2012年10月7日日曜日

邪推する性質

邪推癖、というのでしょうか。主に人からの自分への目線ですが、そういうものを邪推してしまうような、そんな性質が自分にはあります。好きでやっているわけではなく、しんどいことなので辞めたいのですが、そう思ってやめられるものでもなくてちょっとしんどい。

例えば、何かに誘った時「いや、ちょっと・・・」と断る人。ちょっとの後になにが続くのか、たいてい邪推してしまいます。といっても、続く邪推は大抵「いや、ちょっと貴方と一緒というのは…」です。当人は用事や体調で断っているのかもしれませんが、つい「貴方のことが嫌いだから」ととってしまう。あんまり多く不明瞭な理由で断られる場合などもこの部類です。寧ろ「嫌いだから」と言ってくれたほうが楽です。

色々あったから、基本的に自分は嫌われていると思っています。あるいは、変わった人間だから、自分のことを敬遠する人も少なくないと思っています。だからでしょうか、私はどうしても嫌いなのかというのが先行してしまうのです。自分が一番つらい時に、この邪推癖にはより辛い状況まで追い込まれたものです。

逆に、向こうから話しかけてきてくれたり、断るときでも別に悪びれず「用事があるんですよ〜」と明るく言ってくれたりすると、随分救われます。あるいは、話している時に楽しそうにしてくれていたり、挨拶する時ににこやかだったりすると、それだけでも全然違います。

邪推しようなんて思っていないけど、自分が好かれると言えるほど万人受けする性格ではないことは百も承知だから、つい、嫌いなんだろうかって思ってしまいます。多分、当人は私のことを嫌っていないだろうけれども私が邪推して「嫌なんだろうな」って離れていった人もいるでしょう。もったいないよな、って思います。

自分の邪推癖をなおすのはとても難しいことだろうから、せめて、忍耐力をつけて「嫌いなんだろうな」って思っても付き合ってみるとか、相手に邪推の余地を与えないような受け答え・態度を取るとか、そういうところに気をつけていきたいな、って思います。

ふっとFacebookを見たら、昔「嫌いなんだろうな」とか「私、この人あまり好かんな」って思った人が、普通に「友達リスト」に入っていますから…。

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