2011年7月31日日曜日

「おめでとう、金メダル!」の価値

この度のIOI(国際情報オリンピック)を始めとする各科学五輪の日本人メダリストやGoogle Code Jamで優勝された方に、心から、「おめでとうございます」。このような活躍が日本全体を活気づけると思います。私はしがないプログラミング愛好者ですが、我がことのように喜び、近くにいた人と(その人は訳が分かっていなかったのですが)ハイタッチまで交わしてしまいました。

なのに・・・

テレビでは、甲子園のニュースをやっています。地区大会ですね。その一方で、日本人が情報オリンピックで金メダルをとったこと、あるいは数学オリンピックで金メダルをとったこと、もしくはGoogle Code Jamの日本人単独1位には、一言も触れていません。ここであげた3つのニュースのうちどれか1つでも知っていた方で、特に数学やプログラミングに興味がないという方、何処で知りましたか?

テレビにとって、甲子園の地区大会は何分もかけて放映する価値があるようです。一方で、数学オリンピックで金メダルをとったことは、一言言及する価値すらないようです。(私自身は、日本人全体の士気を高め、この地震の後で沈んでいる中に「やったろやん、日本」という気概を高めるという意味で大いに価値ありと思うのですが)

世界大会で素晴らしい成績を残した高校生たちを、地区大会の高校生の時間で潰すのはなぜですか。地区大会の高校生の時間を1分短くして、そこで言及すればいいのではないですか。日本全国に世界大会で優勝したことを伝えるだけでいい、それだけで日本の士気が上がるのではないですか。

ほとんど毎日のように試合があるプロ野球の勝ち負けは映像付きで報ずるのに、年にたった一度のプログラミング大会で、世界を相手に優勝した日本人に一言も触れないのはなぜですか。

テレビの報道に嫌気がさしてからずいぶんになります。今回、地区大会を報道しながら、同じ高校生の、世界大会の優勝を報道しないテレビの姿勢を見て、尚更テレビが嫌いになりました。世界中の高校生プログラマの頂点に立つことが、地区大会での1試合の勝ち負けよりも価値が低いなんてこと、絶対にありえないと思うんです。テレビ局側がそれでもテレビを見てくれというのであれば、私に納得できる説明をして欲しい。そうでなければ、テレビなんてのは、災害時にその様子を知るための装置の一つとしてだけで十分です。ああそうだ、私はテレビゲームもするから、そのディスプレイとしても必要です。悪いですが、テレビ局の作る偏向番組には興味有りません。

テレビに対して、いつもと大して変わらない、しかし厳しい意見を提示しました。

最後になりましたが、この度の科学五輪やGoogle Code Jamで活躍された方々に敬意を表し、極めて微力ではありますが、このブログもその報道に何か助太刀出来ればと願う次第です。

6 件のコメント:

Volcanologue さんのコメント...

テレビというものは大衆がわかるものを,わかりやすく提示するのが目的であって, C++ とかそんなのを提示することは本来の mission ではないのでしょう.わかりやすい物語を2時間ちょっとで毎日放映するのが mission なのでしょう.よって私もテレビは嫌いです.一人暮らしをしているときは,部屋にすら置いてなかった.

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>Volcanologue様
ありがとうございます。
そうですね、逆に言えば人間の規格化をしているように思います。
私は譲り受けて部屋においていますが、ゲーム用スクリーンと化しています。

つきみそう さんのコメント...

 なんて言うのか、スポーツは善でそれ以外はダメ、っていう風潮すら感じてしまいます。それはスポーツ無能の私だからこそのヒガミだろうとは思うのですが・・・。

 運動系の部活動出身者は社会で役に立つ、なんてよく言われます。それは事実でしょうし、それでいいんですけど、そうでない私なんかはそういう言葉を耳にすると自分が責められているような気がします。実際、あんまり社会の役に立ちませんので反論できませんし。

 無理矢理韓流ブーム、なんてのもそうですし、オリンピックや世界大会の話題について行けない人を変な目で見るような風潮もイヤです。なでしこジャパンのことに全く興味がないと言ったら校長に説教されそうになったので逃げ出したり、世の中の流行り物に盲目的についていかない者は肩身が狭いです。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>つきみそう様
ありがとうございます。
スポーツは善、他はダメって風潮、確かに思いますね。私の感じをもう少しちゃんと表すと、ステレオタイプの運動系の部活動出身者が善で、それから離れているほどダメ、っていう感じですが。

流行についていかないと肩身が狭いというの、何処でも同じなのですかね。どうして皆が同じものに興味がないといけないというような行動をとるのかわからないです。

ちょっと前に理系離れのことを騒いでいましたが、もともと理系の人が特殊扱いされているのでは、そんな特殊な方向に行きたいと思えなくなっても仕方ないのではないか、とさえ、最近は思えてきます。

大阪のオバチャン さんのコメント...

ご無沙汰しています。

私もテレビに嫌気がさしてから幾星霜です。
ただ、主要な情報取得の場がテレビである時代は案外長続きしないのかなと期待もしています。

以前Twitterで「私はネットニュースもテレビも新聞も見ない。専らツイッターで情報収集している。」というつぶやきがあって
そんなやり方もあるのか、と時代の変遷を感じ驚いた事がありました。

私の尊敬する梅棹忠夫先生が「情報の送り手と受け手という区別はもはや不要」と著書の中で述べているのも思い出します。

情報のやりとりが個人レベルで行われるのが主流で、皆が同じように同じ番組を観ることが時代遅れになる日は案外近いかもしれません。
楽しみですね。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>大阪のオバチャン 様
ありがとうございます、おひさしぶりです。
そうですね、たしかに友人も含めて、テレビを見ないという人は少なく有りません。
確かに、Twitterを中心としてやっていけるのは(いささか極端ではありますが)事実だなと思います。私自身、ネット以外で情報を入れるのは稀になりました。

テレビが時代遅れになったとき、流行を追いかけるだけの人は、どうなるのか、それが楽しみです。