自分以外からは何か学ぶところがある。それが「我以外皆我師也」の意味するところであり、それはわかるのですが、実際それを心がけて生きようと思っても私にはいささか無理だなと思うのです。
自分に合わないな、と思う人は誰しもいます。私はアクの極めて強い人間なので、合う合わないがきっぱり分かれています。それは立場的に師という人から、友人や後輩に至るまでそうです。
ある人と合わないときに、それをその一面で判断して切り捨てるのは早計と言う時もありますが、それがあまりに目に余るような一面の場合、私はその人と付き合いたくないな、と思います。反面教師という意味では「師」なのかもしれませんが、正直「師」としたくはないなという。例えば、以下に示すようなことが常になっている人ですが・・・。
・立場が上の人相手にはたとえ当人が何らかの(致し方ない)事情があったとしてもそれを無視して強制させるような人。最も手近な例は酒ですが、それだけにはとどまらず、愚かなことを強制させる人もいます。自分が酔っ払うだけでもいただけませんが、それ以上に、他人に許容量など関係なく飲ませようとする人は正直お付き合いしたくありません。友人が万引きをしていて、それに来なければ…みたいなタイプも嫌ですね。
・ほとんど無関係なのに(内情を知らず)根拠なく一方的に悪いという人。具体的な例は酒ばかりですが、ずいぶん以前に、高校を卒業した先で未成年飲酒が悪いと言った私のことを、叱りつけた高校教師とか。当事者として中を知っているわけでもなければ、第三者として言えるような意見も聞いてないのにどうして決めつけられなければならないのか、と思います。いい先生に出会ってきましたが、その先生に近況報告をする気はありません。
・ろくすっぽ挨拶も返さず、まるで人のことをロボットと思っているかのように応対する人。事務的な用事とか、あるいは通信関連での返信はともかく、道すがら挨拶しても返事がなくて、みたいな人。コミュニケーションの第一歩である挨拶がいただけないと、会話を弾ませる気になりませんし、いざ弾ませても応対が冷たく感じられます。そう冷たいと思いながらずっと話しても…。
・すぐに罵詈雑言を使う人。例えば「死ね」などとすぐに言う人。正当な批判、根拠ある批判ならばひとつの罵詈雑言「馬鹿」とか「死ね」だとかで尽くせるわけがありません。ボキャブラリーに著しく欠けたるところがあるのかもしれませんが、それでもすぐに罵詈雑言に頼るような方は一緒にいて楽しくないので遠慮願いたいものです。
・これは当たり前の話かもしれませんが、向こうから自分のことを嫌ってくる人。大して話もしていませんが、自分のことを嫌ってくる人というのは(私の場合)少なからずいます。私のことが生理的に合わないとかそういうことがあるんでしょうが、何もわざわざあからさまに嫌われていると思う人と親しくしようと努力する必要はないわけで。あからさまに嫌悪感を出すならば、別にこちらから親しくしようとする道理もありません。
自分で書いてみるとなかなか多いですね。でも、今書いたような点のある人と進んで付き合おうという気はありません。
逆に、普段比較的好意を抱いているような方だと、たとえ自分と意見が食い違っていても、なるほどと参考にしたり、師と仰いだりします。とりわけ、年齢的なものもあってか、文房具の世界にはそういう人が多いです。例えば、このブログにも来てくださる方では、「くまめくり」のつきみそうさん、「万年筆で書く描くしかじか」のkammyさん、「大阪のオバチャンな日々」の大阪のオバチャンさん、「万年筆坊主の日常」のmasaさん、「みずうみのほとりから」のshenさんetc,etc......
我以外皆我師也の実行は、私には正直無理です。でも、万年筆の世界の方々も、友人や後輩・先輩たちも、本当に尊敬できる人がたくさんいる。この世の全て、自分以外誰しもが師だとは言えないけれども、私という人間のことを好意的に見てくださる方々から学ぶことを学ぶのが、私にとっての「我以外皆我師也」の最良の近似です。