2011年8月12日金曜日

「堂々」たること

飲酒運転していることをTwitterで流して個人特定され、捕まったという東大生の話を見ました。このことを「馬鹿だ」という人がいましたが、私はそうは思いません。飲酒運転をすることがいいとは全く思いませんが、でも、私はその人を馬鹿だとは思いません。

飲酒運転でも何でもそうですが、自分が正しいと思うことは堂々とやればいいのだと思います。自分が正しいと思うなら、ですが。

芥川龍之介「羅生門」といえば、多くの人が読んだことのある小説ではないでしょうか。その中に出てくる老婆は、死人の髪を引き抜くときに、それは自分が生きるためだから問題ない、と言っています。それが我々にとって正しいかどうかは別として、当人にとってはそれが真実であって、堂々としている。

同じことで、自分が正しいと思うなら、堂々とやればいいのです。

万引きもそうですし、殺人もそうです。別に、自分がそれを正しいと思うなら、堂々とやれば良い。そしてそれを罰せられるなら罰せられればいいのです。逆に堂々と繰り返しているうちに、その主張が伝わる可能性もあります。無論、私は万引きや殺人には(言うまでもなく)反対ですが。

このニュースになった東大生は、狡がしこくはないかも知れません。世の中には狡猾に、自分の悪事をかくしてしまう人が多くいますから、その意味から言うとこの人は馬鹿と言われてしまうのかもしれません。でも、私はそんな狡猾な人よりも、これだけ堂々としている人のほうが、さっぱりしていていいと思います。

自分が悪いと思っていることはするべきではない。
自分が悪いと思っていないならば、それを堂々とすべきだ。
堂々とした結果がどうなっても、その責任を自分でとればいい。

今、このようなことを書きましたが、普通、正しいことは誰しも堂々とします。対偶をとれば、コソコソやっているのは自分でも悪いと感じている、ということです。もちろん、隠れてやることに意義がある物…例えばサプライズプレゼントなどは別ですが。

人を殺すなら、刑事のいる目の前で殺せるぐらいになってからだと思います。
そうでなければ、自分でも悪いと思っているでしょうから、止めればいいのです。

ある、一般に罰せられる行為をやるのであれば、それを罰せられる権限を持つ人の目の前でやれるぐらいになってからやるべきです。それぐらいの主張や真剣味がないのであれば、悪いと思っていることでしょう、やらなければいいのです。

暴走族はわざわざ警察の目の前で暴走します。私、はじめはなぜかわかりませんでした。でも、今ならなんとなくですが、わかります。彼らは彼らの主張をしているのである、と。私には賛同できない主張でしょうが。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

通りすがりの者です。
この記事について思ったことを書かせて頂きます。

まず、この記事を読んでも件の東大生は「さっぱりした馬鹿」という印象にしかなりませんでした。
この東大生のことを「馬鹿だ」と評している人は、一般に罰せられる行為を「 堂 々 と 」やるもののことを「馬鹿だ」と言ってるように思えます。
まあ本題と関係ない揚げ足取りなので軽く流してください。これはこれで、議論車同士で定義の統一がはかれていない議論は無意味という話になるわけですが・・・。

さて、本題です。
世の中にはどっちとも言いがたい状況というものがあるのではないでしょうか。
自分のやりたいことでもあり、その正しさを自分でも確信している、しかしその時の自分にはがその行動を取ることは許されない。
その逆に自分もやりたくないし、間違っているなと思いながらも、やらなければいけない状況というものもあるでしょう。

羅生門の老婆は堂々とした発言をしていますが、その中に自己矛盾をはらんでいることは誰にでもわかることです。
この老婆は自己正当化をしているにすぎないし、自分の行動が悪いことは老婆も(暴走族も)わかっているでしょう。(暴走族に至っては間違っていると思っているからこそ堂々としている節もあります。)
しかし悪いことも生きるためなら仕方がない。これは当人にとって真実ですが、当人が正しいと思っているかは別問題です。

この記事の主張は「自分の正しいと思ったことは堂々とやれ。正しいと思っていないのならやるな。」というものだと思います。
しかし現実はそう単純ではないはずです。人間個人の心のような問題を単純な二項対立にしてしまうのは詭弁というものです。

この点についてどのようにお考えでしょうか。

記事を読んで思わず書いてしまいました。非礼、駄文をおゆるしください。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>匿名の方
コメントありがとうございます。
主張は概ねそのとおりです。
ただ、私の文章がマズイためか、もう少し補足がいるかもしれません。

おっしゃるとおり現実的な行為について正しいのを貫くことは難しいと思います。また、間違っていると感じてもやらなければならないということもうなずけます。

私の主張は、より正しく言うならば、
「自分にやるかやらないかの権利があって、それを悪いと思うならばやるな」ということです。

あくまで単純化したモデルですので、実際は割り切れないと思います。ただ、何の条件もなく、任意に、柵などもなく考えられるのであれば、悪いと思うことをやるべきでない、という、至極当たり前のことをいっているに過ぎません。

先輩に酒を飲むように言われた未成年が、それを断れないケースがある。それについて攻める気はありません。
でも、自分一人で、それを隠れてやるのはまた違うことである。
後者のような、自発的に悪いことをするのはやめておけ、というのが、私の主張です。一意見として読んでいただければ幸いです。

Volcanologue さんのコメント...

貴君が定義しているのは故意性で馬鹿とはまた違う行為なので,私の定義で馬鹿を定義すると「敢えて自ら不利益な行為をする」でしょうかね.であれば,冒頭の学生は十分に馬鹿でしょう.

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>Volcanologue さん
ありがとうございます。
私、この東大生がどういう意図で書いたのかはわからないんですけども、あえて不利益を承知で、飲酒運転していることを晒し、飲酒運転に関する法律は厳しすぎるって言いたかったんじゃないかな、って思うんです。こういう思慮がなければ単なる馬鹿げた行為ですが、こういう思慮のもとやってそれが裏目に出たのであれば、それを、「雉も鳴かずばうたれまい」と嘲笑っている人よりよほど立派だなぁ、と。実直なまでの「バカ」かも知れませんが。

そういう深慮熟考がなくて、もっと軽率な気持ちで書いてるなら当然馬鹿です。非常に善意的に解釈してみたとき、確かに素直すぎるという意味でバカかも知れませんが、裏に主張があるのなら、そこまで否定的に嘲ることもないんじゃないか、って思うのです。