2010年8月17日火曜日

「すごく」の死語化

形容詞「すごい」の連用形は何か?と聞かれたとき、高校受験を控えている人ならば「すごく」と答えられることでしょう。しかし、実際にこの連用形を使った文は減りつつあるのではないか、と思います。

例文で考えてみましょう。
「すごいきれいな女の人が立ってらして」
「すごくきれいな女の人が立ってらして」
この2つの文を見比べたとき、後者のほうが前者に比べて、上品な言い回しに聞こえる、あるいは「立っている女の人」が上品に思える、というのは私だけでしょうか。他にも何人か、同じように感じるという人を聞いたことがありますが、実際どうなのでしょうか。

かつて、「タモリのジャポニカロゴス」という番組で、出演していらした解説の町田先生が、限定・稀な言葉ほどその度合いが強い、という話をしていらっしゃいました。度合いというのは言葉そのものの意味の時もあれば、その言葉から受取る印象の場合もあります。
・美女と美人、どちらがより美しいか、というと「女性」と限定されている分美女の方が美しく感じる。
・「眼福ご馳走様でした」といえば、非常に強い敬意を表しているように感じられる(そもそも眼福自体が高い敬意を持っているが、あまり使わない言葉だからなおさら)
・詳らかにする、という言葉と、詳しく説明する、という言葉では、前者のほうがより詳細な気がする。
などが具体例です。

では「すごい」「すごく」がこれに当てはまっているとすればどうでしょうか。そうなると、「すごい」は「すごく」に比べて使用頻度が高いということになります。終止・連体形の両方が'い'でおわるから、という理由もあるのかもしれませんが、それでも、その程度で上品に聞こえるならば他の形容詞についても連用形なら上品に聞こえる、ということになって不自然です。こういう事例から、やはり「すごく」は死語化しているのだと思います。

連体形での形容詞修飾は俗語の扱いになるのでしょうが、語学的にはどういう現象で、単なる例外なのかそれとも何らかの理由があるのか、「ら」抜き同様気になるところです。

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