2010年12月15日水曜日

年賀状受付開始に思う

今日12/15といえば、年賀状の受付開始日です。ということからわかるとおり、今回のブログは年賀状が話題です。

私は基本的に、既製のイラストが入った年賀状に、多めの文章を手書きし、宛名も手書きで書いて出す、というスタイルです。出す人数の多さを考えれば、手書きというのはかなり勇気のいる選択ですが、それでもなんとかかんとか出しています。

で、今回書きたいのは、もらった年賀状をどう扱うか、についてです。
と言っても、年賀状をもらったらそれについて返すかどうか、とか、捨てるかどうか、といったような、人の挨拶をないがしろにするような事について論ずるわけではありません。年賀状は挨拶であり、挨拶されれば返すのは人として当然の礼儀だと思います。それがあまり行われていない、ということについては本ブログでも幾度も書いたことですが、これについての一元論的な話ではなく、また別の話で、年賀状をどう見るか、というのが今回の話です。

プラチナが年賀状を書くコンクールを行っていて、それについては肯定的に見ています。その横でやっている、一部製品に特典がつくキャンペーンのほうがより魅力的だと思います。このことについては、以前このブログで書きました。ですが、これは個人レベルで行うべきではない、と思うのです。

小学生の頃、確か3年生の時だったか「年賀状コンクール」というのがありました。年賀状を書きなさい、これを年始に掲示し、相互評価して得点の高い人に賞状を与えます、というものでした。これについては、「誰に対するものでもない年賀状」であり「デザイン性の高い年賀状」を書けば、それで良いのだと思います。しかし、この年賀状コンクールの欠点は、当時は何も思わなかったのですが、今考えてみれば見当たる欠点は、「年賀状は学校の先生に送ってもいいし、学校に持ってきても良い」となっていたことでした。これは「学校の先生に送る年賀状を評価する」ということです。ある特定の人に送る、特定の人に当てた年賀状を第三者が関与してそれを評価する、ということです。ある特定の個人に当てた手紙を、関係の無い人が評価する、というのは、まったくもって気分のいいものではありません。その善し悪しにかかわらず、です。

そして同時に、「来た」年賀状について、自分自身が評価を下すのもまた不要なことであると思います。この人は悪筆だ、この人はデザインが上手い…などと、そういった「評価」はあるのかもしれませんが、何よりも「挨拶をしてきた」ということが肝心なのではないかと思います。心がこもっていれば、別に悪筆だろうが、どこかで見たことのあるデザインだろうが、関係ありません。そこを勘違いして、年賀状を「評価」する人がいますが、実に無意味なことであると思います。

私は御世辞にも達筆とは言えません。文章も稚拙なものですし、イラストは既製の印刷されたものです。それでも、相手の喜ぶ顔を考えて、一生懸命に年賀状を書いています。その年賀状が「評価」されるような事は想定していません。心のこもった挨拶をするということが大切なのであって、デザインが美しいだの、字が美しいだのというのは年賀状に必ずしも必要なものではありません(美しいに越したことはないですが・・・)。

勘違いした「評価」をするのは無意味です。年賀状の文章がうまいとか、字がうまいだとか言うのは公言する必要は一切ありません。そんな「評価」よりも、自分が年賀状を出していない人から来たときに、その人の心遣いに感謝して挨拶を返すということ、それから、年賀状を返してこない人をどうしたのかと心配することのほうが、年賀状の意義からすれば、より大切な事ではないでしょうか。

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