先日は学童保育ネタを書きましたが、今日も近い内容です。
学童保育は17時までで、私の両親が帰ってくるのは18時過ぎでしたので、私は鍵っ子でした。祖母の家が近いということで祖母の家に行くときも多かったのですが、いつも祖母の家にいっているわけではなく、家に帰らないといけない日も少なからずありました。
学童保育に通っていた頃は本の虫だったので、その時に読んだ本で、特に「かぎばあさん」シリーズが心に残っています。おそらく、「なん者ひなた丸」と「かいぞくポケット」シリーズと並び、私が小学2年生で読んだ本のシリーズの3大シリーズと言えるでしょう。そんな良い本でしたので、将来自分に子供が生まれたら絶対に読ませたいと思っています。
私が家に帰って、ひとりでいるとき、ストーブをつけるわけにもいかず寒かった冬など、お腹を減らした私にとって、かぎばあさんほど魅力的な人はいませんでした。なくしたかぎと同じ鍵をくれ、美味しい料理を作り、楽しいひとときを過ごし…。そんなカギばあさんがいればどんなにかありがたいかと思ったことが一度ならずありました。
でも、カギばあさんというのは物理的に無理です。
そんな状況でも、かぎばあさんその人はいなかったけれども、そのままの鍵っ子だったらもっと長時間感じていたであろう「かぎばあさんへの憧れ」は、学童保育のおかげで短いものとなっていました。学童保育はある意味ではかぎばあさんだったと思うのです。
かぎばあさん自身がいることはないかもしれないけれど、ひとつのかぎばあさんの存在方法として、学童保育は子供がいる限りずっと続いて欲しいと思っています。
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