2013年12月17日火曜日

意見は建設的に

7,8年前ぐらいから、"汚い"言葉を出来るだけ使わないようにしてきました。自分 自身がそうあろうと思ったのもありますし、周りの友人たちが「達哉んには汚い言葉は似合わない。ちょっと済ましているぐらいでも良いから、丁寧な言葉を 使った方が似合う」といってくれたのもあると思います。そのおかげかどうか分かりませんが、最近は言葉遣いが優しいなどといわれることもあって、うれしく 思っています。そしてそんな中で、もう一つ心がけようと思っている事があります。それは、意見を言うときには建設的に言おう、ということです。


非常に身近な例で、ある店に行ったとき、残念ながら自分の欲しいものが手に 入らなかったとしましょう。そんな時、「この店は品揃えが悪い」と一蹴するのは簡単です。でも、それでは言われたほうも嫌ですし、何よりどう改善すれば良 いか突き止めるのに労力がかかります。「こういう商品をそろえていてくれれば良かったのに」と言えば、改善につながると思います。それを実際に活かすかど うかはそのお店の裁量にも寄りましょうが、ただ単に「こうだ」と言うよりも、素人考えでも良いから何か改善点を挙げるような方が、糸口になると思うので す。

それを心がけると、不思議と汚い言葉は減りました。単なる罵倒、単なる批判 に終始しないよう心がけているからでしょうか。相当頭に来たときであっても、理不尽な怒り方はしないようになりました。幾人かの後輩に慕ってもらえている のも、それが理由かもしれません。単に文句を言うだけ、単に批判するだけの人であれば、付き合おうとは思わないでしょうから。

日本には意見を言わない人が多い、と言うのはあちこちで見聞してきました。 実際、そういうのがあるから、たとえ建設的であっても意見を言っている限り嫌われる事はあると思っています。「郷に入れば郷に従え」で、それに合わない人 を嫌うような人にも出会ってきました(そして私は、そういう人には概ね嫌われる人間のようです)。「旧態依然としていて改善点がみえていても、それを言わ ずに従うのが良い」「多数派についているから、たとえ改善点があろうとも意見するのは愚かしい」ということを口に出して言わずとも態度で示しているような 人も多く見てきました。意見を言う限り対立する事は避けられないから、少しでも建設的な意見をいって、対立をましなものにしようと思っていますが、それで も合わない部分があるのは確かです。ですから、言葉や内容を心がけて、比較的言葉遣いが良くなったからと言って、それで万人に好かれるような効果は望むべ くもなかったわけです。

「あいつは嫌いだ」と、ただそれだけ言うのは簡単です。しかし、「あいつは こんなところが嫌いだ」と言う方が、将来、好きになれる可能性を残している。私はそう思います。「嫌いだから付き合わない」と割り切ってしまう人もいるの かもしれませんが、嫌って単に無視するよりも、「私は貴方の○○みたいなのを見ていると嫌になるから、話しかけないで」と言った方が将来の可能性になるの ではないか、と思います。

最初嫌った人を好きになった事は、少なくありません。それも、意見を建設的に言っていたからではないだろうか、と思います。意見は建設的に、これからも続けていこうと思います。

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