2013年5月9日木曜日

自分の為と他人の為

この前読んだ、吉田篤弘「なにごともなく、晴天」に、次のように書かれています。

「人が進んでどこかへ通うときは、通う理由がふたつ以上あるという事。ひとつでは、自ら通ったりしない。」

実はこれ、人がなにか、継続的に大きな行動をするときにも当てはまるのではないかと、最近思っています。

人のためだけに何かをする、というのは存外難しいものです。それだから「情けは人の為ならず」という言葉があるのかな、と思ったりもします。人のためだけと思ってしまうと、親切しづらくなってしまうから、それはいつか自分に返ってくると思って、それで親切出来るようにする、先人の知恵なのではないでしょうか。

一方、自分のためだけに何かをする、というのは、人にもよるのかも知れませんが、少なくとも私にはとても難しいです。例えば、自分だけが使うプログラムを書くときや、自分だけが飲むお茶を入れる時、自分だけが見るテレビを買う時…よほどこだわらない限り、「まぁいいや」という感情が入ってしまいます。プログラミングの時には少々汚いソースでも、少々変な文法を使っていてもいいかと思ってしまいますし、コメントもあまり書きません。お茶を入れる時、自分だけだったらティーインフューザーや茶こし付きポットでごまかしてしまうこともあります。テレビなんて、小さくて十分って思ってしまいます。

だからでしょうか、何かをやる時には2つ…自分の為と他人の為の、2つの理由がなければ、と思うのです。例えば、知り合いのPCにLinuxをインストールする作業なんてそれです。自分自身が楽しめると言うのもあるし、知り合いのニーズに答えられて、喜んでもらえるわけです。プレゼントをあげるっていうのもそれで、自分がプレゼントを選ぶ楽しみと、もらった人の喜びの顔、両方があって初めて出来るように思います。

自分のためということと、他人のためという事。長く何かを続けたい時には、その2つを意識していけば続くのではないでしょうか。

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