2011年7月9日土曜日

早めの暑中見舞い

先日、知り合いから暑中見舞いが届きました。暑中見舞いとしては早いと言っておられましたが、大切なのは時期ではないと思います。

温度計と季節は必ず一致するわけではなく、また、人間の間隔の季節と天気の示す季節は意外とズレがあります。古典的な暦の季節と、現代の我々の間隔の季節が又違うのも同じことです。

暑中見舞いを送る本意は暦に合わせて手紙をすることではなく
「暑い中に相手を気遣う」
ということですから、その知り合いの送ってきた暑中見舞いは全く時期はずれではありません。暦の目からは時期はずれなのかも知れませんが、それが時期はずれであると笑うのは本義と違います。新年に伺うことができないために送る年賀状と違うのがそこであると思います。

年賀状は新年に伺うべきところ伺わないから、挨拶を略式ですませる為、というのが本義です。それ故、新年という時期があります。松の内に送らなければ、年賀状とは少し違うものになります。
一方で、暑中見舞いは、暑い時期に相手を気遣った見舞いに伺うべきところ、それはさすがに大変なので…というのが本義です。概ね大暑に出しますが、これは暑い時期に、という意味であり、決して大暑付近に出さねば、というものではありません。立秋を過ぎた暑中見舞いも(言葉や暦としてはおかしいですが)、決して変なものではないと思います。

暦を守ることに大切になりすぎるがあまり、本来守るべき心をおろそかにしていないか。毎年の暑中見舞いの際に思っていたことです。そして、それを自分で達成出来ていないと思ったから、私は今年、暑中見舞いを真剣に考えて、自分の出来るように変更することにしたのです。

その、少し早いと思われる暑中見舞いは私に、再度暑中見舞いを自分で考える機会を与えてくれました。早くても心があればいいのだ、という、暑中見舞いの本義を与えてくれたことに感謝すると共に、私はその暑中見舞いを大切にしまいました。

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