2016年7月31日日曜日

「数式は読めません」「プログラムは読めません」の恥

Twitterを眺めていて、興味深いお話がありました。
数式アレルギーの人がぐちゃぐちゃ言い訳しているのを、「それで良しとするな」と言っているお話で、「○○言語プログラミングレッスン」「数学ガール」等々で有名な結城先生のツイートです。
http://rentwi.textfile.org/?759297917043609600s

この話の中で、数式は言葉であるという話が出ており、それと同じことは、例えば気象予報士の真壁京子氏も自著等で書いていることです。これらを見て私が思うことです。

言葉の裏とか、そういう話は全て無視し、単純に意味を理解するというだけの話をします。

「ペンを貸してくれませんか?」日本の学習過程で一般に学んでいるというのであれば、この意味はもちろんわかることだと思います。相手がペンを貸してもらいたがっているという、ただそれだけの話ですね。

"Can I borrow your pen?"これも、日本の学習過程であれば、中学生ぐらいでわかる英文でしょう。「私はあなたのペンを借りることができますか?」と直訳風でも意味がわかるかと思います。

前者がわからなければ恥だとかいう以前に日常生活に支障をきたすのでしょうが、後者であれば「恥ずかしい」ぐらいで終わるでしょう。もしかしたら「英語できません」と言うかもしれませんが、じゃあ今からアメリカやイギリスに転勤になったら、これはハタと困るはずです。

元のツイートで言われている、数式アレルギー云々というのも、これと同レベルの話です。
(x-x0)^2+(y-y0)^2=r^2
という方程式があったとして、この時点で「わかりません」と投げ出すのは、非常に恥ずかしい話です。"Can I borrow your pen?"がわからないのと同等、さらに言えば「ペンを貸してくれませんか?」がわからないのと同等です。
x,yが変数、他が定数だったと考えます。左辺が、点(x,y)と点(x0,y0)の距離の2乗であり、右辺が定数の2乗なのですから、これは、点(x0,y0)から距離rにある点(x,y)が満たすべき方程式です。つまり、「ある点から一定距離にある点の集合」であり、円の定義ですね。
この程度の「数式を読む」ができないで、「数式アレルギーなんで」というのは厚顔無恥であり、なるほど、高卒だ大卒だというのは単なる「看板」だけなんだなと考えます。読めるかどうかは別にして、読もうとすることさえできないなら、数学では何も学んでいないと言われても文句は言えないでしょうね。

同じことはプログラミングでも言えて、まともに読もうとさえしない人がいる。あまつさえ「アレルギー」とか言って逃げている。

以前から似たようなことをずっと言っていますが、そういう逃げをするのは、見ていて非常に不快です。それもあり、このツイートには、かなり共感を抱きました。

「知らないことは恥ではないが、知らないことをそのまま放置するのは恥だ」と、何冊もの本で読みました。私自身もそのとおりだと思います。知らないことであることを恥ずかしいと思わずその上にあぐらをかいているのは、恥知らずにもほどがあると言われても、仕方がないことかもしれません。それでも、当人が当人の範囲でそう言っているうちは、「恥ずかしい人なんだな」で終わります。

しかし、それらの知識が必要になったとき、必要にもかかわらずまだそう言っているのは、単なる逃げであり、責任を取れない愚者であると言われても弁明できないように思います。そして、その恥ずかしい姿勢を後進に見せて、それをなお広めるのは、大きな玉突き事故と形容して差し支えないでしょう。

今、近くに、プログラミング経験が全く無いのに必要になり、必死に学習してなんとかやっている人がいます。大変だろうけれど、その努力を行った人ということで、信用できます。だから、安心して任せられると周囲に言われています。
以前、プログラミング経験が多少あったにもかかわらず、全く努力せず、逃げてばかりの人が近くにいたこともありました。そちらの人に仕事を任せても何もまともにやってくれないというのが、最終的な結論でした。

「やりさえしない」恥を見せびらかすことで信用を失っている人を見る度に、後進がそういった人を反面教師にするように思ってなりません。私は幸い、数学もプログラミングも好きだし、国語なんかの言葉も好きだから、「アレルギーなんで」という必要はありません。ケッタイな性格、好かれるわけでもない人柄、マニアックな趣味だけれども。それでも慕ってくれる後輩がいるというのは、こういうところからの信用なのかもしれないなと感じました。

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