2010年10月27日水曜日

本音を言うと嫌われる、媚びれば嫌われない

当たり障りの無い無難なことを言ったり、あるいは媚びていたりする方が、本音を言うよりも好かれるようです。私のブログの「賛成/反対」もそうですし、amazonのレビューなどの「参考」票などを見ていても、またそれらに関する意見の書かれたブログやサイトを見ても、その姿が見えてきます。

厳しい意見は往々にして嫌われるものですが、それに限らず、数年前のKY風潮も含めて考えれば、人に媚び諂い、建前で生きていくほうがよほど無難な人間関係になるのでしょう。私の恩師は「媚びないこと」を座右の銘にしていらっしゃったそうですが、社会はそれを許容できるのでしょうか。地動説に大手を振って賛成したガリレオ然り、人生論ノートを著した三木清然りで、自分が正しいと思うことで、その根拠も話せるようなものであっても、権力側からすればそれは単なる邪魔なのです。

内部告発には勇気がいるといいます。それは自分の属する集団に対する楯突くことだからではないでしょうか。「ばれへんかったらええんや」とばかりに悪事を働く集団で、それに対して楯突くことで自分が損害を受ける。内部告発の報復事件はあとを絶ちませんし、公益通報者保護法も十分でないという意見があるようです。これも、「媚びていれば大丈夫なのに」ということの事例です。

戦後の日本は戦前とは違うといいます。けれども、本音が言えない状況は戦前も戦後も、いや、ずっと昔から変わっていないようです。私はまだ本音をよく言っている方ですからまだましな環境ですが(とはいえそれで嫌う人もいますが)、もっと強く「本音が言えない」状況に陥っている人もいるのではないでしょうか。日本国憲法で表現の自由が保証されていても、我々は結局のところ人間の柵で規制されており、言いたいことを言えない状況になっているのだと思います。

私は自分の書いた文章で媚びてばかりいる人を批判したことがありますが、問題はそこだけではないのです。媚びることによる利益が本音をいうことよりもよほど甘美だという風潮をなくさないと改善しないのだと思います。度合いの違いこそあれ、「意見を言う」ということについては、今の日本でも、戦前の日本でも、魔女狩り時代のヨーロッパでも、同じことではないでしょうか。「思っていても黙っているのが美徳」とはいわれますが、自分が悪いと思うことすら言えずに悪事に加担していくのが美徳なのだというのは間違っています。

本音を言うと嫌われ、媚びれば嫌われない世の中で、媚びることのできない私などは損な性格だと思います。こんな環境が強くなっていけば、やがて悪事は正当化されることでしょう。「戦前の日本は悪かった、報道などが規制されて、言いたいことも言えなかった」…報復は違うかもしれませんが、結局今もその風潮は変わっていません。戦前の「本音」を言う状況が悪い悪いと言っているかもしれませんが、少し前のKY風潮なども鑑みて、我々日本人は戦前の状況を創りだそうと躍起になっているのです。戦前も戦後も、本音をいうことについては権力側に規制されるか政府に規制されるかの違いしかありません。確かに色々な活動ができ、戦前よりは多く本音を言う機会がありますが、結局その本音も「言える」だけでしかないのです。言ったら嫌われると考えれば、風潮が変わったとは言い難いところです。戦前の日本が悪かったのは「政府による」表現の規制があったから、というところでしょう。政府でなければ表現の規制をしてもいい、そんな印象をうけることが多くあります。

本音が言えない世の中。媚びれば嫌われない世の中。気質が変わらなければ、その世の中は変わらないことでしょう。表現の自由についての誤った解釈で、「なら人を罵ってもよいだろう、表現の自由だ」という話がありますが、似たような問題が潜んでいるように思います。人を罵ってはいけないのはその当人が不快感を抱くから、もっと法的に根拠を求めれば名誉毀損罪になるからでしょう。では、内部告発は?簡単です。会社に不利益を与えるからいけないのです。たとえ世論が正しいと言おうとも、会社に不利益を与えるから、内部告発はダメなのです。法的根拠はないですが。

不利益を与えるからダメ、不快感を与えるからダメ、と言っているだけでは話になりません。「他が嫌がることを言うな」などといいますが、あまりに短絡的です。内部告発すべきところを本音で賛成している人は罰を受けるべきでしょうが、本音ではそう思っていないのに、保身のために言わないような、そんな状況は「他が嫌がることを言うな」を強く意識しすぎているように思います。自分が「正しい」と信じる根拠に足る本音を言えない世の中が続くのであれば、独裁者統治は目前です。

「言い方」はあるかもしれませんが、信じる根拠に足る本音はまともに言えるべきです。ある人に至らない部分を見つけたとして、それを罵倒するのはあまりよくないと言われ、それを指摘するのは問題ないとされる、これは言い方の問題です。言い方いかんを問わず本音を言えないような世の中は独裁へ向けてまっしぐらです。

きっとこの意見も「本音」ですから反対票が多いことでしょうね。

7 件のコメント:

kammy さんのコメント...

kammyです

賛同も反対もないですけど

一度 ブログを 朝に書いたら?

夜中じゃなく 朝に 

お薦めしますよ!

達哉ん さんのコメント...

>kammy さん
ありがとうございます。
予定稿が多くて、たいていは夕方に書いています。
朝は…起きてしゃっきり出来ればいいんですが、起きても頭が働いていな日が多いので朝に書けないですね(^^;;
機会があれば書いてみます。

kammy さんのコメント...

kammyです
夕方ならまだいいけど
書いてる時間みたら 夜中ですよね

そんな時間って ロクな事 考えないよ(私の個人的経験から)

同じ人間で同じテーマだけど
書く内容に少し変化がでますよ
新たな発見があると思うので一度チャレンジしてみてください

万年筆坊主 さんのコメント...

万年筆坊主です。こんばんは☆

むずかしいところです。世の中ステレオタイプには行きません。本音をいうのは正しいことですが、目的としているところに物事を運ぼうとしたら往々にして本音を隠さないといけなくなることもあります。
媚びるかとかそういう問題もあると思いますが、物事をスムーズに運ぶ手段としては方便も大事なように感じます。
結果的には本音として思っていたことになれば良いのですから。。。そういう場合も考えられるかなと思います☆

another person さんのコメント...

お久しぶりです。
ところで,遅くなりましたが,暑中見舞いありがとう!返してなくてすみません。


うーん・・・。
世の中にある選択肢は本音を言うか媚びるかという二択ばかりじゃない気がします。
その中間のような場面もある気がします。

また,本音をいうべき場面と,合せる状況を,自分の都合に合わせて選択すればよいのではないでしょうか。

達哉ん さんのコメント...

>kammy さん
ありがとうございます。昼に書いても、夜中に出しているのはなぜなのか、自分でもわかりません。ひとまず考えたことをブログに書いてみました。朝にものを考えられるほどしゃっきりしているならいいのですが…。
以前はおっしゃるとおり、夜中に書いていたのですが、10月に入って以来、ブログ記事は全部昼~夕方に書いています。

>万年筆坊主 さん
方便も確かに大切ですね。結果が本音になればいい、その経路は…というのは思うところです。ただ、本音にならず、方便で結果として悪くなっていく方向があるというのも事実で、周りに合わせているから結局行きたい方向に行けないというのが、周囲からの愚痴を聞いていて思ったことです。あわせて、方便で、スムーズに進めていこうとして、結局本音以外。そんな本末転倒になるぐらいなら本音を言うべきなのではないか、という次第です。

another person さん
お久しぶりです。
本音を言う・媚びるの二択でないのはそのとおりで、何も言わない、とか曖昧な返事を返す、というのもありなのだ、と思います。実際、そういう友人もいますし…それに、本音を言うべき場面と合わせる状況の選択というのも、私に限らずいろいろな人がやっているということだと思います。
しかし、本音を言うべき場面で(例えば明らかに悪いことをしていてそれに巻き込まれそうなとき、特別の理由なく自分の身が危険にさらされそうなときetc)にも本音を言わない人、そしてそれに対して周りで同調してしまう人を見ていて、「内部告発したくてもできない状況」というのがあるのだ、それを何とかしないことにはどうしようもないのだ、と考えた次第です。

kammy さんのコメント...

kammyです
了解です
おたがい いろいろ悩みながら
生きていきましょう
ただ 世の中いろいろな価値観があるのでね
今 私は1つの事を集中して 意識している事があります
それは
「怒らないこと」
新書本で出ている仏教徒の方の本に影響受けました
「怒らないこと」で いろいろと変化がでますし
何より「怒ること」で毒が出るらしい・・・
確かに僕の周囲で 世間や身内や知り合いや友の文句ばかり言ってる人は
あまりいい人生を歩んでない気がして 少し開眼した次第
僕も実は怒りっぽい性格なのですが
怒ったところで 結果いい方向にいったことって実は少ない事に気づきました

年取ったからかな