tag:blogger.com,1999:blog-21318587786097564772024-03-13T21:39:21.218+09:00達哉ん書斎 ~不定期更新~思いつくままに書いている、不定期更新の書斎です。
※ ブログ等での私の投稿は個人の見解によるものであり、 所属する組織には一切関連有りません。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.comBlogger642125tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-676222911596554642050-12-31T23:30:00.000+09:002016-02-09T22:03:17.441+09:00(未来日付での投稿)C言語テキスト&問題集を執筆しました!<div style="font-family: sans-serif;">
タイトルの通り、C言語テキスト&問題集を執筆しました!</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
2012年9月25日に理論編(C言語テキスト)を、</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
2016年2月9日に実習編(C言語問題集)を執筆完了しました。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
以下で公開していますので、よろしければごらんください!</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<a href="https://sites.google.com/site/tatuyanctext/home">https://sites.google.com/site/tatuyanctext/home</a></div>
達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-9473958876655957022017-08-11T21:38:00.004+09:002017-08-11T21:38:43.722+09:00往く祖父と帰る祖母に祖父は無事に天国についたか<br />
満中陰を迎えた頃は盆<br />
旦那を見送った祖母の姿を見ながら<br />
きっと帰ってきているもう一人の祖母をも偲ぶ<br />
<br />
故郷で時は少し淀み<br />
そしてまた流れ出した<br />
心の鬼籍に入った多くの人<br />
本当の鬼籍に入った祖父<br />
未練を一つ一つ減らしながら<br />
<br />
法要の帰り道<br />
嘗ての祖母の家の前を通り<br />
通った母校の前を通り<br />
以前の自分の蔭を感じながら<br />
今の自分の歩みをすすめる<br />
<br />
話せる人を鬼籍に入れることなく<br />
満足で不足ない時間が続けば一番でも<br />
それは叶うことではない<br />
双肩の荷は重く<br />
前の道はいよいよ遠く<br />
しかし縁はいつか薄れて<br />
<br />
万事気嫌よく<br />
大師匠の理想は<br />
私にはまだ及ぶべくない境地<br />
けれどもせめて<br />
私に関ってくれる人をすべて愛して<br />
私はその理想へ歩みたい<br />
<br />
歩む不安に<br />
ふと祖父が笑った気がした<br />
ふと祖母が抱きしめてくれた気がした<br />
<br />
祖父は天国にたどり着いただろうか<br />
祖母は私の噺を聞いてくれただろうか<br />
私に見えずともきっとそうだと信じている<br />
<br />
この道に縁のある全ての人に気嫌よく<br />
そう歩めるよう<br />
本当の鬼籍に入った二人に<br />
見守っていてもらいたい静かな夜達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-54942450784656869302017-03-31T11:12:00.000+09:002017-03-31T11:20:41.563+09:00 初高座によせて ~落語を始めたワケと高座への意気込みを託して~自分よりできた人に囲まれて<br />
自分より優秀な人に囲まれて<br />
自分を小さく感じる独りの夜<br />
<br />
劣る自分の行く道に<br />
漠とした不安だけしか見出せず<br />
歩みを止めたくなる独りの夜<br />
<br />
前へ歩むのは怖いことだ<br />
今この瞬間に安住したい<br />
流れる時を止める術などないのに<br />
安心の今を永遠にと<br />
後ろを向いている<br />
<br />
旅立つ若人に声援を<br />
伴侶見つけた友に祝言を<br />
大役全うした先達に気遣いを<br />
関わる全ての人に心を贈るも<br />
私はなんだか気後れしていて<br />
<br />
臆病で卑小だから不安を拭えはしないだろう<br />
蒙昧で暗愚だから道に光は見出せぬだろう<br />
立派に歩む人に煌々と輝く光に<br />
自分の道はいよいよその漆黒を顕にする<br />
<br />
だから私は笑顔を求めた<br />
自身に留まらぬ周囲の笑顔を<br />
だから私は声を求めた<br />
自身からに留まらぬ周囲からの声を<br />
<br />
道の暗さは変わらない<br />
それでも笑顔と笑い声があるなら<br />
まだ幾分か歩みやすいかもしれない<br />
<br />
笑い噺を聞き始めた<br />
我が門に福が来るように<br />
笑い噺をやり始めた<br />
道角に福が来るように<br />
<br />
私に関わってくれる全ての人に<br />
笑いを届けたい<br />
その笑いが自分の暗さを吹き飛ばしてくれるように<br />
<br />
私に関わってくれる全ての人に<br />
心からの声を届けたい<br />
それがいつか自分への心の声に転じるように<br />
<br />
自分にお似合いの馬鹿噺を<br />
初めて大勢の人に聞いてもらえる<br />
<br />
今、笑いの仮面をつけよう<br />
それがいつか自分の顔になると信じて<br />
周囲を楽しませることは勿論<br />
それが自分の道を照らすと信じて<br />
<br /><span style="font-size: large;"><b><u><お知らせ></u></b></span><br />
<div class="moz-text-plain" graphical-quote="true" lang="ja" style="font-family: -moz-fixed; font-size: 16px;" wrap="true">
<span style="font-size: large;">達哉んは素人落語家「喜笑亭 算茶子(きしょうてい さんざし)」として、<a href="https://sites.google.com/view/bunnosuke-juku-happyoukai/">桂文之助落語塾発表会</a>で初高座になります。皆様のお運びをお待ち申し上げております。</span></div>
達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-77197769370366643542017-01-23T00:34:00.001+09:002017-01-23T00:34:16.133+09:00叱られたような気がして私なんかより、ずっとずっと優秀で素敵な若人たちに、多くお会いして、嬉しく楽しい時間を過ごさせていただいています。私があげられているのはただ優しさだけなのに、もらっているものは多く、私には本当に過ぎた方々だと思っております。<div>
<a name='more'></a>万年筆や文房具の世界の多くの人とは、もう離れてしまったけれど、それでもまだ残っている、本当に続けられる貴重な絆があります。今はもう疎遠になった世界で出会ったにもかかわらず、今までずっと友人でいてくれることには、感謝しかありません。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
落語の世界には、まだ足を踏み入れたばかりだから、後輩なんて人はおらず、周囲に随分可愛がってもらっています。入ったばかりの今、熱がある今、存分に歩もうと思っています。どれだけ歩めているかはわからないけれど、今は多くに触れる時期でしょう、楽しませてもらっています。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
紅茶の世界や中島みゆきの音楽の世界で出会った人はあまりおらず、同じ趣味の人との会話に時折交じるだけだけれども、それでも新しい話をいただき、嬉しく過ごしています。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
そして、競技プログラミングの世界。最近、一番多く会っているのがこの世界の方々です。毎回毎回、すごく嬉しく素敵な時間をもらって、この為に生きているなとさえ思えます。しかし、歳のせいにして、自分は歩みを止めているとしか言えないのがこの世界で残念なところです。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
そんな競プロの世界で、私よリずっと強く、価値も未来もある若人たちと、楽しい楽しい時間を過ごしているのですが、そんな中で、少し叱られたような気がしました。私は、ちっとも前に進んでいないではないか、と。別に彼らがそんなことを示したわけではなく、ただその会話を聞いて自分が感じただけだけれども。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
中島みゆきの「鷹の歌」には次のような件があります。</div>
<div>
"私は自分を恥じる 貴方を思って恥じる</div>
<div>
ラクな道へ流れくだる 自分の安さを恥じる"</div>
<div>
翻って私を見ますと、私は一体どれほどラクな道へ流れ下っているでしょうか。あまりにも安い自分がいて、情けなくなってしまいました。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
私の今年の目標は3つです。</div>
<div>
・落語の世界にもっとずっと足を踏み入れる。</div>
<div>
・"親友を 悪友と呼ぶ 仲の良さ (桂米朝)" 悪友を増やす。</div>
<div>
・私を好いてくれる方々に恥じない自分である。</div>
<div>
この3つめの目標を考えた時、私は全く情けなくて、恥だらけであることに気づきます。慕ってもらえる、好いてもらえるような、立派な人間では全く無いのだけれど、それでも好いてくれる人たちがいる。そんな人たちに示しがつかないと、私はそう叱られているような気がしたのです。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
残念ながら、今すぐにとは言えない程度には手一杯だけれども、少し落ちつくだろう頃には、少し歩みを進めねばと、そう思ったのです。私のことを、決してそのつもりはなくても叱ってくれる後輩たちに、恥じない自分であるために。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
そしてもうひとつ。そんな後輩たちは、私になにかもらってばかりで申し訳ないと言っているから、その後輩たちに伝えたい事を、最後に書かせてください。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
そのつもりは無いかもしれないけれど、私は他でもない"貴方"と出会って、多くの嬉しい感情をもらって、こうやって前へ行く気をもらって、温めてもらっている。私があげられる極僅かな優しさを受け取ってくれて笑ってくれる"貴方"がいるということで、私は多くのものをもらっている。だから決して申し訳ないなんて思うことはない。</div>
<div>
私よリずっと優秀で、出来た後輩である"貴方"に、私は残念ながら見本になれる人間ではない。けれども、たった一つ、"貴方"より間違いなく深くわかっていることがある。それは、私が"貴方"から、どれだけ多くのものをもらっているか、ということ。私を好いてくれる、その価値は何より大きいから、申し訳ないなんて思うことは全く無い。</div>
<div>
素敵な"貴方"へ。願わくは末永く絆を保ちたい。それが、私にとって、何よりの財産であり、貴方が見えなかったとしても、もらっているもの、だから。</div>
達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-37689764750339849022016-12-31T18:00:00.000+09:002016-12-31T18:00:40.276+09:002016年も終わりますね2016年も、もう少しで終わりですね。毎年、その年の終わりになると色々なことが思い出されるものですが、今年は、正直言って、あまり嬉しい年ではありませんでした。<br />
<br />
嬉しい年でないといえ、別に嬉しいことが全く無かった年というわけではありません。出会いもいくつかありましたし、全く笑顔でなかったというわけでもありません。そういう意味では、日々下を向いていた、20歳の頃よりは、まだマシなのかもしれません。<br />
<br />
それでも、今年は…どう控えめに見ても、私には嬉しいと思えぬ年でした。何より、今年にあった縁切りが非常に大きかったのです。自分の中で大きなウェイトを占めていた縁が切られ、狂おしく思う日も少なからずでした。他の様々なよろしくないことも合わさっていたというのもありましょう。5月以後ぐらいでしょうか、ふと気づくと、暗い自分というのが、以前より少々大きくなったように感じるようになりました。10月よりこちらは、鬱々とした思いにとらわれることも何度かありました。<br />
<br />
周囲の人には、幸せな人も多くいます。進路が決まった、結婚した、良い成績をおさめた…そういう話を耳にするたびに、それを素敵なことだと喜ぶ自分がいて、比較した自分の情けなさを感じる自分がいます。皆うまくやってる、前に進んでいる。なのに自分は、むしろ後退しているようで、進めるだけのものも持たず、一人、迷い人のよう。自分はどうなるんだろう、自分は何になりたいんだろう、自分は如何に生きていきたいんだろう…答えが得られるはずのない問が益々重くのしかかってきました。<br />
<br />
そんな暗い自分とは裏腹に、今年は落語を聞き・習い始めた年でした。心のアイソスタシーとでも申しましょうか、以前より明るい自分がはっきりとして、暗い自分もはっきりとしたように、そう感じました。霜月、落語を話し、帰って年賀状を書く。前の"陽"の自分と、後の"陰"の自分が、これほどはっきり意識されたのは今年がはじめてでした。普段私と出会っている人が見ている"陽"の自分の心を、"陰"の自分が静かに…しかし全力を以って込めた年賀状は、明日、皆様に届くことでしょう。それがひとりひとりの心に届いたのであれば、まだ救われるようにも思います。<br />
<br />
ふと気づくと、辛かった年に始めた趣味は、紅茶もプログラミングも手紙も中島みゆきも、どれも長く深くハマっているから、この落語も長く深くなってゆく趣味でしょうか。今のところ大好きで、2017年はよリその世界を広めたいと思っていますから、それを軸に、今年より、良い年にしたいものです。<br />
<br />
新年。冬来たりなば春遠からじの言葉の通り、寒い年の後の温かい年であることを祈ります。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-90711814516577648932016-07-31T00:24:00.004+09:002016-07-31T00:24:41.746+09:00「数式は読めません」「プログラムは読めません」の恥Twitterを眺めていて、興味深いお話がありました。<br />数式アレルギーの人がぐちゃぐちゃ言い訳しているのを、「それで良しとするな」と言っているお話で、「○○言語プログラミングレッスン」「数学ガール」等々で有名な結城先生のツイートです。<br />
http://rentwi.textfile.org/?759297917043609600s<br />
<br />
この話の中で、数式は言葉であるという話が出ており、それと同じことは、例えば気象予報士の真壁京子氏も自著等で書いていることです。これらを見て私が思うことです。<br />
<br />
<a name='more'></a>言葉の裏とか、そういう話は全て無視し、単純に意味を理解するというだけの話をします。<br />
<br />
「ペンを貸してくれませんか?」日本の学習過程で一般に学んでいるというのであれば、この意味はもちろんわかることだと思います。相手がペンを貸してもらいたがっているという、ただそれだけの話ですね。<br />
<br />
"Can I borrow your pen?"これも、日本の学習過程であれば、中学生ぐらいでわかる英文でしょう。「私はあなたのペンを借りることができますか?」と直訳風でも意味がわかるかと思います。<br />
<br />
前者がわからなければ恥だとかいう以前に日常生活に支障をきたすのでしょうが、後者であれば「恥ずかしい」ぐらいで終わるでしょう。もしかしたら「英語できません」と言うかもしれませんが、じゃあ今からアメリカやイギリスに転勤になったら、これはハタと困るはずです。<br />
<br />
元のツイートで言われている、数式アレルギー云々というのも、これと同レベルの話です。<br />(x-x0)^2+(y-y0)^2=r^2<br />
という方程式があったとして、この時点で「わかりません」と投げ出すのは、非常に恥ずかしい話です。"Can I borrow your pen?"がわからないのと同等、さらに言えば「ペンを貸してくれませんか?」がわからないのと同等です。<br />
x,yが変数、他が定数だったと考えます。左辺が、点(x,y)と点(x0,y0)の距離の2乗であり、右辺が定数の2乗なのですから、これは、点(x0,y0)から距離rにある点(x,y)が満たすべき方程式です。つまり、「ある点から一定距離にある点の集合」であり、円の定義ですね。<br />
この程度の「数式を読む」ができないで、「数式アレルギーなんで」というのは厚顔無恥であり、なるほど、高卒だ大卒だというのは単なる「看板」だけなんだなと考えます。読めるかどうかは別にして、読もうとすることさえできないなら、数学では何も学んでいないと言われても文句は言えないでしょうね。<br />
<br />
同じことはプログラミングでも言えて、まともに読もうとさえしない人がいる。あまつさえ「アレルギー」とか言って逃げている。<br />
<br />
以前から似たようなことをずっと言っていますが、そういう逃げをするのは、見ていて非常に不快です。それもあり、このツイートには、かなり共感を抱きました。<br />
<br />
「知らないことは恥ではないが、知らないことをそのまま放置するのは恥だ」と、何冊もの本で読みました。私自身もそのとおりだと思います。知らないことであることを恥ずかしいと思わずその上にあぐらをかいているのは、恥知らずにもほどがあると言われても、仕方がないことかもしれません。それでも、当人が当人の範囲でそう言っているうちは、「恥ずかしい人なんだな」で終わります。<br />
<br />
しかし、それらの知識が必要になったとき、必要にもかかわらずまだそう言っているのは、単なる逃げであり、責任を取れない愚者であると言われても弁明できないように思います。そして、その恥ずかしい姿勢を後進に見せて、それをなお広めるのは、大きな玉突き事故と形容して差し支えないでしょう。<br />
<br />
今、近くに、プログラミング経験が全く無いのに必要になり、必死に学習してなんとかやっている人がいます。大変だろうけれど、その努力を行った人ということで、信用できます。だから、安心して任せられると周囲に言われています。<br />
以前、プログラミング経験が多少あったにもかかわらず、全く努力せず、逃げてばかりの人が近くにいたこともありました。そちらの人に仕事を任せても何もまともにやってくれないというのが、最終的な結論でした。<br />
<br />
「やりさえしない」恥を見せびらかすことで信用を失っている人を見る度に、後進がそういった人を反面教師にするように思ってなりません。私は幸い、数学もプログラミングも好きだし、国語なんかの言葉も好きだから、「アレルギーなんで」という必要はありません。ケッタイな性格、好かれるわけでもない人柄、マニアックな趣味だけれども。それでも慕ってくれる後輩がいるというのは、こういうところからの信用なのかもしれないなと感じました。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-89146591370127231282016-06-18T11:02:00.000+09:002016-06-18T11:04:34.400+09:00プログラミングコンテストの非公式オンサイトを検討していますプログラミングコンテストの、非公式オンサイトをやるかと考えています。6月24日までで、以下の内容のアンケートをとっていますので(Twitter)、興味のある方は投票ください。<br />
<br />
<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja">
<div dir="ltr" lang="ja">
[拡散希望][競プロ勢に聞く]オンラインで開かれるプログラミングコンテストの、非公式オンサイト(皆で集まって参加する会)がある時、参加費(=一人あたりの会場費)いくらまでなら参加しますか?(限度額でお答えください)</div>
— 達哉ん/C言語テキスト&問題集公開中! (@tatuyan_edson) <a href="https://twitter.com/tatuyan_edson/status/743795046084837376">2016年6月17日</a></blockquote>
<br />
それなりに集まっているので、興味深いです。<br />
<br />
<span style="font-family: sans-serif;">元ツイートは以下の通り↓</span><br />
<a href="https://twitter.com/tatuyan_edson/status/743795046084837376">https://twitter.com/tatuyan_edson/status/743795046084837376</a><br />
<br />
<script async="" charset="utf-8" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-21390183177178943922016-05-01T23:37:00.001+09:002016-05-01T23:37:22.862+09:00"Competitive Programming 3"翻訳企画<div style="font-family: sans-serif;">
競技プログラミングの本といえば、邦書では「プログラミングコンテストチャレンジブック」「最強催促アルゴリズマー養成講座」「プログラミングコンテスト攻略のためのアルゴリズムとデータ構造」などが有名です。近年、このジャンルの書籍の出版はめざましく、私が競技にはじめて参加した2005年からすると今昔の感を禁じえません。10年一昔を地で行っているお話と思います。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
さて、このジャンルの本には、洋書にも多くのものがあると聞きますが、<a href="http://uva.onlinejudge.org/" target="_blank">UVa Online Judge</a>で紹介されている<a href="http://cpbook.net/#CP3details" target="_blank">Competitive Programming 3</a>は内容も充実しており、非常に良い本であると思います。</div>
<div class="separator" style="clear: both; font-family: sans-serif; text-align: center;">
<a href="http://static.lulu.com/browse/product_thumbnail.php?productId=21059906&resolution=320" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://static.lulu.com/browse/product_thumbnail.php?productId=21059906&resolution=320" /></a></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
この、<a href="https://t.co/tenCMGKxcN" target="_blank">"Competitive Programming 3"翻訳企画</a>をこの度立ち上げました!</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
翻訳して、出版あるいは公開にこぎつけられれば、と思っています。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
また、この本の活動を通じて、日本の競技プログラミングに良い影響を与えると共に、その成果物が日本の競技プログラミングのさらなる飛躍に寄与するものになるように、とも願います。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
興味のある方、ぜひご参加ください!</div>
達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-970037043019663932016-04-16T11:52:00.001+09:002016-04-16T11:52:07.430+09:00rm -rf /というミス非常に興味深い記事がありました。<br />
<br />
レンタルサーバ業者が、バックアップ含め、全てのデータを削除してしまったというお話です。<br />
http://business.newsln.jp/news/201604151116100000.html<br />
<br />
とても簡単に説明すると「今パソコンに認識されている全ディスクの内容を、システムもデータも何もかもすべて強制的に削除する」というコマンドですね。<br />
もう少し詳しい説明は以下に。<br />
http://ivystar.jp/os/linux/魔のコマンド「rm-rf-」を唱えてしまったとは/<br />
<br />
私もミスでやったことがあり、復旧できるはずもなく泣く泣く再度構築したのを覚えています。バックアップデータは、物理的に「つなげていない」ディスクに入れているのでだいぶマシでしたが…。<br />
<br />
<a name='more'></a>とりあえず、普段、自ら手作業でコマンドを打つ場合は防ぐ手段も多々ありますが<br />
http://rcmdnk.github.io/blog/2013/04/23/computer-bash-linux-mac/<br />
まぁ、スクリプト中に書いているということは、こういう手段はたいてい邪魔なだけなので、無視するように書いているでしょうね。<br />
<br />
私は影響の大きいサーバをコマンドでいじることがままありますが、その時のrmコマンドほど怖いものはありません。find(検索)からrm(削除)につなげる場合はもはや危険しか感じないので、一度find結果をテキストに落とし、これをrmに食わせる…つまり、<br />
<span style="color: blue;">$ find (条件) -print > delete.lst</span><br />
<span style="color: blue;">$ cat delete.lst | rm</span><br />
などとします。delete.lstの段階で精査できるからです。<br />
<br />
が、私のケースは手作業中。問題なのはスクリプトです。<br />
<br />
スクリプトを実行させる場合、まずは壊れても影響のない環境を、手間でも構築して、そこでテストしなければなりません。冒頭記事はこの部分を省いていたのでしょうし、当然その部分が反省の筆頭になることでしょう。せっかく仮想環境が増えているのですから、有効利用したいものです。<br />
<br />
「人のふり見て…」「他山の石」だけれども、自分のコマンドが与えうる影響の大きさを認識してコマンドを打っていかなければ、と思います。<br />
<br />
プライベートでは辛いかも知れないけれど、仕事があってよかった。これだけの責任感がある仕事を任せてもらえているということがあるから、私はまだ生きていられる。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-79389114370692812532016-04-16T00:06:00.006+09:002016-04-16T00:06:59.010+09:00人間関係の整理<div style="font-family: sans-serif;">
今年は、もう嫌われた人に固執しないということで、人間関係をどんどん整理している。目を背けていたが、ほとんどの人に好かれず、敵のほうが多い人生を送っているという事実は、やはり否定できないものだった。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
</div>
<a name='more'></a>声をかけて、手をとろうとしても、無視されたり、手を払いのけられたりすることが多いのはわかっていた。<br />
<br />
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
性善説なんてどこか遠い国の話で、自分の周囲は決してそんなことはないとわかっていた。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
良い人の話は物語にこそ存在するけど、それは非現実的な話で、現実には裏切られるばかりとわかっていた。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
それでも、私は自分が嫌われているのを認めたくなかった。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
それでも、私は友達がいると信じたかった。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
それでも、私は仲良くしたい気持ちを叫ばずにはいられなかった。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
そんな、弱い自分がいることはわかっていたけれど、整理して、それがはっきり見えてきている。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
人間関係を整理して、私を本当に好いてくれている人が、ほんのひと握りなのがよりクリアになってきたから、せめてそれだけは大切にしたい。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
それでも、まだ嫌われるようであれば、私は価値のない人間として、潔く死にたいと思う。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
誰にも好かれないようならば、自分が、潔く命を絶てるだけの強さを得たい。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
いや、好いている人がいたとしてもいい。願いごとが叶うならば、私のことを好いてくれている人にだけ、私は遠くに旅立ったと、そう伝えて、誰の手も届かぬところに行きたい。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
「生まれてこなければよかった人間なんていない」とか、「誰にも愛されぬ人間なんていない」とか、キレイ事はいくつもあるかも知れない。でもそれは、人間だけの話であって、人間以下の芥であれば、その話は通用しないのだと、私は最近そう思っている。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
<br /></div>
<div style="font-family: sans-serif;">
人間関係を整理して、改めて自分の価値のなさに気がついた。</div>
<div style="font-family: sans-serif;">
整理をはじめて、良かった。今年の年末までには、死ぬ強さを得られるように祈る。</div>
達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-66886689292186182082016-02-16T01:29:00.001+09:002016-02-16T01:29:07.805+09:00私が万年筆の世界をやめた理由2015年の5月以来、私は万年筆関連の催しに行くのをやめました。その、正直な気持ちを、書いておきたいと思います。<br />
<br />
私は、万年筆が今でも好きです。同好の士と話ができればいいな、と思うこともあります。けれども、同好の士の集まりに行ったところで、私は一人ぼっちになるだけです。誰かに話しかけても、盛り上がることもなく終わるだけ。誰かから話しかけられることもない。ここ2〜3年の大抵の会では、ほとんど窓際に一人でぽつんといたように思います。<br />
初めて参加した人には優しいような会であっても、一人でぽつんといる私を入れてもらえるような会はありませんでしたし、そもそも私が最初に入った時は、そんな雰囲気でもなかったようにも感じていました。<br />
<br />
そんな会では、自己紹介をして、相手に名前さえ告げてもらえず去られたことも、一度や二度ではありませんでした。<br />
実際に会って話すのは難しいから、せめてお手紙でもと送った手紙は、たとえSNS等で繋がっていようと一切何の返事もないままで、話すことすら拒まれる有り様でした。<br />
SNSで話しかけたところで、返事をしてくれる人さえ稀でした。<br />
<br />
2015年の後半、何度か面白そうなイベントを見かけました。比較的近くで、自分も参加できそうな場所でのイベントも多くありました。それでも、私は一人ぼっちで寂しい思いをするのではないかと思うと、一人で行く気にはなりませんでした。<br />
だから、「誰かが誘ってくれれば行こう」と思っていました。<br />
勿論、そんな誘いが来ることはなく、私は、万年筆の世界で本当に一人ぼっちで、誰からも好かれていなかったのだな、と思い知りました。<br />
<br />
万年筆のことが好きで、色々な活動もしてきた。<br />
裾野を広げようと、自分のできる試行錯誤をしてきた。<br />
そうして、少し変わった世界は、なるほど自分の思想が、少し反映されたような気がする世界だった。<br />
でも、私は、その世界には入れてもらえなかった。<br />
私が目標としてきた世界は、私を受け入れてはくれない世界だった。<br />
<br />
そんな状況でしたから、私は万年筆の世界に行くたびに孤独を感じていました。<br />
居場所がない、誰にも必要とされない、白い目ばかりを向けられる…そんな感じにしか思えませんでした。<br />
独りぼっちの中で、万年筆への思いは、冷めていくばかりでした。<br />
<br />
私は、これ以上孤独を味わいたくなかったし、万年筆を嫌いにもなりたくなかった。だから、万年筆の世界から退くことにしたのです。<br />
<br />
少しは、肩を触れ合った人もいるから…私は、ここにこうして、理由を示しておきたいと思います。<br />
<br />
こういう寒さを感じて、万年筆の世界を去る人が減るよう、春が訪れることを祈っています。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-51960507236389987382016-01-10T11:35:00.000+09:002016-01-10T11:35:23.702+09:00信憑性の高いこと反省という言葉は<br />
信憑性が高い<br />
次回以降に生かされないという意味で<br />
<br />
心配という言葉は<br />
信憑性が高い<br />
全く気にも留めていないという意味で<br />
<br />
大切という言葉は<br />
信憑性が高い<br />
蔑ろにしているという意味で<br />
<br />
海に飲み水がほとんどないように<br />
人の中に信頼に足る人はほとんどいない<br />
態度で行為を示してくれるごく僅かの人だけ<br />
<br />
悪意という言葉は<br />
信憑性が高い<br />
多くの人が自分に向けているという意味で<br />
<br />
嫌悪という言葉は<br />
信憑性が高い<br />
自分に対する人からの評価という意味で<br />
<br />
孤独という言葉は<br />
信憑性が高い<br />
私自身のこととして<br />
<br />
人間不信は<br />
信憑性が高い<br />
私が多くの人から学んだ事実として<br />
<div>
<br /></div>
達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-27112386580873533442016-01-05T11:18:00.001+09:002016-01-05T11:18:09.170+09:00正月の教え毎年正月には<br />
学びたくもないのに<br />
多くを教えてくれることがある<br />
概ねそれは負のもので<br />
だから私は正月を好きとは言いづらい<br />
<br />
年がら年中<br />
その烙印は押されているのだろうけれど<br />
特に正月には<br />
その烙印を強く感じる<br />
年が改まり<br />
新たに押されているのだろうか<br />
<br />
正月は吹雪だ<br />
どれほど綺麗な初日の出で<br />
どれほど一日中快晴であっても<br />
正月は吹雪だ<br />
<br />
正月は吹雪を教えてくれる<br />
私は学ぶ気がないし<br />
これまで抵抗もしてきたけれど<br />
今年はもう抵抗する気もなくなった<br />
そんな教えをもたらす正月なのだから<br />
本当の吹雪の中で寝る温かさや楽しみを<br />
与えてくれてもいいんじゃないのかな<br />
<br />
<br />
<br />達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-90090615286363015282015-12-15T12:30:00.000+09:002015-12-15T12:30:00.984+09:00便箋で送る年賀状年賀状を書き終え、毎年のように、今日、投函しました。<br />
昨年よりも40通ほど減らして103通を、手書きしました。<br />
<br />
40通ほど減らしたのは、返事がなかった人です。返事がないということは、返事を送る価値すらないと思われている証明ですから、そんな人に送ったところで迷惑になるだけ、と出すのを止めました。<br />
不思議なことに、ここ1年会ったことのある人が多いのは、嫌々ながら付き合ってくれたということなのでしょうかね。<br />
<br />
<a name='more'></a>さて、一生懸命書いたこの103通、勿論1通1通"一筆入魂"の下書いていますが、それでもやはり、よく書けるものとあまり書けないものとがあります。年賀状のやりとりだけで、実際に会うことも、他の手紙やメール等も特にやりとりがない人は、どうしても儀礼的な挨拶だけになってしまいます。「書かなくていいや」と思わないため、そういう人は最初に書いているのですが、縁の切れ目も近いのかと思ってしまいます。<br />
<br />
一方で、15通だけですが、便箋で書いた封書の年賀状は、持てる全ての技術を使って仕上げたと言っても過言でないような手紙となっています。思うことが多く、伝えたいことが多く、これからも末永く付き合っていけそうな人には、はがきの小さい紙面では不十分。それこそ万感を込めて、年賀状を書いています。この15通こそが私の年賀状の神髄であって、どんなに忙しい年末だったとしても、この15枚に相当する年賀状だけは送り続けるだろう、と思います。<br />
<br />
「声の届かない縁に固執するのはやめて、今も付き合える人を大切に…」2016年の目標として、いくつかの年賀状に記した言葉です。年賀メールも送るつもりはないし、上の通り年賀状も減らした。そうして、もう声の届かないところにいる人には、何もしないでおこう、と思います。どうせ、そんな人が私に声をかけてくれることはないのだから。<br />
<br />
やがて縁は切れるだろうし、やがて荒野に孤独かもしれないけれど、三途の川を渡るときは一人なのだから、切れそうな縁にすがりつくのは、やめようと思います。<br />
<br />
一昨日の誕生日に、FBできたメッセージは、フォロワー数が同じぐらいの人と比べても、明らかに少なかった。それだけ、無駄に縁にすがりついていたということなのだと思っています。そこまでしたって、何も得られるものはないから、その分の力を声をかけてくれる人だけに向けたいと思います。<br />
<br />
年賀状を書き終えて思うところです。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-48507528123269745382015-10-11T12:18:00.002+09:002015-10-11T12:18:45.810+09:00来た道来た道を振り返れば<br />
一度交わった道は遠くになり<br />
声も返らぬほどになった<br />
<br />
来た道を振り返れば<br />
今でも声の届くつもりでいた殆どの道が<br />
もう見えないところだった<br />
<br />
風景の変わり目は<br />
過ぎ去りし時間を感じさせる<br />
心の風景もまた<br />
もう会えぬ道を感じさせる<br />
<br />
この時代に<br />
声の返らない程遠いなら<br />
それはもう交わる気がない道<br />
一度交わった直線同士が<br />
二度交わらないように<br />
<br />
認めたくなくて<br />
しがみついていたけど<br />
もう一度交わると<br />
信じていようとしたけれど<br />
<br />
離れる道ばかり<br />
<br />
涙は止まらないかもしれない<br />
心は通夜か葬式かもしれない<br />
それでも もう辛すぎるから<br />
<br />
鬼籍に名を連ねよう<br />
もう会えない事実を受け入れて<br />
鬼籍に名を連ねよう<br />
嫌われた事実を受け入れて<br />
<br />
一人なんだから<br />
好いてくれる人なんて ほんの僅かだから達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-43048330660301774082015-09-03T11:24:00.002+09:002015-09-03T11:24:34.936+09:00嫌われて嫌われて得たもの先日、可愛がっていた後輩から、もう付き合うのはたくさんだという旨の連絡がきました。私がどうこう言うこともできませんから、わかったと答える他ありませんでした。<br />
<br />
<a name='more'></a>このブログにも再三書いたとおり、返事も声掛けももらえない私だから、嫌われると感じるのは珍しいことではありませんが、落ち込みますし、悲しいものです。無論、はっきり言わず適当にごまかして嫌ってくるよりは、コスト面でよほど楽ですが。<br />
<br />
人当たりのいい性格でもないし、人口の多い趣味を持っているわけでもないので、別にすべての人に好かれようとは思っていません。自分から嫌うことはできるだけ減らそうと思いますが、自分が嫌われても仕方がないことだという思いがあるのも事実です。ただ、仕方がないこととそれが嬉しいか悲しいかは話が別です。<br />
<br />
そんな悲しい思いを幾度したか、当然数えることなどできません。好かれることより嫌われることのほうがずっと多い人間ですから、そうして悲しみ落ち込む夜だって多々あります。<br />
<br />
そうやって嫌われて嫌われて、自分に関わる7〜8割の人間は敵だとさえ思えるぐらい嫌われて学んだこと、得たものだって有ります。<br />
<br />
1つは、それだからこそ、自分のことを好いてくれる人は大切にしようということ。もっとも、好いてくれると思っていても単なるこちらの思い違いということも多々あるから、大切にと態度で示しても空振りになることもまた多いですが。<br />
<br />
1つは、基本的に「人を見たら盗人と思え」ということ。事務的なあるいは業務的なことでも限られた人以外を信用すると痛い目にあうと日頃思っていますが、人間関係でもそうだと思っています。性善説を唱えられる人は、きっと私みたいな嫌われてばかりの人生ではないのでしょうね、羨ましい限りです。<br />
<br />
最後の1つは、誰も自分などいなくても困りやしないということ。別に私がいなくたって、親族と恋人以外は誰も困りやしないのです。言い換えれば、その人たちがいなければ私も死んだり消えたりして差し障りないということです。苦しいという思いで手紙を書いたり記事を書いたりしても、誰も助けてはくれないから。それどころか、返事すら来やしないから。<br />
<br />
私がひねくれている等々、様々言っていただくのは結構です。寧ろ、これだけの背景で長じて、それ故のひねくれだから、一筋縄ではいかないと、ただそう思ってもらえれば。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-50921746135184583972015-07-11T20:00:00.002+09:002015-07-11T20:00:22.008+09:00超勤分で人を雇ったほうが安いんじゃないの?労働関連のお話を読んでいて思うことなのですが、超勤分でもう一人人員を増やしたほうが安いんじゃないのかな?と思うことがあります。<div>
<a name='more'></a>非常に単純なモデルで考えてみます。20人の部署で、月当り平均10時間の超勤(1日30分程度)の超勤があったとします。200人時の仕事が「超過」なわけです。ここに、1人入れたとします。月に160時間(20日*8時間)働くとして160人時の仕事になりますから、超過分は40人時になります。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
さて、超過勤務分は、休日給その他でない一般の場合、時給単価の1.25倍の手当となりますから(労基法)、元の状態では1.25*200=250時間分の時給を払う必要があるわけです。1人入れた場合、160時間については1倍の時給となるわけですから、1.25*40+1*160=210時間分の時給となり、40時間分支払いが少なくなるわけです。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
勿論、健康管理その他の諸費用がかかるという事実はあるでしょうが、無駄に超勤させて疲れさせるよりもいろいろな面でプラスにはたらき、総コストは安くなるのではないでしょうか。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
人員の削減という話を様々な方面で聞きますが、超勤が常態化している部署だったら、むしろ増やすほうが、コストの節約になると思うのは、私だけなんでしょうか。</div>
達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-58678780773865657482015-06-23T22:21:00.002+09:002015-06-23T22:30:56.770+09:00Linux Mint17においてSynpaseがSegmentation Faultを起こす問題の対処漸く解決しました。<br />
<br />
Linux Mint 17に変えてから、お気に入りのSynapseはSegmentation Faultを吐くようになったため、kupferを使っていました。が、何回目かの調査で漸く動かす方法を発見し、動かせるように…。<br />
<br />
ximが悪さをしているようなので、その設定ファイルを削除し<br />
<b><span style="color: blue;">rm ~/.xinputrc</span></b><br />
im-configを起動して、ibusに自動設定します。<br />
<b><span style="color: blue;">im-config</span></b><br />
<b><span style="color: blue;">(GUI操作)</span></b><br />
後は、ログアウト→ログインとしてやれば良いようです。<br />
<br />
Manjaro LinuxのMate版でも同じ問題がでているので、こっちについても試してみる予定。追って、追記して報告します。<br />
<br />
追記:日本語の設定に従って、fcitxに設定するだけで問題なく動きました。<br />
インプットメソッドをきちんと指定していない時に勝手に読み込もうとするというバグかな?達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-87520408308844139462015-06-19T08:42:00.000+09:002015-06-19T08:42:38.533+09:00水準を変えて跳ね返るインターネットの様々な記事を見ていて、"DQN"なるものがどうのこうのという記事が昔からよく目につきます。とりわけ、SNSなどで「いいね!」等を押すことで(気になるような書き方をした記事の)続き・結末を読ませるという、別目的がありそうなサイトでは、こういった記事が多数散見されます。「大事」とか「面白い」とか「義憤」で広めるのは個々人の勝手ですが、そこに思うことがあります。<br />
<br />
水準を変えると、自分に跳ね返ってくるのではないのか、と。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
この"DQN"なる言葉は、概ね非常識・粗暴等々の意味で使われているようです。どれが正解というような定義はないでしょうが、過去の裁判では侮蔑的な意味がこめられていると判断された例もあるようですね。<br />
<br />
ここで、一つの例を考えてみます。<br />
科学的根拠によって予測された、危険と判断される災害があったとしましょう。<br />
これについて、科学的根拠を理解せず、非科学的な乏しい根拠に基づいて安全と判断し、それを流布したら?<br />
<br />
わかりやすい例で言えば、台風が近くを通る予測があるのに、下駄を投げたら表向きだったから大丈夫と言って周囲の人に「川に行っても大丈夫」とか言うような感じでしょうか。あるいは、大きな地震のあとで余震があるかもしれない状況で、「地震雲がでていないから大丈夫」というのを広めるなどもあるかもしれませんね。<br />
<br />
非常識ですし、議論が乱暴ですし、反社会的でもあります。これは"DQN"と呼ぶのでしょうか?私には、日頃見ているものと、単に少々水準が違うだけのような気がするのですが。<br />
<br />
「何もしてないのにPC壊れた」(実際にはなにか非常識なことをやっているから壊れる)とか言って、できる人にPCの復元を無償でやらせる等々も、同じような例かなと思います(「システム管理者の眠れない夜」の事例もそういうのが多いですね)。<br />
<br />
これ、"DQN"なるものとどう違うんですか?要求される知識の水準が違うだけではないんですか?<br />
<br />
他人の知識が足りなくて自分に何らかの迷惑がかかり、余計な手間がかかるなんてこと、どこでもありえる話です。足りないというのがどのレベルかも、場所によって変わります。理系の大学1〜2年で学ぶ教養程度の数学ができない人に迷惑をかけられたと言うケースだって経験があります。それも"DQN"ですか?<br />
<br />
人間誰しも能力の限界というのがあります。それを否定する気はありませんが、能力の低さを馬鹿にするようなことは、水準によって自分にも返ってくるものだと思います。いい大人がすることではないと、そう思います。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-40061725551873911642015-05-26T22:53:00.000+09:002015-05-26T22:53:03.756+09:00「返事なし」「声掛けない」は「大切にする」か個人的に、非常に滑稽に思っていることの一つとして、「人とのつながりを大切にしています」とか「人との交流が好きです」とか言っている人でも、ちっとも返事も声掛けもないもんだ、というのがあります。<br />
<br />
<a name='more'></a><br /><br />
例えば遊びに誘ったとしましょう。その誘いの日を過ぎるまで、いや、過ぎてからも何の返信もない。また別のお誘いでメールを送っても、やっぱり返事のかけらもない。そのくせ、自分から用事があるときには返事がある。<br />
<br />
何かの媒体で、私が適当につぶやいていたり、雑談していたりするとしましょう。その時、その人たちからは声もかけられることはありません。私が声をかければ付き合ったりすることもありますが。<br />
<br />
たまたま遊べた友人(?)が「メールの返事遅くてごめんな」と言っていたり、メールの返事そのものに「遅くなってごめん」と書いている場合は、間違いなく言葉だけです。そういう人に別のメールをした際、催促を打たなかったケースのほうが少ない。「手紙の返事を書きます」もそうですね。<br />
<br />
そういう状況で一人だと、心が歪みます。心が歪んで「死にたい」となる時も多数あります。そんな時に声をかけてくれる人は殆どいません。会ったら「心配してた」。私の葬式に出るのにかかる費用でも心配していたのでしょうか。それが証拠に「誰かが声をかけてくれたら」「誰かが誘ってくれたら」なんて言ったところで、行動に移す人は誰ひとりいません。<br />
<br />
さて、そんな人が「人とのつながりを大切にしています」とか「人との交流が好きです」とか言っているという現実はどうでしょう。あまりに滑稽であり、「大切にする」と「粗末にする」を混同しているのではないか、と思います。<br />
<br />
今まで、コミュニケーションは勿論のこと、様々に誠実に対応してきたつもりです。その結果が、これです。非常に素晴らしい世界だと思います。<br />
<br />
もうすぐ、暑中見舞いのシーズンです。「いつも返事をくれなくて寂しいな。」「声もかけてもらえない。」「大切にするとは、返事なしで声掛けないことなの。」今年は、そう書きたいと思っています。たまにははっきり、物を言わないと、ネ。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-61073840500834709852015-05-13T23:28:00.001+09:002015-05-13T23:28:34.147+09:00万年筆でProject Euler 問題1書画カメラを買ったので、せっかくだし、万年筆を活かした何かをやろうと思いました。と言っても、文学的な活動はよく行われているので、私は数学的な活動を行うことにしました。ただ、数学的な活動は苦手という方も多いので、あまり専門的になりすぎるのもよくありません。<br />
<br />
ということで、ちょっとした遊び程度の、「誰でもわかるレベルの数学」を万年筆で、という企画にしようと考えました。具体的には、<a href="https://projecteuler.net/">Project Euler</a>(<a href="http://odz.sakura.ne.jp/projecteuler/index.php?Project%20Euler">日本語ページ</a>)の問題を万年筆で解こうという試みです。せっかくですから、みなさんも、同じように試してみてください。<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-990rKK1FTEs/VVNfMRrelAI/AAAAAAAAAII/7Rr2Il6K3ds/s1600/2015-05-13-232109.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="640" src="http://3.bp.blogspot.com/-990rKK1FTEs/VVNfMRrelAI/AAAAAAAAAII/7Rr2Il6K3ds/s640/2015-05-13-232109.jpg" width="480" /></a></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
今回は、ソースは乗せませんが、場合によってはプログラムを援用するかもしれません。</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: left;">
みなさんも、萬年筆で数式、楽しみませんか?</div>
<br />達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-11768669794524244492015-01-17T00:10:00.001+09:002015-01-17T00:10:13.960+09:0020年20年。命のリレーと共に心や教訓もリレーしていこう。幸せ運べるように。<br />
<br />
20年。覚えている記憶がわずかでも、その記憶を伝えていこう。未来の幸せのために。<br />
<br />
20年。知らぬ人に知らせよう。あなどるなかれ、自然の脅威を。<br />
<br />
20年。未だ復興至らぬ人あり。やがての防災の充実がその一助となれば良いのだが。<br />
<br />
20年。時代は回り、知らぬ人も増えた。こんな時代もあったと伝えよう。<br />
<br />
20年。5歳の幼子は25となった。おそらく記憶ある最年少の世代、いつまで語り手となれるか。<br />
<br />
20年。灯火の祈りの発端に、思いを馳せる契機。知らぬ人、それを知り歩んで欲しい。<br />
<br />
20年。忘却には十分なときか。痛み、傷、恐怖。忘れられるものだろうか。<br />
<br />
20年。聞く曲は言う。絆による復興と、生きていく大切さを。<br />
<br />
20年。知る人よ、伝えていこう。私達の心を、幸せ運べるように。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-22389971932441681972014-11-24T00:35:00.000+09:002014-11-24T00:35:09.966+09:00年賀状・手紙エッセイに連なるrootの言葉先日、知人が声をかけてくれた手紙に関するエッセイに参加しました。その他のエッセイ等もあり多忙ではありましたが、自費出版ながら良い仕上がりだったと嬉しくなりました。一方、この時期はやはり年賀状を書いている時期です。そんな中、帰省して読んだ漫画に、今に至るまでの自分の根があると気づきました。女性向けの漫画ではありますが、暇を持て余した自分が、家中の本という本を読みあさり、その中で出会った言葉です。<br />
<br />
<a name='more'></a>「きみは筆まめで文書書きの私より折にふれて便りをくれたよな」<br />
「きみの太い荒っぽい字が好きだった」<br />
「毎日スクープ狙って汲々としていた私の心をなごませてくれたもんだ」<br />
「だから印刷になったハガキを見た時私だって寂しかったよ」<br />
「恥ずかしながら泣いてしまってね」<br />
「驚いたよ自分でも なにかが切れたんだなあ あのとき」<br />
「みんなどこへいくんだと オレはどこへいくんだと……」<br />
「涙を止めようにもあとからあとから出てくるじゃないか」<br />
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(「ギャルボーイ」第127話"LIFE"より引用)</div>
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私は、今の自身を筆まめということはできません。同年代の人よりはおそらくかなり多くの手紙を書いているけれども、それでも私は、自身を筆まめとは言えません。折りにふれて手紙を書くといえど、そのありがたい縁は私一人が手紙を書くのには少し多く、正直に言えばおろそかになってしまうことがあります。だから、年に一度、年賀状だけはせめて、と感じるのです。年賀状以外は出さない人もいるし、勿論何度も出す人もいるけれど、それは決して「筆まめ」とはいえないことだと思うのです。<br />
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それでも、私の手紙が印刷になったら、寂しがってくれる人がいるのではないか、と感じるのです。決して綺麗な字ではないけれども、なごませる内容じゃないかもしれないけれども、それでも、印刷にしてしまうよりずっと、相手に届いてくれるのではないかと思うのです。<br />
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印刷だけの年賀状も、沢山に送る同報の年賀メールやSNSでの言葉も、私には正直"虚礼"にしか見えません。一応挨拶しておかないといけないからしておくという"虚礼"であり、虚礼廃止の声に従って廃れても構わないものだと感じます。そこにあるコミュニケーションは、1対1のコミュニケーションではなく、1対多の、自分とそれ以外その他大勢とのコミュニケーションです。こんな虚礼は、「私にとって貴方はその他大勢の一人でしかありません」と告げているとさえ取られてもおかしくない、と考えます。<br />
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年賀状を印刷することも多数あったけど、手書きの一言を添えなかったことはただの一度もありません。沢山の手紙を書いているけれど、量産品として書いたことはただの一度もありません。書く相手への、オンリーワンです。そこにあるコミュニケーションは1対1のコミュニケーションです。<br />
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手軽な年賀の挨拶が流行ってる。その挨拶さえしないことすら多くなってきている。でも、私は、その流行りに乗りたいとはどうしても思えません。印刷になったハガキを見て泣いた「ギャルボーイ」のお父さんと違い、もう泣き慣れた私は、悪い意味で強くなってしまったようです。そんな風になってほしくない友人たちに、私は、1対1のコミュニケーションである、手紙を書き続けたいと思います。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-41610039508555434252014-11-09T19:41:00.002+09:002014-11-09T19:41:19.039+09:00年賀便箋を求めた結論年賀状を葉書で出すことすら廃れてきている昨今。様々な通信技術により、年賀状はもう、過去の文化となり始めているのかもしれません。それでも私はこの風習が好きで、毎年毎年、迷惑になるかもしれないと思いながらも書き続けているのです。…一通も来ないより、一通ぐらい来たほうが、嬉しいんじゃないかな、って。あまり来ることはない自分だって、貰えれば嬉しいのだから。<br />
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<a name='more'></a>さて、年賀状、毎年葉書で書いているのですが、以前から便箋で書きたいと思っていました。今回は時間に余裕ができそうでもあったので、便箋を使うことにして、早速あちこちに便箋を探しに出かけました。<br />
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その時に気づいたこと。<br />
冬の便箋は、クリスマスか、そうでなければ寒中見舞い向きのものばかりだということ。<br />
便箋の品揃えがすごい店に行っても、たとえあの鳩居堂でさえも、年賀用の便箋というのは置いていないのです。<br />
来年が未年だから、羊を描いた便箋は多少ある。<br />
あるいは、富士山などのモチーフを使っていて、年賀状にも応用が効きそうな便箋も多少はある。<br />
しかし、年賀状用の便箋というのは、全くないのです。<br />
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年賀状はそもそも略式であり、それをさらに簡略化したのが葉書での年賀状。<br />
それに異議を唱える気はありませんが、便箋での、年賀状としてはやや本格的な(しかし、それでも略式ではある)手紙を認めようと思ったら、もう、便箋はないのでありました。<br />
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結局、家に大量にある、あまり表立った模様はない便箋に、シールやスタンプを使って模様をつけ、年賀状とすることにしました。<br />
紙質などもかなり良いので、結論としては満足の行くものです。<br />
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しかし、それでも、年賀用の便箋がないのは、ちょっと驚きました。<br />
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便箋で書く年賀状。驚かれつつも、嬉しく驚かれますように。そう思いながら、自分の集めた多くの便箋を飾り、年賀状を書こうと思います。達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2131858778609756477.post-16237141602276030662014-10-14T00:00:00.004+09:002014-10-14T00:00:33.165+09:00Linux Mint 17 Qianaにおいてレポジトリが追加できないバグに対処する方法探しても日本語情報が出てこなかったのでメモしておきます。<br />
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Linux Mint 17(Qiana)において、レポジトリが追加できず、アップデートマネージャからソフトウェアソースを選んでもうんともすんとも言わない(おそらくpythonの)バグがあります。(以下URLの症状)<br />
<a href="http://forums.linuxmint-jp.net/viewtopic.php?f=4&t=1355">http://forums.linuxmint-jp.net/viewtopic.php?f=4&t=1355</a><br />
上記フォーラムでは再インストールにより解決していますが、英語フォーラムでは別の解決法が掲載されていたので、紹介(私自身これでなおりました)。<br />
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<a name='more'></a>大幅にいじっていない場合は<div>
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apt install mintsource</div>
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を実行すれば(勿論su権限)、直るようです。</div>
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これを実行せずに直すためにはLinuxMint.infoをいじっても良いようですが、そちらは試していないのでわかりません。この症状については、英語ですが以下に情報があります。</div>
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<a href="http://forums.linuxmint.com/viewtopic.php?f=47&t=173261">http://forums.linuxmint.com/viewtopic.php?f=47&t=173261</a></div>
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ご参考までに。<br /><br />
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達哉ん/Tatuyanhttp://www.blogger.com/profile/13443199070161376299noreply@blogger.com0