2010年6月24日木曜日

返事という基本

最近、様々にメールを送りますが、「1週間以内に返事をください」と書いたメールに1ヶ月たっても返事をくれない人が多数います。Eメールがまだ珍しかった頃、大抵の本には「必ず返事をしましょう」的なことを書いていたと思うのですが、今やそんな文化は廃れてしまったのでしょうか。

様々に文筆活動をしている自分ですが、なにより楽しいのは個人的に書く「私書」です。それは相手が読んでくれるからと信じているからできるもので、返事も何もこないのであれば人間不信になってきます。返事の形式など二の次、「届いたよ」の一言ぐらいはくれても良さそうなものなのですが、そういう人の気持ちを踏みにじっても平気な素敵な人が多い世の中には何度となく驚かされます。

私は、中島みゆきさんの歌をよく聞きますが、その中にはいくつも、はっと来る表現があります。「顔のない国の中で」「機械たちを相手に言葉はいらない、決まりきった身振りで街は流れていく」「まるで人のすべてが敵というように…」といった言葉です。

今、自分の一部の友人(と思っているだけで本当は向こうは友人と思っていないのでしょうが)から、まともに返事が来ることはありません。別に手紙を送ったからといってどうのこうのという気もありませんが、少なくとも「返事をください」と書いているメールや手紙には返事をするのが礼儀というものなのではないでしょうか。

それとも、人間が機械化している現代において、私の考えは古臭いものなのでしょうか。もしそれならば、中島みゆきさんの「顔のない街の中で」の一節を、大声で聴かせてやりたいと思うのです。

ならば見知れ 見知らぬ人の命を 思い知るまで見知れ」


見知っている人すら「知らない」現代人。そんな現代人になるぐらいなら、せめて見知っている人だけでも声をかけられる、願わくば見知らない人にも親切にしてあげられる顔のある人間でありたいと思います。


「たとえ世界を得ようとも、自分自身を失えばなんになろうか」と言う言葉があります。この言葉を聞いて共感してくれる人はどれだけいるでしょうか。そして、それに共感してくれる人の一体どれだけが返事など何もよこさない、顔のない人なのでしょうか。自分自身が顔のない存在になっていないか、一度確かめてはどうかとあらゆる人に言いたい気分です。

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