2011年2月4日金曜日

立春…寒中見舞いを書けなくなる日に

暑中見舞いと残暑見舞いの切り替わる日を知っている人は少なからずいるのですが、寒中見舞いが余寒見舞いに変わるのを知っている人は、そもそも余寒見舞いを知っているかどうかも含めて、あまり多くないのではないかと思います。というのも、私の友人たちの多くは余寒見舞いという単語を知らないような反応をするからです。

余寒見舞いはもうすっかり廃れてしまったような気がします。それは松の内に出す年賀状という習慣が廃れているのとは比にならないほどの廃れようであると思います。単語すら出ないのですから。

立春、暦の上では春ですが、まだ人間の実感としては春とは思えない。気象用語には便宜上季節を表す語を使っていますが、それとはまた大きくずれています。それもあってか、二十四節気というものを知らない人もいるようですし、歳時記も一部の人だけが持つものという感じになっているように思います。

暦を楽しもうと思います。人間の感じ方とは又違う暦を、楽しもうと思います。先人がなぜこの日を立春としたのか、半月後には雨水と思えるのか。

季節感と暦のギャップを楽しむことで、同時に文学も楽しめるように思うことがあります。和歌などを見るときには、暦を思い浮かべて詠むのも、また一興ではないかと思うのです。

3 件のコメント:

ヘンリー さんのコメント...

おはようございます。「余寒」の文字を久しぶりに見たような気がします。9月9日の重陽(菊の節句)と同じように、最近ではほとんど耳にしませんよね。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>ヘンリー 様
コメントありがとうございます。
そうですね、最近は重陽の節句も余寒見舞いも耳にしなくなりました。季節感を感じるものが街に少ないようにも思いますし、温度以外の季節は、都会から離れていこうとしているのかもしれません。

ヘンリー さんのコメント...

風流さが失われているといわれても仕方ありません。今の季節、巷では余寒見舞いよりもバレンタインチョコの準備に大忙しですからね……