2010年10月16日土曜日

fuente2010オフ会予定

今年もフエンテのオフ会の時期がやってまいりました。いよいよ来週です!さて、例に従い、私の予定を公開しておきますので、ご存じの方で居らっしゃる方は是非お会いできれば、と思います。なお、今年はフル参加を予定していません。東京に行くのが久しぶりなので、少々別のこともしながら、という次第です。

初日(10/23) ~ちょっと早めに抜けて 文具と紅茶を楽しむ~
10:00 鳩居堂到着・30分ほどのお買い物(年賀状?)
10:30 伊東屋到着・30分ほどのお買い物(年賀状?)
11:00 会場到着・準備手伝い
16:00 銀座行脚(レモン社/ペンクラスター)
17:00 恵比寿方面行脚(ロウレイズティーショップ/ヒギンスetcのために)
18:30 自由が丘方面行脚(TWG tea/Lupiciaのために)
以降、夕食帰宅

2日目(10/24) ~本格的に最後まで?でも途中で一旦…~
10:30 銀座WINSで菊花賞馬券購入
11:00 会場到着
<講演までの間に> 一旦抜けて、キングダムノートや書斎館へ
15:00 講演会
<オークションの初めの方で少し抜けて> 馬券払い戻しへ
<戻ってきて> オークション参加
<オークション後> 立食パーティー参加
立食パーティー終了後帰宅

以上のとおりですので、当日達哉んと会ってやろうという奇特な方は書いてあるお時間に来ていただければと思います。なお、報告はその日のブログに記します。

おっと、その前に20日締切りのfuente51号原稿を書き上げねば…

2010年10月15日金曜日

2つのゲームの「愛のテーマ」

ゲームの曲にきちんと歌詞がつき、歌手もいて…というのは、私が生まれた頃には殆ど考えられなかったことなのでしょうが、現在のゲームはそんなことはなく、多くのゲームの主題歌が普通の歌謡曲として捉えられるレベルになってきていると思います。勿論、そんな中でゲーム音楽はゲーム音楽とけじめをつけているものもあり、それも好きです。桃鉄は好きですが、その主題歌に無理やり歌詞をつけた「それいけ桃鉄!~紅白バージョン~」は桃鉄ファンでないと聞けないと思っていて、そんな曲にするぐらいならゲーム曲でよかったのではと思います。

そんな、歌謡曲としても通用する歌詞付きのゲーム曲に、二つの「愛のテーマ」があります。FF4とMOTHER3のそれです。

FF4の歌詞付きはDS版が出てからでしょうか。伊田恵美さんが「月の明かり~FF4 愛のテーマ~」として歌っているものです。FF4は、世界よりも一人の女性を選ぶ、そんな主人公を描いています。最終的に世界が救われるのはRPGどおりですが、それでも、熱情的な恋愛の「愛のテーマ」だと思います。歌詞にそれがそこまで深く現れているようには思えませんが、曲調はヒロインがヒーローを想うことを十二分に表現していると思います。

同じ「愛のテーマ」でもMOTHER3の「I Miss you~愛のテーマ~」はコンセプトが随分違います。FF4のそれが恋愛的なものなのに対し、こちらは母性的な、家族に対するような、特に自分の子供に対するようなそんな愛情を示しています。MOTHERのタイトルが示すとおり、このゲームは母親がキーとなるゲームですが、そこに現れる家族愛を表現した優しい曲がこの「愛のテーマ」だと思います。こちらはゲームと同時に歌詞ができて、マッチングしていますが、先に書いたとおり歌謡曲として通用するものだと思います。

その二つの愛は、どちらも人間が有している愛で、実はひとつの愛の過程です。恋愛の始まりでは、きっとFF4のような愛を持つのでしょう。それが、おしどり夫婦というような、長い年月を経て、後者へと変わっていくのだと思います。恋する愛情が、愛惜しむ愛情へ変わっていくということです。そんな、愛情を注ぐ言葉は色々あるけれども、可愛いがそのひとつなのではないかと思います。

高校などで古語について学ぶ機会があれば、「いとけなし」や「らうたし」といった様々な「可愛い」之表現を知ることとなります。その表現はどれもニュアンスが違っていて、昔の人はカワイイは可愛いでも色々といい分けていたことが伺えます。

今は「かわいい女の子に声をかける」と「かわいい赤ちゃんですね」とが、同じ「かわいい」です。そのことがこの二つの愛のテーマに現れているような、そんな気がします。

2010年10月14日木曜日

紅茶を飲もう その2

紅茶を飲むのは私にとって日常的なことですが、しかしながら、その中には色々なことがあって、紅茶を飲むと一口にいってもそれだけでエッセーを書けそうな気がします。そこで、それを少し書いてみよう、と思います。

--飲もうや、の意味するところ--
私は酒を嗜みませんから、友人後輩含め、私が「飲もう」というと自然に紅茶とわかります。よし、今晩はじっくり飲むか、というと、間違いなくお茶会です。ですが、その飲もうに、3種類の意味があることは、実は知られていないようです。

1つは文字通り、軽く飲むだけ。ちょっとお茶でも飲みながら軽く話すか、という、日本人の発走で言うところの「喫茶店に行って」に近いものです。時間は短く、お菓子も多くは出しません。

2つ目は、味わう意味での飲もうという場合。この場合は紅茶そのものが主役です。あるいは、いいお菓子を手に入れたから、という場合もあります。いずれにせよ、味わうことが主体であり、多くを呼ぶのですが、あまり来てはくれません。部屋の収容人数よりもよほど多い人数を呼んでいるのが間違いですけども(^^;

そして、最後の意味が、イギリス人の言うところの「お茶」です。それは食事のレベルで、かなり多くのお茶菓子とお茶を用意していて、軽いパーティー、あるいはアフタヌーンティーです。今度帰省して機会があればムジカティーのアフタヌーンティーセットを頼もうと考えていますが、そのレベルです。食事といって良いレベルでのお茶、そう滅多にはしませんが、これは本当に大々的に準備をします。最近やっていませんが、ハロウィーンにはジュースもお菓子も用意してやりたいなと考えています。

美味しい紅茶を飲むことは、ただ会話の潤滑油のためだけではありません。色々な意味があって、紅茶自体も楽しめるお茶会を開くこともあります。そのすべてが「飲もうや」で終わっているから、なかなか人を集めにくい気がします。もう少し明確に誘えればと思うことがあり、招待状でも用意しようか、折角便箋は余っているのだから、と考えているほどです。

ハロウィーンまでに用意するものリストに招待状を用意するか、ちょっと悩んでいます。

2010年10月13日水曜日

ハリーポッターの名言5:「何があろうと、僕たちは君と一緒だ」

前回あまりに書かなかったのを反省しました。

ハーマイオニー・ハリーをどちらも紹介したので、さすがにロンも紹介したいな、と思っていの一番に出てきました。「何があろうと、僕たちは君と一緒だ」、前々回紹介したハーマイオニーの名言と同じ場面に出てきます。

友情を感じる云々といった話はあまりに当たり前すぎるので止めます。そういう話ではなく、この言葉を注意深く読むこと、そして7巻でのロンの行動とそれを照らし合わせることが重要です。さらに、ダンブルドアの意図も一役買ってきます。

「何があろうと、僕たちは君と一緒だ」というのは、勿論精神的な部分での話です(物理的にずっと一緒というのはありえませんから)。これを言い切るだけの関係というのは確かに深い友情なんですが、それを最も端的に表しているのが7巻でのロンの行動なのです。

ダンブルドアが火消しライターをロンに譲った理由は7巻の中で明らかにされますが、それは「何があろうと、僕たちは君と一緒だ」という発言が根底にあってこそだと思います。何があろうと一緒であるという、何があっても精神的に味方であるというのは本当に難しい。最後の最後までそれを貫き通すところが、ロンの最もすごいところだと思っています。

私は何らかの団体において年齢その他において立場の弱い人にできるだけ味方をしたいと思い、またそのような行動を取るように心がけていますが、そうあったとしても「何があろうと、私はそんな人と共にある」とは言えません。

ロンの決意、そしてそれを実行したロンに、最もふさわしい名言、それが「何があろうと、僕たちは君と一緒だ」であり、これを言えるだけの精神力を持っていることを賞賛したいと思います。

2010年10月12日火曜日

「しんどいよぉ・・・」の一言

10年前、喘息で咳が多く出て体もしんどい時、よく「しんどいよぉ」と声を上げていました。ほとんど泣き声でしたが、それでも、「しんどいよぉ・・・」と言っていたのは随分多かったように思います。

今、自分の体がしんどくても、しんどいと声に出して言うことはなくなりました。何かをやってくれと言うにしろなんにしろ、自分が何かしないと話にならないからです。しんどい日は決して少なくなくて、視神経が痛いのか頭がいたいのか顎関節が痛いのかわからないぐらい首より上全体が痛いようなこともあるのですが、しかしながら、しんどいといったところで、周りは何もできません。薬なども含め、全部自分が管理しているのだから、「しんどいよぉ・・・」は全く意味をなさなくなったのです。

10年の「しんどいよぉ・・・」の差を見て、時の流れを感じます。体がしんどくても、今はもう「しんどいよぉ」ということなく過ごす自分がいます。そんな中で、ふと気づけば、携帯やなんかでしんどい中でもいろいろな指示を出している自分を見て、休みたいなと思う時もあるのですが、しかし本当に休むということができてない様にも思います。

ちゃんと眠れる、というのを、自分の体が本当に欲する意味で眠ると仮定したならば、いったい私はどれほど眠っていないことだろうか?薬で眠っている自分が、薬の影響を離れて、その上で十分な時間眠れたのは、どれほど前なのだろうか?…そう考えると、しんどいよぉと言えていた時代も懐かしく思えます。その頃には、眠れないことなど、ほんの少ししかなかったのですから。

2010年10月11日月曜日

tracertコマンドにハマる

コンピュータネタです。と言っても、技術ではなく。

最近はWiresharkを用いたパケット解析を勉強中。オライリー社の「実践パケット解析」を学校の先生に貸していただき、また、ゼミでも習い、という状況です。その第1回で学んだことの一つが

traceroute(Winではtracert)コマンド。

pingをいつも使っていましたが、これははまります。routingがわかるんですから。
どこ通ってるのかな?と見てみると、近いと思ってるところが意外と遠くて面白かったりします。

2010年10月10日日曜日

C言語の底力

今、JAVAとC++を並行して学習していますが、根底にあるC言語の考えもあってか、C言語の底力を見せつけられているように感じます。

似たり寄ったりの文法や概念があり、かなり速いペースで読むことができます。特に、今読んでいるのは入門書というのもあってか(次に本格的なものを読みますが)、非常にスムーズに、むしろ説明がくどいとさえ思えるほどに手早く読むことができます。

C言語は古びてきた言語なのかもしれませんが、自分が勉強するにつれ、その底力をなんども実感しています。