2010年7月26日月曜日

自分以外の誰かでありたいと思う日

日々に色々とある中で、ここ数年に幾度も感じている「自分以外の誰かでありたい」という気持ち。天邪鬼で目立ちたがりで自己顕示欲の強い私でも、自分以外の誰かでありたいという気持ちを持つ日は少なくありません。それは、自己嫌悪から来ることもあれば、自分自身の苦しい状況・辛い状況から来ることもありますし、自責の念、あるいは異端として扱われること、自分自身の持つ、人からは「正義感」と呼ばれるもののためということもあります。

自分という人間が特殊に扱われることは嫌というほど経験済みなのですが、それでも辛い日に、何よりも強く自分以外の誰かでありたいと、もっと普通でありたいと思います。
より加えて言うならば、自分よりも強い人に一切無思考で従ってしまいたい、思考力があるために自己矛盾を起こしている自身から解放されたいという気持ちでもあります。

世には、軽犯罪を起こしても都合の良い言い訳で逃げる人がいます。私自身もそんなひとりなのに、それを無理して諌めようとするからかえって辛くなる。

周囲が悪いと思っていても、また、それが正論として悪いと言える状況であっても、孤独になり、自分ひとりが敵として扱われる状況では自分自身がもっと弱ければ、ただ無思考に正論でなくとも悪事を重ねられればもっと楽だろうと考えることもできます。身を落とすということになるのかもしれませんが、それでも自分以外の誰かであれればもっと楽だろうと考えたのは一度ではありません。

自業自得で辛い状況に陥って自分以外の誰かでありたいと思うのは単なる身勝手な逃げであり、許されるものではありません。でも、自分自身が正論を吐いていて、それで辛い状況を続けていかなければならないのであれば、そこで無思考へのある種のあこがれを感じてしまいます。

無論、思考停止して日々を漫然と過ごしているような人間は人間と呼ぶに値しませんから、私の言っていることは人間であることを辞めたいと言っているのと等価です。完全な無思考状態で、ただ誰かに命じられるままに動く状態は、人間のあるべき姿とは遠く離れたものですが、人間が人間である事の辛さに比べれば、ずっと魅力的に見えてしまう世の中です。

他人と違う状況の自分が悪いのかもしれませんし、自分自身が思考してしまう程度に賢いのが問題なのかもしれません。テストにはただ解答を暗記して望み、自分より力あるものであれば無批判に従い、それをまた下にも強要する、自分がそんな存在であればどれだけ楽であろうかと思います。世間一般に賢いと言われるようなステージでも、そんな無思考の人間と呼びがたい存在は存在します。いや、むしろ敷かれたレールを走るだけという意味では、賢い、エリートと言われる人間ほどそうなのかもしれません。

先日書いたとおり、私は策士です。それ故、自分に考えつくほぼ全ての状況を想定します。無論、人間的弱さもありますから、想定して常に最善の状況を取れてはいませんが、逆にその想定故に無思考の人からは理解できない返事をすることもあるようです。

ある人が私のことを「使えない人間」と呼んでいました。別の人は、「組織の下で働くには賢すぎる人間」と評しました。様々な状況を想定し、それを納得しなければ動かないというのであれば、確かに動きさえすればいい機械的作業を行う存在としては極めて不便です。そして、強気の時であれば、それでいいとさえ思うこともあります。使えない人間というのは自分自身が思考停止しているという愚かさを晒している発言だとさえ思います。けれども、そんな無知蒙昧なる存在に羨ましさを覚えてしまうこともあります。それは私が愚かなのでしょうか。それとも「組織の下で働くには賢すぎる人間」である以上、仕方が無いことなのでしょうか。

もしも何かお考えがあれば教えてください。…コメントを書けるような方は、私が羨みつつも蔑んでいる思考停止した存在ではないでしょうから、私自身が身勝手ながらもヒントを得られるかもしれません。

7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

達哉んさんへ。
このブログの「中の人」の身近で生活している読者です。
これまでもブログを読んでいて、疑問に感じていたり、嫌悪感を抱くこともあったけれど、こういう場所でしか晒せない達哉んさんの一面なんだと我慢していました。
 
だけど、もう限界です。
ブログとはいえ、ネットは公に開かれています。
 
その公の場所で、達哉んさんが、自分自身をどんなに誇張したり、虚勢を張っていても構いません。
(たとえば、度々出てくる「講義」とか「スピーチ」とかは、実際を見聞きしている身から見たら、滑稽この上ないです。達哉んさんを直接しらない読者に大いに誤解を与えていると思います。)
 
 
私が言いたいのは、これ以上周囲の人を貶めるような記述をやめてほしい、ということです。
 
 
「テストにはただ解答を暗記して望み、自分より力あるものであれば無批判に従い、それをまた下にも強要する」って、本当にそんな方々ばかりですか?
もしかしたらそのような方が一部にはいるのかもしれませんが、達哉んさんの周囲にはそのような人間ばかりがいるような印象を読者に与えるように感じます。
そして、その目的は、達哉んさん自身を美化し、孤高のように自画自賛しているように読めるのです。
 
 
そのような自己陶酔に浸ることを否定はしません。
 
 
ですが、その記述によって傷ついたり、実害を被る人間もいることを、心に留め置いてほしいのです。
 
達哉んさんが自分自身が書いた文章で恍惚に悶えているとき、悲しみに囚われる読者がいます。
どうか、そのことを銘記してほしいです。
 
その上で、二点付け加えます。
ひとつは、このブログでこれまで貶められてきた周囲の方々は、みなさん素敵な方ばかりです。
ときには、欠点もあるかもしれないけれど、数多くの美点がある、普通の人間です。
(先輩も含めて、公平な目で「普通」と感じます。)
たぶん、達哉んさんもそうだと思います。
 
ふたつ目は、達哉んさん、あなたは、自身が書かれた他の先輩のように、直接指摘したり、意見をいうには抵抗を感じる方でした。
ブログには、後輩の面倒見の良さを自画自賛していましたが、決してそのような面だけではありません。
少なくとも私には達哉んさんに直接意見する勇気が湧きませんでした。
なので、こうしてコメントとして寄せることとします。
 
 

匿名 さんのコメント...

もうひとつ、続けてコメントを寄せます。
 
達哉んさんを「使えない人間」もしくは「組織の下で働くには賢すぎる人間」と評した部分です。
 
これに関して、読者に考えを募っていますが、本当に自分自身に益する忠告や意見を得ようと思っていますか?
そもそも、問いかけに至る文章のいたるところに、周囲の人間を蔑視する達哉んさんの傾向やバイアスを感じずにはいられません。
「無知蒙昧なる存在に羨ましさを覚えてしまう」のくだりとかは、その最たるものです。
 
個人的には、そのような目線でしか世の中を捉えることができない達哉んさん自身に多くの問題点が内在しているように感じます。
そのように表現することでしか自己を立脚できないのではないかと、読んでいて悲しくなります。
 
これらを前提にして、達哉んさんに、心の底から言いたいことがあります。
 
 
「最低限、やるべきことを、ちゃんとやりましょう!」
 
 
話しはそれからです。
私が見る達哉んさんは、「使えない人間」以前です。
「組織の下で働くには賢すぎる人間」とは言い得て妙な表現です。
この表現で自分をごまかし続けることも結構ですが、やるべきことをしっかりとしてから大言を吐いてください。
特に、共同生活における無責任な言動は皆が迷惑しています。
達哉んさんが言いだして始めたのに、そのまま停止してしまって、振り回されっぱなしな周囲はいつも困惑しています。
周囲は、達哉んさんも困っているに違いない、といつも善意で取り繕っていますが、そのような好意を台無しにするブログの記述は読んでいていつも悲しいです。
 
 

神戸で会いましょう さんのコメント...

 まいど、つきみそうです。

 先に2つコメントが付いておりますね。こうして、人は磨かれていくのだなぁ、と、他人事だから呑気に見ております。

 でもね、コンピュータにも再現できない、この人間の曖昧さ、いい加減さ、そういうものが実は、それ自体「プログラムされた」ものであると、私は思っているのです。

 冗長度がきわめて緻密に、高度に設定されている、と、これまた訳のわからん言い方でしょうが、ここで頷いてしまう、これまた人間というシステムの凄いところです。

 それでですね、若い頃に苦しんだ人ほど、後にシステムが洗練されていくのだと思うのですよ。

 私は、日頃Blogで達哉んさんが書かれていることも真実ならば、私の前に2つコメントを寄せられている「中の人」が書かれていることも真実だと思うのです。それらは、達哉んさんも血の通った人間だということ、あまりにも不完全で、なおかつあまりにも高度な、人間というシステムがしっかり機能しているんだということの証明ではないかと。

 ま、こういう無責任なことを書き散らすのがオッサンのオッサンらしいところ。でも、そんなオッサンですら、思い悩むこともあるし、異性を想って胸が痛くなることもあるのです。

 もし、悪魔が一つだけ願いを叶えてやろうと申し出てくれたら、「自分がこの世に存在しなかったことにして欲しい」と頼みます。最高でしょ?

another person さんのコメント...

お久しぶりです。
another personです。
実は(なんか少し心配なので?!)いつも読ませていただいております。
神戸に帰ってこられた時は,またPen and message.で万年筆や研究などについてお話したいです(^o^)。

ところで,率直に思ったことを書かせてください。
人間みな策士だと思います。
「思考停止して日々を漫然と過ごしているような人間」や,「テストにはただ解答を暗記して望み、自分より力あるものであれば無批判に従う人」も,自分にとっての最適戦略をとっているにすぎないと思います。
回答者がテストのために丸暗記するのは,「出題者は丸暗記でも良い点が取れる問題を作るだろう」と予測し,暗記のみという(その個人にとっての)最小の努力によって,よい点を取ろう」とする戦略です。これも策のうちだと思います。
まあ,結果的に将来,日々漠然としたり,丸暗記することによって何らかの損することがあっても,その個人の行動の結果ですから,それは個人の自由だと思います。

あと,お節介ですが,多くのクラスメイトが観ているであろうと思われるブログに批判と受け取られるようなことは書かないほうが良いのではと思います。
過去に私が経験したのですが,大きなトラブルを招くことがあります。

こんな反対意見のようなことを書きましたが,また笑顔をみたいです。

達哉ん さんのコメント...

>匿名 様
コメントありがとうございます。
私の意見への問題点の指摘、ありがとうございます。いや、むしろ私の書いていること全体への指摘ですね。
私自身の文章の書き方は当然未熟ですし、また、万人に好かれる人間でもないですから、私に大して意見を寄せ難い人もいてしかるべきだと思っています。また、私自身がもともと自己顕示欲の塊のような人間であり、"これ以上周囲の人を貶めるような記述"はそれを狙って書いているつもりは毛頭ありません。もちろん、そのような記述があることはお詫びいたします。このblogは誹謗中傷が目的ではないですから、もう少し別の面から書くべきなのでしょう。そして、"好意を台無しにしている"というならば、もっとはっきりと嫌われるべきだと思いますし、それを感じられない鈍感な自分がいることも事実です。
目立ちたがり屋ゆえの傲慢、思い上がりというものでしょうか。自分自身ではやっているように見えていても本来は出来ていない、なのに色々と言う、そんなバカな面があるのも事実です。
ある意味で、このブログは自分の愚かさをさらけ出すためにあります。読んでもらって「傲慢な上に愚昧なやつだ」と思ってもらえるようであれば、私のブログは成立しています。自分自身の存在の証明のためにこのブログをやっているようなものですから…。
私の自己顕示欲の際たるところは存在証明というところにあります。自分が他者にとってはっきりとした存在でありたいという馬鹿げた欲望です。
欠点だらけであることを隠そうとする自分がいる、それは誰しもが気づいていることだと思います。私はその傾向が明らかなまでに強い。そして、それが情けなさ、結論としては「自分という人間の弱さからの他人になりたいという願望」に結びついています。

限界となるまで読んでもらってありがとうございます。
そしてなにより、誹謗中傷と取られる投稿、申し訳ないです。

自分自身の未熟さ故ですが、その愚かさを晒すためにも、続けていきます。無理にとは言いませんが、私自身の愚かさをまた指摘していただければ幸いです。

達哉ん さんのコメント...

>つきみそう 様
コメントありがとうございます。
"悪魔が一つだけ願いを叶えてやろうと申し出てくれたら、「自分がこの世に存在しなかったことにして欲しい」"、まさにそのとおりで、以前それに賛同した時よりももっとずっと強くそれを感じています。私自身のつまらなさを本能的に自覚していることがより明確になってきたのかもしれません。
以前ほど衝動的に死にたいと思うことはなくなりました。今は、常に選択肢に「死」を入れている状況です。自分の忌憚ない、愚かな発言で死ねるならば楽だとすら思います。私の発言を読んだ人たちが私の事を疎み、自分自身の愚かさのつけで、誰にも助けられず孤独に死ぬ、それが一番楽な気がします。

私自身の考えが正確無比、唯一無二のものであれば話は別ですが、むしろもっと別の、多くの色眼鏡を通過した、異常なまでに偏った意見が多いのは眼に見えることです。それが「人間というシステムがしっかり機能しているんだ」ということでもないだろうかと。

いろいろな意見を見聞して、自分自身の存在を消して欲しいという結論はよりはっきりとしてきたように思います。

達哉ん さんのコメント...

>another person 様
コメントありがとうございます。お久しぶりです。また、ご心配をおかけして申し訳ありません。ありがとうございます。
"人間みな策士"という観点はありませんでした。なるほど、無思考に見える方法もある一種の策だなぁと納得できました。自身の策しか眼に見えていなかったということなのだろうと思います。
また、ご忠告のほど、ありがとうございます。度々…幾度になるかもう数え切れぬほど指摘されている"批判と受け取られるようなこと"の記述ですが、意図せざる批判、あるいは自分の意見の修飾の為の批判的記述、自分の文章力の無さを痛感します。
実践せねば上達しないと言うことで、また愚かな文を書いているわけですが、批判的な記述を書かずして納得いく文章を書けないのは自分の情け無さだと思います。

もっと文章力を鍛えて、批判的な記述をなくして自分の意見が言えれば…と思います。そして、その上で、Blogを使っているので、トラブルのたびに気づくのだろうと思いつつ、また今日もヘタな文を書いています。