2010年6月6日日曜日

愚痴の効用

愚痴というのは字面からして明らかに愚かな行為なのですが、しかしながら、「人間たまには馬鹿が必要だ」という言葉があるとおり、本当の意味で必要な馬鹿があるとすれば、その馬鹿の一つは愚痴なのではないかと思います。

生きている人間はだれしも辛い状況があります。それがたまりにたまって、やがて人によっては、それが原因となっていっそ死んでしまおうなどと考えてしまう人もいます。そういう人の話を聞くこと、それは人の命を救う尊い行為です。
人間がその心の辛さによって死のうという状況であるとき、多かれ少なかれ、孤独という概念があるはずです。その孤独という概念を取り払うためには、心の内を話すことが必要で、それは一般に愚痴としてとらえられるような、文句が入ったものであることが多いのです。

愚痴は悪いものである、という人がいます。確かに愚痴っぽい人が空かれるようには思いませんし、愚痴を色々いっていても何も進展しないような気もします。しかし、人に何かを話すことで、自分の心の整理がついたり、あるいは自分が何か救われたような気になって、自体は変わらなくとも心がすっと楽になることがあります。

私は以前の記事にも書いている通り「闘って」いました。その時に、本当に死んでしまいたいと思うほど辛かった時、私を救ってくれたのは、殆ど夜通しにもかかわらず、話を聞いてくれた友人や、あるいは、遠距離にいるにもかかわらず、メールや手紙で私のことを気にかけてくれた友人・先輩・後輩・身内です。

愚痴というのは、客観的に見て「事態の進展」をもたらすことはないでしょう。しかし、自分の心の中に何らかの進展をもたらすことは十分にありうるものです。だから、愚痴を字面通り嫌い続けるのではなく、愚痴も「必要な馬鹿」と思って、聞いてあげるのも大切なことではないでしょうか。それが信頼関係を築くこともあるでしょうし、それに、愚痴を言うことが、何かのルールに違反するなんて、弱音を吐くことが、本音を言うことが何かのルールに違反するなんて、そんな冷たい世の中に、まだ今の世の中はなっていないはずだから…。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

まさです。

いつも楽しく見ています。随分頭の良い人なんだなと思います。論理的で青春って感じですね。いつも新鮮な感じにさせてくれます。ありがとう
ところで、今回は愚痴ですか~・・・。
おっしゃるように、愚痴を言わないのが日本では美徳とされてるところがありますね。
でもつらい時はしきりに愚痴をいいますし、自分の思うようにならないともっと愚痴ります。寛容な人は聞いてくれますがうざいと思う人もいるでしょう。愚痴る相手を選ばないといけないですね。自分に共感してくれるまた同じ目的のために「共闘」してくれる人は親身になって聞いてくれるでしょうし、一緒に解決をしよう少しでも楽にしてあげようとなる。
人に愚痴ることによって自分の置かれている状況が改善する大きな力を秘めていることもあると思います。「事態の進展」の意味にもよりますが、進展はあると僕は思います。大いに愚痴られたらどうでしょうか。
それよりもう少し肩の力を抜いて気持ちに余裕をお持ちになられたら愚痴も変わってくるのではないでしょうか。

達哉ん さんのコメント...

まさ 様
いつもありがとうございます。
私も愚痴を言うことには大賛成で、友人の、同じ考えの人に愚痴ったり、あるいは逆に愚痴を聞いたりしています。自分自身が愚痴を言うことも多くて、その時に概ね言われるのが「肩の力を抜いて…」。どうも、うまく力を抜けないんですね~。

実はここに書いたのは、友人の一人が愚痴を言うことに躊躇しているのを見て考えたことです。躊躇する必要はないのに、と思います。メンタル面でのケアなどまで考えれば、もちろん「事態の進展」はあり得ますし、あるいは手助けなどもあるとは思います。ただ、私がここで書いた「事態の進展」というのは、もう少し明確な、愚痴を言っている当人がそれとわかるぐらい明確な進展です。友人に愚痴ったから次の日に環境が変わるとか、そのレベルの進展を指しています。さすがにそこまでの効果はそう滅多には望めないだろう…と。

でも、愚痴は必要なものだと思います。
その前に私には、「肩の力をうまく抜く方法」の方が必要な気はしますけれども…。