し書き、として、ペン先を引くのではなく、押して書く(左利きの場合は逆)という方法があります。これにより、全方位の書き味を試すことができますのでよろしければためいてみてください。引いて書く、というのは上から下に線を書くときの書き方で、押して書く、というのは下から上に線を書くときの書き方です。

一応この辺でしょうか。紙の補正など言い出すとキリがないですが、勘所はおさえていると思います。良い会にしましょう!

2010年8月20日金曜日

8/21開催Wagner神戸大会の予定

Wagner神戸開催ですが、会いたい人が多く、けれども文具店巡りもしたい、とい
うことで、タイムテーブルを組むことにしました!
以下のような感じですので、よろしくお願いします。
9:00~11:00 とりあえず参加
11:00~2:00 神戸付近万年筆めぐり
2:00~5:00 参加
5:00~7:00 pen and message訪問(二次会にはいきません)
7:00~ 年の近い人と夕食
の予定です。よろしくお願い致します。

2010年8月19日木曜日

ゲーム発展途上国II 簡易攻略

カイロソフト社の無料ゲーム、ゲーム発展途上国II(PC版)を久々にプレイして、あっさりクリアしたのでその関連を少々。と言っても、セーブ&ロードをしたデータですが。

とりあえず達成一覧では
100万本:6年9月4週
自社ハード:7年8月2週
グランプリ:6年12月4週
ランキング1位:5年11月3週

とりあえずヒット作ができるまで、面白さ項目&独創性項目を中心に開発。独創性100超で「ヒット」or「受け入れられない」、200超で「ウルトラヒット」or「受け入れられない」となるので、独創性が100を超えたらセーブ&ロードでいいのが出るまで繰り返す。
ヒットが出てそれなりに飛ばしたら、ナゾプンテ研究所を利用して資金を1.5倍、生産力を倍、の効果が何回か出るまでナゾプンテを繰り返す。得た資金で設備を整え、人員を整え、ハード開発。
どんなゲームでも発売後5~6週で売れなくなるので、出荷はその間に一気に出す。

と、本当に簡易でしたが、これぐらいです。このページに行き着いたら参考にどうぞ。

2010年8月18日水曜日

Facebookへの着目

日本でSNSといえばmixiなのですが、今年の3月までは招待制だったこともあって、私は正直mixiに乗り気ではありません。ただ、SNS自体には興味があり、特にCloud computingの実践と関わっているものを見ています。以前Cloud computingの公演を聞きに行った際にFacebookを知り、以来、Facebookをどうするか悩んでいるところです。

私のCloud computing実践はGoogleを中心としていますから、SNSについてもGoogleを使うほうが正当です。しかしながら、Googleには妥当なSNSがありません。Google buzzがでた頃は多少使おうかと思いましたが、結局活用方法がわからないままでした。私のような長文書きにとってはTwitterに近いと言われるGoogle buzzは性分に合わず、使わないまま、となっているのです。

一応、Google関連の話ではGoogle Meが噂されていて、その関連でOrkutを知っていますので、ひとまずはこれを導入しようかとも思ったのですが、私のGoogleアカウントは迷惑メールが来ないことがいいところなので、連携をどのようにするかは慎重に検討せねばいけない、というように考えています。

とりあえず、海外交流も考えてFacebookの体験をしてみるかと考えていますが、さて、私はどのようにCloud ComputingにおけるSNSを用いるのか、その方向性を決めねばならないと思いました。Twitterを始めとする、「短くてタイムリーなメッセージ」は正直私の性分に合わないので使いこなせはしないだろうと思いますが、Facebookは果たしてどうなるか、興味半分、怖さ半分です。

2010年8月17日火曜日

「すごく」の死語化

形容詞「すごい」の連用形は何か?と聞かれたとき、高校受験を控えている人ならば「すごく」と答えられることでしょう。しかし、実際にこの連用形を使った文は減りつつあるのではないか、と思います。

例文で考えてみましょう。
「すごいきれいな女の人が立ってらして」
「すごくきれいな女の人が立ってらして」
この2つの文を見比べたとき、後者のほうが前者に比べて、上品な言い回しに聞こえる、あるいは「立っている女の人」が上品に思える、というのは私だけでしょうか。他にも何人か、同じように感じるという人を聞いたことがありますが、実際どうなのでしょうか。

かつて、「タモリのジャポニカロゴス」という番組で、出演していらした解説の町田先生が、限定・稀な言葉ほどその度合いが強い、という話をしていらっしゃいました。度合いというのは言葉そのものの意味の時もあれば、その言葉から受取る印象の場合もあります。
・美女と美人、どちらがより美しいか、というと「女性」と限定されている分美女の方が美しく感じる。
・「眼福ご馳走様でした」といえば、非常に強い敬意を表しているように感じられる(そもそも眼福自体が高い敬意を持っているが、あまり使わない言葉だからなおさら)
・詳らかにする、という言葉と、詳しく説明する、という言葉では、前者のほうがより詳細な気がする。
などが具体例です。

では「すごい」「すごく」がこれに当てはまっているとすればどうでしょうか。そうなると、「すごい」は「すごく」に比べて使用頻度が高いということになります。終止・連体形の両方が'い'でおわるから、という理由もあるのかもしれませんが、それでも、その程度で上品に聞こえるならば他の形容詞についても連用形なら上品に聞こえる、ということになって不自然です。こういう事例から、やはり「すごく」は死語化しているのだと思います。

連体形での形容詞修飾は俗語の扱いになるのでしょうが、語学的にはどういう現象で、単なる例外なのかそれとも何らかの理由があるのか、「ら」抜き同様気になるところです。

2010年8月16日月曜日

p&mの過去の手紙を読み返して

pen and messageは私が非常に贔屓にさせて頂いてる万年筆店で、毎月のチラシ「雑記から」も欠かさずとっています。その過去に来た手紙を読ませていただいた中で面白い一文が。

「達哉んさんが来る日に日を合わせて来店するお客様もいらっしゃる!」とのこと。
毎回何日に行くかは前もって連絡していますし、逆に連絡くださいという場合もあるのですが、なぜなのかわかったような気がします。

そういえば名物客だったとふと過去のことのように思いだしていますが、今でも名物客なのでしょうか。この帰省の時に聞いてみようとも思っています。

アチラコチラに出没しますが、最近は万年筆関連のお出かけ、ほとんどしていません。たまには自分の行ける範囲のあらゆる文具店に訪れる「文具めぐり」もやりたいなと思っています。それを一人で最後にした記憶は2年前ですから、独りでやる文具めぐり、久しぶりにやったら何か違いがあるかもしれませんし、新しい発見があるかもしれません。

2010年8月15日日曜日

文章と本人のギャップ

色々なところで言われることですが、私は文章と本人のギャップが激しいのだそうで・・・。

とりわけよく言われる事として、文章では割合ダークで色々と考えを巡らせているように見えて、実際はギャーギャーうるさい賑やか担当である、ということです。ギャップが凄く激しくて、人によっては同一人物かと疑われることさえあります。

私自身は普段は良く話す人間だと言われます。声も大きくて高いため、はっきり言えばやかましい、うるさい、ということになります。そういう人間が例えば2箇所で行われている会話に同時参加しようとするような場面もありますから、うるささ増大です。

私の頭は常に何かを考えていないと気がすまないようです。何も考えていない時間は殆どありません。それゆえに眠れないのだとは思うのですが、思考停止が極めて苦手です。ゲームをやりながらプログラミングのことを考えているなどざらなことで、文章を書きながら別の会話に参加するなど二つの思考的作業も問題なくやってのけます。不思議です。

そういう体質のためか、ゲームをやっていても常に考えていて、例えばそれなりの腕があると言われる桃鉄などは、ほとんど考えているように見えないぐらい速いペースでプレイしていると言われます。別に威圧目的などはないですが、速くて焦る、ということもたまに言われます。

自分がわいわい話している中で、思考はいつも動いていて、それを書き記したのが文章ですから、2つのギャップは会話中のギャップでもあります。会話をしている裏で、私は別のことを考えながら会話を成立させてしまうようなことすらあるのですから。

そんな文章と本人のギャップは、別に当人が二重人格であるということではありません。思考が常にあって、それを表現する雰囲気と思考内容にギャップがあるだけです。どちらが本当の自分というのではなく、どちらも自分自身だと思っています。それでも、異常なネイティブ思考しかしない自分は、本来の自分とは違ったものだと自分自身でも思いますが…。