2011年8月23日火曜日

中島みゆきの歌詞 私の解釈 その第5回「まつりばやし」

中島みゆきは、自分の歌詞の解釈を聞き手に任せます。それは、私にとって嬉しいことであり、私もその精神に則って、自分なりの解釈をしていこうと思います。

解釈は人によっても異なりますが、時によって異なり、心によって異なり、状況によって異なるものであると思います。同じ曲を複数回出すこともあるかも知れませんが、それは状況や時が変えたということと考えてください。

夏特集の第5回は「まつりばやし」です。
歌詞はこちら
この曲は「ホームにて」「時は流れて」などを収録する、初期の名盤「あ・り・が・と・う」の3番です。恋を歌いながら同時に人生を歌ったような感のある「遍路」と生きている人の哲学を描いた「店の名はライフ」の次に、死んだ父に捧げたと言われるこの歌が登場します。

祭りの本質の一つには、寂しさがあると思います。祭りが賑やかであればあるほど、それが終わった後は寂しいし、それから去るときも寂しいし、遠くで祭ばやしがきこえるだけであれば寂しさもひとしおです。そしてこの曲は・・・3つめの寂しさも含んでいるように思います。

祭りは夏であり、そのことからも夏の曲だと思うのですが、この曲が意味する、夏の一番ふさわしい言葉は初盆でしょう。

去年「おまえ」と一緒に来た祭り。でも、「信じられないおまえの最後を知る 眠り始めたおまえの窓の外 まつりばやしは静かに艶やかに通り過ぎる」、その様子の寂しい情景を切り取っている。

その人の死からまだ立ち直ってはいないであろう初盆に、まつりばやしを聞いてその寂しさが強調されて、泣きそうになっているような、そんな曲であると思うのです。同時に、そんな寂しさからは逃れられないから、日々を満足いくように暮らしなさい、という曲でもあるように。

まつりは寂しさあってこそです。その寂しさに自分自身の寂しさも重ねて、死んでいったおまえにもう一度戻ってきて欲しい気持ちを明かしている曲です。


※ この解釈は、あくまで私の一解釈であり、正しい・誤りであるというのを書くものではありません。一つの見方として受け取っていただければ幸いです。

※ 扱って欲しい曲がありましたら、コメントでお書きください。

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