2013年12月2日月曜日

「ものの言い方」

学生の頃には色々な言葉に出会いましたが、その中に「正論を言うときは少し控えめに言った方がいい」「正論は強いがゆえに、人を傷つける事もある」と言う「正論を通すときに気をつけるべき事」についていったものがありました。これは、ものの言い方について言及したもので、正論だけを対象とした言ですが、自分の中で正論以外も気をつけないといけないという思いを強くする言です。


Yahoo!Japan年賀状でTwitterの友人に年賀状を送ったのですが、そのお知らせメッセージの書き方は、正直いって、あまり気分のよいものではありませんでした。私ならどう書くだろうと色々考えさせられるメッセージでした。この例にとどまらず、日常生活の中で「ものの言い方を考えると、もっと魅力的なのに」と思う惜しい状況は、少なからず見られます(もちろん、ものの言い方だけではどうにもならない場合もあります)。

私のものの言い方は、決して洗練されているとは言えないでしょう。後から振り返って、もっと良い言い方があると思うことも決して少なくありません。失礼がないように、聞いて気分のよくない表現は使わないようにしようと心がけていますが、苛立ちなどが現れてしまうこともありますし、いつも完璧な文章が出来るほど文章力が高いとはお世辞にも言えません。だからこそ、気をつけるポイントとして、正論や苦情を言うときに気をつけるようにしています。何と言っても、取り扱い注意の、人を傷つけうる話題だからです。

急にこんな話を書いたのは、言い方に気をつけねばならないと思うことが、最近とみに増えたからです。人間関係を悪くするような言い方、人に不快感を与える言い方ばかり選んでしまうような、そんな人を目にするようになったのです。意図的にそうしているのではないかと思えるほど、「嫌な」言い方を連発するのです。言われた当人が嫌な思いをするだけでなく、言っている当人も楽しくないだろうなと言う言い方です。

言い方だけで損をしている人もいる。そんな人が言い方について自覚できる機会は稀だから、結局その言い方がその人の性格の一部になってしまう。そうして嫌われるようなこともある。そうして通らない正論もある。嫌と言うほど経験して来た事ですから、それを端から見ていて、特に(不特定多数への意見表明ではなく)特定の人に言うケースを見ていてどうかな、と思います。この人は、ある立場の人に対して、人がいないように見ているんじゃないか、と。

私のように、言い方だけではどうこういえないような性格の人だっています。実際、失礼な話題しか口にしないような人や、偏見を持ってものを見ている人などは、言い方を変えても問題解決にはいたらないでしょう。しかし、数ある人間を見る"目"の中で、比較的見易いところに言い方があるという事は、覚えておきたいです。

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