2010年10月12日火曜日

「しんどいよぉ・・・」の一言

10年前、喘息で咳が多く出て体もしんどい時、よく「しんどいよぉ」と声を上げていました。ほとんど泣き声でしたが、それでも、「しんどいよぉ・・・」と言っていたのは随分多かったように思います。

今、自分の体がしんどくても、しんどいと声に出して言うことはなくなりました。何かをやってくれと言うにしろなんにしろ、自分が何かしないと話にならないからです。しんどい日は決して少なくなくて、視神経が痛いのか頭がいたいのか顎関節が痛いのかわからないぐらい首より上全体が痛いようなこともあるのですが、しかしながら、しんどいといったところで、周りは何もできません。薬なども含め、全部自分が管理しているのだから、「しんどいよぉ・・・」は全く意味をなさなくなったのです。

10年の「しんどいよぉ・・・」の差を見て、時の流れを感じます。体がしんどくても、今はもう「しんどいよぉ」ということなく過ごす自分がいます。そんな中で、ふと気づけば、携帯やなんかでしんどい中でもいろいろな指示を出している自分を見て、休みたいなと思う時もあるのですが、しかし本当に休むということができてない様にも思います。

ちゃんと眠れる、というのを、自分の体が本当に欲する意味で眠ると仮定したならば、いったい私はどれほど眠っていないことだろうか?薬で眠っている自分が、薬の影響を離れて、その上で十分な時間眠れたのは、どれほど前なのだろうか?…そう考えると、しんどいよぉと言えていた時代も懐かしく思えます。その頃には、眠れないことなど、ほんの少ししかなかったのですから。

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