2011年1月29日土曜日

少子化に対する数学的考察

非常に大仰なタイトルを付けましたが、内容は極めて平易です。

少子化とはいろいろな国で問題になっていることだと思います。また、結婚をしない人も以前よりずいぶんと増えていると聞きます。これらについて私は感情的な賛否はありませんが(個人の自由で良いと思うのですが)、これを数学的な観点から言うと、非常に冷酷な結果が見えてくるのです。

日本の出生率は女性一人当たり1.3人。生物学的に、女性は男性より少ないことが知られていますので、女性が45%と仮定すれば、日本の人口は0*0.55+1.3*0.45=0.585ですので、仮にこの出生率が続くと仮定すれば、100年ぐらいで半分になってもおかしくない、という予想が立ちます。これについての詳細は関係機関に任せるとして、もう少し数学的な意見で。

子どもは二人で生むものですので、出生率は女性一人当たり2人以上でなければ人口減少を招きます。これは男性と女性がイーブンの人数という仮定ですが、実際は女性のほうが少ないですから、もう少し大きい必要があります。

非常に大雑把な仮定として、人口が100年ごとに2/3に減るとしましょう。すると、1000年後にはおよそ1/20となります。世界人口が80億であるというかなり大きな仮定をおいたとしても、1000年後には中国の1/3ぐらいの世界人口になってしまいます。

種の存続という観点から見たとき、低出生率で人間が絶滅することは、この状況から見ていてもおかしいと思えません。人間は他の生物に対して絶滅危惧種などと言っていますが、まず自分たち自身を絶滅に向かわせていることに気づかねばならないと思います。

種の存続という観点だけでモノを言うならば、出生率が2を切っているのは生物的に異常です。自分たちを自分たちで絶滅に向かわせているのですから。

社会制度等様々なことを言われますが、ともかくも、子供を2人以上産んでも安穏と生活できるような世の中にしないことには、人間はしばらく、絶滅の一途をたどるのではないでしょうか。

2011年1月28日金曜日

あのころには”かぎばあさん”がいた

先日は学童保育ネタを書きましたが、今日も近い内容です。

学童保育は17時までで、私の両親が帰ってくるのは18時過ぎでしたので、私は鍵っ子でした。祖母の家が近いということで祖母の家に行くときも多かったのですが、いつも祖母の家にいっているわけではなく、家に帰らないといけない日も少なからずありました。

学童保育に通っていた頃は本の虫だったので、その時に読んだ本で、特に「かぎばあさん」シリーズが心に残っています。おそらく、「なん者ひなた丸」と「かいぞくポケット」シリーズと並び、私が小学2年生で読んだ本のシリーズの3大シリーズと言えるでしょう。そんな良い本でしたので、将来自分に子供が生まれたら絶対に読ませたいと思っています。

私が家に帰って、ひとりでいるとき、ストーブをつけるわけにもいかず寒かった冬など、お腹を減らした私にとって、かぎばあさんほど魅力的な人はいませんでした。なくしたかぎと同じ鍵をくれ、美味しい料理を作り、楽しいひとときを過ごし…。そんなカギばあさんがいればどんなにかありがたいかと思ったことが一度ならずありました。

でも、カギばあさんというのは物理的に無理です。

そんな状況でも、かぎばあさんその人はいなかったけれども、そのままの鍵っ子だったらもっと長時間感じていたであろう「かぎばあさんへの憧れ」は、学童保育のおかげで短いものとなっていました。学童保育はある意味ではかぎばあさんだったと思うのです。

かぎばあさん自身がいることはないかもしれないけれど、ひとつのかぎばあさんの存在方法として、学童保育は子供がいる限りずっと続いて欲しいと思っています。

2011年1月27日木曜日

プログラミング関連書籍の会社別分析 オライリーの場合

プログラミング関連書籍というのは、会社別に結構偏りがあるように感じます。他の分野でもそうなのでしょうが(例えば高校の参考書だと、数研出版は比較的解法暗記に近い参考書を出すなど)、プログラミング関連の書籍も少なからず会社別の傾向というものがあります。私個人としてもまとめたく、また、これからプログラミング書籍を買おうとする人、あるいはネット注文する人などの情報源の一助として何か役立てばと、会社別の傾向を書こうと思い立ちました。しばらくの間、プログラミング関連もしくは書籍関連のどちらかの記事はこの話題にするつもりです。つまり、この10日間はプログラミング関連の記事をこの会社別分析に当て、次の10日間は書籍関連をこの会社別分析に当てるという感じです。

今回は、
オライリー社(http://www.oreilly.co.jp/)
についての分析を記します。

オライリーはプログラミング関連・パソコン関連ではかなり多くの書籍を出している会社だと思います。そして、多くがレベルの高い記述をされています。訳が悪いと評される本もありますが、他の会社よりはマシです。ただ、問題がないわけではありません。
オライリーの本は比較的"高い"のです。値段も高いですし、レベルも高いです。入門書と言っても一冊目から読める本は少ない気がします。ほとんどの本について、読み手のそれなりのレベルを要求するのがオライリーの書籍の特徴だと言ってもよいでしょう。

まずは基本的な本について読んで、あるいはネット等で学んで、その後本格的に学ぶときにはオライリーの出番です。例えば、学校でサラリと扱われたプログラミング言語について、もっと突っ込んで勉強したい時などは、オライリーをおいて右に出るものはないと言ってもよいでしょう。

入門に読むべきではないけれど、軽い本の後に本格的にやりたいならばバッチリ。そんなホンがオライリーの特徴です。

2011年1月26日水曜日

学童保育の行く末

先日、友人の車に乗せてもらっていたときに、ふと、寂れた建物が目につきました。その建物は学童保育と書いてありましたが、およそ人が利用しているようには見えませんでした。

私は小学生の頃、学童保育に通っていました。二つの学童が系列というか提携というか姉妹保育というかをやっていて、自分の学校とその隣接校だけでなく、小学生にしてはずいぶん遠いところの人とも話した覚えがあります。そんな学童保育でしたが、姉妹保育の、私が通っていたのとは別の方が事情により閉所となってしまったことを、中学生になった頃に聞きました。その後、高校に入るぐらいに元の家からそう遠くないところに引っ越したとき、同じマンションに、閉所になった学童保育の元指導員の先生が入居されていると知り、時折会うこともありました。

そんな学童保育ですが、私が高校生になった頃に、学校での保育などの話題が持ち上がり、なくなるのではないかと話題になったことがありました。通りすがりに署名運動をしており、お世話になった指導員の先生もいらしたので、署名を書いた次第です。

両親は署名運動が来るたびに、誰に名前を書いてもらうか悩んでいましたが、それでも協力してくれていました。今私が協力を求められたとしたら、あらゆる友人に学童保育の署名に協力してもらうよう呼びかけたいところです(さすがに強制的に書かせるわけにはいきませんが)

私は悪ガキでしたから、学童保育でも問題を起こしていました。学童保育をやめるようになった経緯もそんな問題が原因です。けれども私は、学童保育で多くの体験をしましたし、その事を今でも忘れていません。そんな問題が、友人については少しましになってくるのがその退所をした年でしたが、それは少し視点が変わったからかもしれません。結局、私は小4で退所するまでの4年間、学童保育に通っていました。学童保育の4年間で学んだことは小学校の6年間で学んだうちの半分以上を占めていますから、今でも学童保育と聞くと懐かしい感じがします。

学童保育に難色を示す人もいれば、無関心な人もいます。色々な人がいると思うけれど、学童保育のことを論ずるとき、通っている児童たち自身のこと、あるいは通っていた人々のことを聞いてみることで、問題は少し変わった様相を呈するのかもしれません。私のいた神戸市の学童では、学童保育連合会全体での行事があって、それは小学校では体験できないものでしたから、それを覚えている人ならば、学校保育と学童保育の違いが明確に分かるようにも思えます。

私と仲良く話していた、学童っ子祭りの時に出会った彼は今どうしているだろう。そう思っているうちに、車は目的地に着いたのでした。

2011年1月25日火曜日

インクミキシングの基礎

今日は友人に以前リクエストされたインクミキシングについて、私なりの方法論を書いてみようと思います。インクミキシングについてプロというわけではないので、完全に正確と言い切れない点はご容赦ください。

まず、万年筆スタイル2(ワールドフォトプレス・2005)より「自分で混ぜてもいい色のインクができません」、これはたしかにその通りで、そう簡単にできるものではありません。この事を理解した上でこの文章をお読みください。

ミキシングに使えるインクはそう多くありません。大抵の会社はインクを混ぜることを是としていないためです。先人の知恵などで混ぜられているインクもありますが、会社がある程度認めているインクの方が無難であると思われます。この場合、使えるのはセーラーのジェントルかプライベートリザーブに限られます。

これらを混ぜるときには、まず多色混合を避けることを推奨します。さらに、0.1ml単位で、適当な注射器等を使って精確に量ることも必要です。この2点から、主に私の方法を説明します。

まず、つくりたい色を実行するための2色を定めます。次に、その2色をどのぐらいの比率で混ぜればよいかを定めます。これには、1:1,1:2,1:3あたりのブレンドを作って試し、どの色が近いかを考えればよいでしょう。2色を端点とする線分について、どこで内分するかを定める作業です。多色混合の場合は、三角形や四面体を考えてやりますが、非常に難しいです。せいぜい3色、4色以上の場合は3色+隠し味ぐらいでしょう(私自身、4色混合はひとつしか作ったことがなく、それとて隠し味でしか使っていない色が二つあります)。

このとき、必ず比率をメモしておくことです。そして、いい色が出来たら、その比率で混ぜ合わせればよいのです。比率が変わると色が変わりますから、ここをできるだけ精確にします。

混合の際のポイントとして、あまり複雑な比率になってしまいそうな場合は、1から作り直すほうが無難です。例えば、ああでもないこうでもないとして、色Aと色Bの比率が2:7になってしまったとします。これでもまだしっくりこない場合、これに足していくと比の計算が面倒になるので、1:4としてから作り直すほうが良いでしょう。

比率の近似方法については、貪欲法でエジプト式の分数になおす場合(そのうちブログに書くかもしれません)のことを考えるのが最もよく、1/(n+1)<比率<1/nとなるようにnを定めるのが良いでしょう。

これらのことをして、比率が出来たらそれを忘れずメモして、今後も作れるようにするのがいいと思います。

2011年1月24日月曜日

誰も書かなかった中島みゆき論ベスト200を聞いてみよう 番外編4

今回はDRAMA!から。

翼をあげて:先日行ってきたコンサートで歌われていたDRAMA!の歌の一つ。歌われたのは2曲だけ(もう一曲は愛が私に命ずること)で、I love you答えてくれのアルバムからのほうが多かったはずです。
なんとなく暗い感じからスタートして、後半には、「さぁいくぞ!」というようなまさしく"翼をあげて"を表現している曲だと思います。今から何かの目標に向かって行く時に、翼をあげて、と思ってしまいます。
なんとなくQueenの「永遠の翼」を彷彿としました。

十二天:ただひたすら"天"の名前が言われるだけの不思議な曲。夜会の曲は夜会を見ないと理解出来ないのかもしれませんが、それでも何らかの思いがあるのだと思います。
十二天、十二といえば十二支で、その点ということはあらゆる方位の天を示しているのではないでしょうか。そして同時に、十二支が時間を示すように、あらゆる時間の天を。ひいては、あらゆる天を。あらゆる天のもと、我々は生きているのだ、ということか、それともまた別の何かなのかはわかりませんが、あらゆる天を示している歌であり、それが人間という生物にとって何かを意味する、ということなのだと思っています。

暦売りの歌:youtubeの中島みゆき公式チャンネルにもある曲。暦を直す、暦を先どるというのは人間の一つの願いの極致であると思います。時空を旅して、それを書き換えられるならなんといいことか。でもそれはできないから、今日という一生一度の一日を自分のできる限りのいい一日にして生きて行くしかないのだ、と歌っているように思えます。もっとも、夜会を見ていないので、その解釈はすっかり間違っているかもしれませんが。

2011年1月23日日曜日

一年を経てもそのペンは…

今日は加藤清氏の一周忌です。加藤氏はきっとこの万年筆界を今も見守ってくれていることだと思いながら、この記事を書きます。

私が万年筆を本格的に使い出したのは加藤氏の使ったペンがきっかけでした。パイロットのペン習字ペンを使って後、初めて本格的なペンということで使い始めた万年筆こそが加藤550でした。青地に黒の比較的使い安いそのペンは、私の高校時代の勉強を支えた重要なペンです。

私が高校生の頃、美しい柄で比較的安いセルロイドの万年筆、加藤製作所やロングプロダクツのものですが、これらは目標として十分なものでした。一生懸命勉強して、その勉強の横には万年筆がありました。

加藤製作所のペンは、一年を経ても決して忘れられることなく残っていますが、これからどうなっていくかはわかりません。誰にもわかりません。だからこそ、使っている人が加藤氏の言っていたとおり、実用として万年筆を愛用するべきなのであると思います。飾るのではなく、実用品として、これからも加東市のペンを愛用し続けていきます。