2011年6月4日土曜日

「お酒は楽しく」という広告に思う

電車のお酒の広告などには、お酒は適量を楽しく飲むことが良いと書かれています。作り手は楽しく美味しく飲んでもらうようにお酒を作っているのだと思います。お酒を嗜まない私ですが、お酒の文化は大切だと思っています。

そういったお酒の文化に対する冒涜が「迷惑な飲み方」だと思います。そもそも、作り手側は「迷惑をかけるため」にお酒を作っているのではないことが、宣伝からも読み取れます(まぁ、言われて書いているだけかもしれませんが)。

迷惑な飲み方といっても多数ありますが、例えば
・酔い潰すことを目的とした飲み
・一歩間違えば死に至ることもあるような飲み(アルハラ防止協会に多くの例が挙がっていますが、吐きながらも飲ませるなんていうのは論外)
・酔っ払って騒いだり乱行に走る飲み
・ルールを破る飲み
・飲めない人に無理やり飲ませる飲み
なんかはどれも迷惑です。

また、(言われて書いているだけという確率のほうが高そうな気がしますが)お酒は20歳になってから、と宣伝広告に書いています。少なくともこの点について、酒造各社は文責を持ちますから、未成年飲酒をして欲しいとは思っていないことでしょう。

話がそれますが、文責というと、大抵の店に書いている嘘「未成年と思われる方が酒を買う/飲む場合はチェックします」という旨の文章、あれ何とかならないんでしょうか。20歳になりたての人と行ったとき、チェックが入った試しがありません。中学生の頃、父親にお使いに行かされてなんと嫌だったことか(しかも買えましたし)。そんな嘘を書くんだったら最初から書かずに罰せられたほうがよほどいいと思いますが。これ、告発とかできないんですかね、どなたか法律に詳しい方が読まれていたら、ついででもいいのでお教えください。

閑話休題。作り手側の広告を「向こうが意図を持って、また文責をとるものとして書いた」ならば
・迷惑な飲み
・未成年飲酒
はしてほしくないと思って作っているわけです。これに反する飲み方をする酒飲みって、情け無いように思います。

酒好きならば作り手の気持ちを冒涜するような飲み方はできないと思うのですが、如何でしょうか。「酒好き」と「酒浸り」は意味が違うと思います。酒好きというのなら作り手側に尊敬の念こそあれ、仇やおろそかには酒を飲み散らかせないのではないでしょうか。

私は紅茶が好きですから、まず一度は「淹れ方」に沿って入れることにしています。その後、自分流にアレンジしていきますが、まずは作り手の勧める味を楽しみます。それは紅茶が好きで、作り手を尊敬しているからです。「飲めれば味はどうでもいい」という思いで紅茶を入れたことはありません。どんなに喉が乾いていても、抽出時間を変に短くせず、きちんと入れることにしています。

紅茶好きも酒好きも、どちらも嗜好品の種類が違うだけ、という捉え方は違うのでしょうか。酒好きというのは作り手に対する尊敬の念をいだいて酒を飲む人のことを言うのではないでしょうか。上に書いたような、作り手の企図に反する飲み方をする人は、作り手の真心に背いて飲んでいるわけで、そんな人を酒好きというのは、どうかと思うのです。

もっとも、この話は広告に必ず書いてある、「お酒は20歳になってから」「お酒は楽しく、美味しく、適量を」といった内容を酒造各社が心からかいているという前提で書いています。酒造各社が、いやいやこれを書いているのであれば、また話は変わってくるのかもしれませんし、世間一般の実情を見る限りは、いやいや書いているように思えますが。

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