2011年6月6日月曜日

美味しんぼの「タバコ」を「酒」に変えると私の意見に

先日、紅茶の回で厳しく書いた美味しんぼですが、私は比較的好きで、意見はともかく、美味しい物への知見を広めるために(主においしいものだけを)見て読んでいます。まずいとか良くないといったマイナスの評価はあまり信用していないのですが、美味しいという評価は概ね信頼できるので。

この漫画は基本的に(適度な)飲酒に賛成であり、全面的な喫煙には反対する立場です。適度な飲酒のみであり、過度な飲酒で問題を起こしてから「仕方なく」問題を解決する、というパターンがありますので、やはりお酒は適量に楽しく、だと思います。

この73巻の「寿司とタバコ」という話で、煙草の害およびそこから全面禁煙の必要性を説く場面があります。この場面を、酒、厳密に言えば「過度な飲酒」もしくは「迷惑な飲酒」に変えると私にぴったりな意見になったので、それを再現してみようと思いました。

まず、山岡さんの言葉を変えてみます。
「過度な飲酒をする人は、過度な飲酒による害を考えないようにしているか、過小評価しようとする。」
「それは、過度な飲酒は習慣性を持っていて、一旦飲酒ばかりするくせがつくと、それから逃れるのが難しいからなんだ。」(アルコール中毒への警告です)
「だから、酒を飲む言い訳を無限に考えだすのよね。」(日本全国酒飲み音頭が好例です。もっとも、酒飲み音頭は過度な飲酒を進めているとは思いませんが。)

その後、煙草の害に関する説明が続きますが、これを酒に変えて、プリン体やら痛風やら肝臓の話をしても大抵知っていると思われるので省略します。

さて、話は佳境に進み、煙草を吸う人がその周期をまき散らしているのに気がつかない、ということを話すところになります。ここを変えてみます。
「何、この迷惑に気がつかないのか?」
「ええ、過度な飲酒をする人もそうなんです。
自分がどんな迷惑をまき散らしているか、気がつかないんです。
周囲の人に迷惑だからという理由だけでは、過度な飲酒をしてはいけない理由として納得できないとおっしゃいましたが、実は納得出来る理由というのはそれしかないのです。」
「過度な飲酒をする人が、健康を害したとしても、それは飲む人の責任です。
命がけで酒を楽しむというのも人生の選択の一つでしょう。
しかし、自分の楽しみのために他人を不快にしても平気だというのは、あまりに身勝手で、子どもっぽいのではありませんか?」

しばらく飛ばしまして、今度は栗田さんのセリフから。
「酒を飲む人にやめろなどと、不遜なことを言うつもりはありません。
ただ、酒を飲まず、シラフで暮らしている人間が、どんな辛さを味わっているか、思いやっていただけないでしょうか。」
「シラフの人は、普通に楽しく暮らそうと思っています。
シラフで酒を飲まない人にも、普通の日々を楽しませてやっていただきたいのです。」

原文を大きく変えてはいませんが、それでもこれだけのことが言える。私にとって、煙草も過度な飲酒も、どちらも同じように批判できるものです。

酒・タバコは成人してから、といいます。でも、もっと正しく言うなら、
「酒・タバコは大人になってから」
ではないでしょうか。酒や煙草による迷惑を周囲に撒き散らしても平気だという、身勝手さ、子供っぽさがあるうちは、酒や煙草をのむべきではない。マナーを守ってできるからこその楽しみだと、私はそう思います。だから、私が酒や煙草をのまない数多くの中の理由の一つに、「マナーを守って出来る保証がないから」というものがあるのです。

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