2011年6月26日日曜日

理系的思考の重要性

世の中の重要な位置にいる人の多くが文系で、また、高校の状況などを見てみても、世の人口は文系のほうが多いでしょう。テレビのクイズ番組で、高校で習うような英単語や漢字は出ていても、sinπの値を答えるようなごく簡単な問題が出ていないのも、一つの例だと思います。∫xdxを計算せよ、ぐらいクイズ番組で出してもいいと思うのですがね、普通にフラッシュクイズのレベルですし…。

ともあれ、この記事では、理系的思考の重要性について、少し書いてみたいと思います。

文系の人皆がそうだとは言いませんし、また、理系の人皆が理系的思考だけとも言いませんが、非常にしばしばあるのは数字の話などです。

タウリン1000mg配合、とリポビタンDは宣伝しています。で、これ、どれぐらいの量でしょうか。タウリン1gですね。タウリンの密度は1.734g/cm^3ですから、タウリンは1mlにも満ていないことがわかります。1mlにも満たない物をあれだけ大々的に宣伝しているのか…という気になります。
と、これは中高生ぐらいの人がよく言う洒落。では、これは実際どんなところかというと、「杏林予防医学研究所 予防医学ニュース」によれば、
「薬理的効果を期待するには最低でも0.5g、出来れば1日3〜6gの摂取が必要」
とされています。であれば、この量は決して少なくないわけですね。

ここで大切なのは、対象となる物、多い・少ないの概念です。
グラム数にして少ないかも知れませんが、必要な量としての割合で見れば、十分な量を占めているのです。

もっと簡単な例を出してみます。
10cmのものに1mmのズレがあるのと、100mのコースに1mのズレがあるのでは、どちらが大きいと思いますか?どちらも同じ割合です。ところが、どっちかのほうが大きいと答える人がいる。相対誤差は共に1%であるにもかかわらずです。
でも、ここで真に問題になるのは、その要求精度です。自転車で行く時に交差点から交差点の距離が100mと書いてあるのに101mだったのと、何かを設計するのに誤差0.5mm以内の10cmの棒がいるのとでは、10cmで1mmのほうが大きい問題であるとわかります。

大切なことは数値を用いるということではなく、数値を用いるにしても用いないにしても、それがどのように寄与するかを考えることだと思います。

「農薬には発がん性があるから無農薬野菜のほうがいい」という意見があります。これらの寄与を考えてみます。今度は数値なしにしてみます。
発がん性があることと発がんすることは別問題です。宝くじが当たることがあることと、宝くじが当たることは全く一致しないのと一緒です(一致したほうが嬉しいですが)。
すると、「発がん性があるから」という意見と「発がんする」という意見は全く別の話であると言ってよいでしょう。
それでは次に、無農薬野菜を考えてみます。先の意見からすれば、無農薬野菜に発がん性がないと仮定して話を進めたほうが楽そうです(実際は考えなければなりませんが)。で、仮にないとして、農薬によって保たれる野菜の安全性はどうなるでしょうか?もちろん、農薬は(特に日本の場合)試験があって、本来の役目を果たすものとしていますが。
その安全性が著しく下がる場合、一概に「発がん性があるから無農薬野菜」とは言えないのではないでしょうか。ここまでの議論から言える意見はただ一つ、
「発がん性の観点からは無農薬野菜のほうが低いと言える」
ということだけです。(もっとも、実際は無農薬野菜のほうが低いかどうかわかりませんが)。

論点をよく整理し、命題を考えることが大切です。数値化されたものを指標にすることだけが理系的思考ではありません。論理だて、順序だてて考えるのも理系的思考と言われます。
言える命題と言っている命題が一致しているかどうかを考えてみる必要があります。

「iPhoneやAndroidの登場によりSmart Phoneの売上が伸びた」という命題を考えてみます。
Smart Phone自体は2005年前後に登場しています。私はその時代から使っている一人です。調査によれば、iPhone,Androidの登場の後、これらの販売実績が多いために、Smart Phone全体の売上は伸びているようです。ですから、この命題は真と言えます。
しかし、この命題を拡張した、
「iPhoneやAndroidがなければ現在のSmart Phoneブームはなかっただろう」
という文はどうでしょうか。
iPhoneやAndroidがすごかったのは、その実機としての能力だけでなく、クラウドコンピューティングの身近な方向への台頭と、うまい宣伝が重なった部分に負うところも多いと考えられます。あるいは、AUやDocomoなど、それまでほとんどSmart Phoneを売っていなかった大手キャリアがそれらを売りだしたという要因もあります。これは一概に真偽を判定できる文ではありません。

数値と命題をうまく駆使した理系的思考が必要なことは少なくないと思います。それらの重要性を、忘れている人には再認識してみてもらいたいと思います。

それでは最後に一つ。
「小選挙区制で選ばれた議員のみからなる議会において、その全議員のうち過半数が賛成とした意見は、国民全体のうち過半数の賛成している意見であると言えるか。」
それではまた。

3 件のコメント:

Volcanologue さんのコメント...

せっかくならもう一声:

言える命題と言っている命題が一致=同値である
お粗末でした.
しかし言えない命題って存在するのだろうか?

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>Volcanologue様
ありがとうございます。
たしかによく見る現象ですね。
命題は真偽判定可能ですから、真偽が言えない命題、はないですよね。でも、一般に出る命題って、論理学で言うところの命題の条件を満たしているのでしょうか?

Volcanologue さんのコメント...

だから一般に出る命題は,命題たるの資格を有していない.