先日、友人の車に乗せてもらっていたときに、ふと、寂れた建物が目につきました。その建物は学童保育と書いてありましたが、およそ人が利用しているようには見えませんでした。
私は小学生の頃、学童保育に通っていました。二つの学童が系列というか提携というか姉妹保育というかをやっていて、自分の学校とその隣接校だけでなく、小学生にしてはずいぶん遠いところの人とも話した覚えがあります。そんな学童保育でしたが、姉妹保育の、私が通っていたのとは別の方が事情により閉所となってしまったことを、中学生になった頃に聞きました。その後、高校に入るぐらいに元の家からそう遠くないところに引っ越したとき、同じマンションに、閉所になった学童保育の元指導員の先生が入居されていると知り、時折会うこともありました。
そんな学童保育ですが、私が高校生になった頃に、学校での保育などの話題が持ち上がり、なくなるのではないかと話題になったことがありました。通りすがりに署名運動をしており、お世話になった指導員の先生もいらしたので、署名を書いた次第です。
両親は署名運動が来るたびに、誰に名前を書いてもらうか悩んでいましたが、それでも協力してくれていました。今私が協力を求められたとしたら、あらゆる友人に学童保育の署名に協力してもらうよう呼びかけたいところです(さすがに強制的に書かせるわけにはいきませんが)
私は悪ガキでしたから、学童保育でも問題を起こしていました。学童保育をやめるようになった経緯もそんな問題が原因です。けれども私は、学童保育で多くの体験をしましたし、その事を今でも忘れていません。そんな問題が、友人については少しましになってくるのがその退所をした年でしたが、それは少し視点が変わったからかもしれません。結局、私は小4で退所するまでの4年間、学童保育に通っていました。学童保育の4年間で学んだことは小学校の6年間で学んだうちの半分以上を占めていますから、今でも学童保育と聞くと懐かしい感じがします。
学童保育に難色を示す人もいれば、無関心な人もいます。色々な人がいると思うけれど、学童保育のことを論ずるとき、通っている児童たち自身のこと、あるいは通っていた人々のことを聞いてみることで、問題は少し変わった様相を呈するのかもしれません。私のいた神戸市の学童では、学童保育連合会全体での行事があって、それは小学校では体験できないものでしたから、それを覚えている人ならば、学校保育と学童保育の違いが明確に分かるようにも思えます。
私と仲良く話していた、学童っ子祭りの時に出会った彼は今どうしているだろう。そう思っているうちに、車は目的地に着いたのでした。
2 件のコメント:
学童保育、難しいですね。
うちの町でも2箇所ありまして、できた当初は一箇所は問題ありけり、もう一箇所はさして手が掛からないということになっておりました。
これが時間が経つにつれ、逆転現象で、問題のあった方は比較的良くなってきたのに、以前は問題がなかった方が問題になってきているようです。
その時そのときに思いもよらない大人の事情が見え隠れする、そんな状況です。
制度として(比較的)整っていないだけに問題が明らかになりやすいのもあるのでしょうけれど、・・・
うちみたいな田舎でもいろいろとあるのですから、町だともっと大変なのでしょうね。
>二右衛門半 さま
コメントありがとうございます。
学童保育は時間の流れと共に変わっていくようですね。私が通っていた4年間でも、目に見えて変わったと思えるところが少なからずありました。
制度がうまく整っていけば、ただでさえ忙しいとされる先生方にとっても、また当人たちにとっても幸福なのだろうなと思いますが…。
難しいものです。
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