2011年8月3日水曜日

中島みゆきの歌詞 私の解釈 その第1回「夏土産」

中島みゆきは、自分の歌詞の解釈を聞き手に任せます。それは、私にとって嬉しいことであり、私もその精神に則って、自分なりの解釈をしていこうと思います。

解釈は人によっても異なりますが、時によって異なり、心によって異なり、状況によって異なるものであると思います。同じ曲を複数回出すこともあるかも知れませんが、それは状況や時が変えたということと考えてください。

今月は開始する月なので、少し大幅に、普段の2倍中島みゆきです。
8月に予定している第1回〜第6回は、1の位が3または8の日に「夏特集」としてお送りします。

夏特集の第1回は「夏土産」です。
歌詞はこちら


この曲はあの「ファイト」が入った名盤「予感」の2番です。予感という、未来を示すようなアルバムタイトルと、土産という、過去を示すような曲に、何のつながりがあるのだろうかと思います。

この曲での夏土産は、実は恋人への、悪い予感、それも確信に近い予感を示しています。それは、訪れるであろう失恋の時への予感です。その予感を持ちながらも、まだその失恋を受け入れることができなくて、悲しみ、吹っ切れていないような様子を表していると思います。その様子に、切なさよりも怖さを感じる、と「全くの初心者による中島みゆき全曲解説」のこの曲の記事に書かれています。

失恋を予感させる、それがこの「夏土産」と「予感」の関連なのではないか、と私は思うのです。その失恋の予感は嘘からなっていて、そこを中心に解釈なさったのが「中島みゆきの歌と共に生きてきた」の記事であると思います。

一方、「中島みゆきの歌と共に生きてきた」の方とは違う視点として、私はこの曲を、アルバムタイトルに近づけてみての解釈をしています。ミクロな方向かマクロな方向かの違いとも言えるかもしれません。

夏土産の内容は、この曲では決していいものではなかったかもしれない。でも、それは何かの予感を示すものだ。我々にとっても、土産ではなく、夏土産は何らかの予感を残すのではないか。単なる土産ではない、我々が普段しないような経験もある夏の、その土産、夏土産だからこそ、我々は次への予感を、そこに感じることが出来るのではないか…。

タイトルが土産ではなく、夏土産であること。それは、夏という素晴らしい季節が、何らかの予感を残していくことを夏土産としたからではないのか、と思います。


※ この解釈は、あくまで私の一解釈であり、正しい・誤りであるというのを書くものではありません。一つの見方として受け取っていただければ幸いです。

※ 扱って欲しい曲がありましたら、コメントでお書きください。

※ 他の解釈が載っているサイト、もしくは自分なりの解釈がありましたら、コメントでお書きください。

2 件のコメント:

つきみそう さんのコメント...

 夏土産。哀しい内容を、夏に吹く気持ちの良い風のようなメロディーでサラッと歌ってますから、余計に哀しいですね。

 予感は名盤ですね、1曲目の「この世に二人だけ」からして、哀しい中身だけれどメロディー曲はやわらかです。「誰のせいでもない雨が」なんかは、メジャーなカラオケに入っていないので「お、政治的配慮?」なんて思ってしまいましたが、先日立ち寄ったお店では歌うことが出来ました。このアルバムを聴きながら、夜の道をゆったり走るのが好きです。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>つきみそう 様
ありがとうございます。
予感も名盤ですね。誰のせいでもない雨が、も好きです。
夏土産、夏の曲でありながら、しかし夏の曲でないような、不思議な感じを与える曲です。

今後もこの連載続けますので、ぜひコメント等お願いします。