2011年2月15日火曜日

ノートはいつも大事だから

notebookという意味での(パソコンでない)ノートは学習の上で非常に大事だと思います。ノートをよくよくとっているわけでなく、寧ろ他の人に貸してと言われれば「申し訳ないけど」といわねばならない自分がこんな論を書くなんて、とも思いますが。

ノートを取らない授業というのがあります。プリントの穴埋めもなく、資料配ってノートもなんにもなしで解説して…という授業です。受ける側の「労力」は少なくなりますが、身につくかというと正直身につかない。ノートをきちんと取るわけでもないのですが、その割にはノートを取る授業の方が好きだったりします。別に万年筆の書き味を楽しむとかそういうレベルの話ではなくて。

文房具業界全体は衰退してきているといいます。事実、コンピュータを始めとして様々な方法での「筆記」がある現在、文房具の中でもとりわけ事務に近い筆記具関連の衰退は避けられないことでしょう。また、それを嘯き筆記具関連が流行っているから衰退はしていないというのも無駄なことです。実際として筆記具業界は衰退していっており、伊東屋やナガサワ文具センターといった非常に大きな文具小売業であっても苦戦を強いられているのが目に見えるのです。

しかし、ノートを取るというのは、美しいかどうかという観点以上に重要です。ノートをやたら綺麗に取ることに終始する人もいて、それには賛成しないたちですが、書くことによるインプット、自分の手を動かしての理解は重要です。美しいかどうかというのはノートを見直すかどうかという観点ですから、これについては別にコンピュータで書いてもいいのではないかと思います。しかし、手を動かしての理解は、くろぐろとしていて読みにくいノートでもいいから、ひとまずやってみないことにはえられないと思います。

高校1年生の頃、ひとまず高校範囲の数学を先取りして学びましたが、正直理解で来たようには思いませんでした。その後、本質をおさえた演習をして、高校2年生からは数学の授業は退屈だと思えるまでになりました。この演習の時のノートはあとから見直す気など到底おこらないものでしたが、ノートがなければ絶対にこれだけの理解はえられなかっただろうと思っています。

手で書くというのは大切なことです。小学校の頃「自由勉強の一つとして教科書をそのまま書き写す」というアドバイスを耳にしたことがありますが、これは勉強の方針がつかめない人には大変効果的だろうと思います。文章的なところはいざ知らず、慣れが必要な数式や英文は実際にうつしてみるのが大切だと思います。

ノートは勉強に際して大事です。義務教育まではノートに重点が置かれすぎているようなきらいがありますが(事実、小学校の頃はノートの出来でほとんど採点する先生がいて、ひどく成績が落ち込んだものです)、ノートが重要なのは確かです。見直すかどうかはともかく(教科書もあるからわざわざノートで見直す必要があるかどうかと考えると正直その価値はないと思っています)、自分の思考の場としてのノートはいつも存在しなければならないと思っています。

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