中島みゆきさんの歌が好きで、色々と聞いています。その中で、いくつかの歌に出てくる、酒を飲んで忘れてしまう、という内容。私は酒を嗜まない人間であり酔えないからでしょうか、嫌なことをなかなか忘れられません。お茶を飲んだりゲームに興じたり、自分の好きな勉強に精を出したりしますが、特段、自分の評価、それも自分がきちんと全力を出してできたと思うことに対する評価が悪いものはいつまで経っても残っていて、心のなかに苦味を残し、悲しいものです。
酒を飲んで忘れられるというのは羨ましいですが、お酒は飲みたくない。人間は嫌なことを忘れてしまうように出来ていると言われますが、少なくとも自分の悪い評価を受けたことだけはずっとずっと引きずってしまいます。それも、自分が良かれと思って出来る限りを尽くした時のことは。
つい数日前のことのように思い出すのに、ふと気づけばもう一年近く立っているような「悪い評価」もあります。中には数年前のものも。そういうものをずっと持っているのは自戒にはなるでしょうが、それをいつまでも引きずっていては正直しんどいです。それにもかかわらず、私は悪いことをなかなか忘れることができない。ポジティブに捉えるとかそういうレベルの話ではなく、嫌なこととしてしか記憶されないようなことを忘れられないのは、特に中島みゆきさんの歌詞のようによって忘れるようなことができないのは、もしかするとつらいことなのかもしれません。
私は酒を飲む人を否定しませんし、節度ある量を飲む限り、酒は百薬の長だと思っています。徒然草第175段(酒は百薬の長と徒然草にも書かれている、と誤った引用が多い段です)にも、酒の悪いところは知りながら、「かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝、花の本にても、心長閑に物語して、盃出したる、万の興を添ふるわざなり。」と、酒の良さも書いているからです。酒は心身を害する恐れもありますが、適度に過ごす限りは楽しいものなのだろうと思います。私が酒を飲みたくないのはひどく個人的な理由ですが、そういうことで嫌なことを忘れられるならば、どんな感じに忘れられるのか、一度聞いてみたいとも思います。
酔っ払わないなら忘れられないかどうか、正直に言うとその答えは出ていませんが、少なくとも酒が効率のよい物忘れの手段なのは間違いないようです。
忘れることが人間の心の浄化作用であるというのは否定の余地はないと思います。そして、それによって嫌なことを忘れられるのが人間の忘れる作用のいいところだとも思います。でも、今の自分の「忘れる」作用は、嫌なことを忘れるよりも、忘れてはならないようなところなどで無駄に働いているような気がしてなりません。忘れる作用がきちんと働くのであれば、嫌なことを忘れさせて欲しいと思います。なぜ、数年前、十数年前に叱られたことを思い出して辛い思いをしなければならないのかと思うと、本当に辛くて、参ってしまいます。
7 件のコメント:
ここ数日、嵐が来ていますね。心に吹く嵐というものは何ともしがたいもので、おさめようとしておさめられるものでもなく、さりとて姿勢を低くしてじっとしていてもなかなか通り過ぎてくれない、そういうものだと思います。
酒に酔っている人は束の間苦しみから離れていられるだけで、その酔いから覚めてしまうと呑む前よりもっと苦しくなる、ということもあります。酔って忘れられるものならば、悩んで自ら死を選ぶ人などいないはずです。
おまえが気に入らないからさらばじゃ、というのは去っていく人の弱さだと思っています。かっこよく去っていくように見えて、その実、弱く寂しく、どうしようもない人なのかもしれません。幼い頃から好き放題に育った人がほとんどのこの世の中では、そのぐらいに考えていないとそれこそ殺されてしまいます。
話は変わりますが、じっと寝ているときに、寝返りを打ってもどうしても、苦しくて仕方がない時があります。私の父は実に12年以上寝たきりで、最後は眠るように逝きました。あんな風にじっと寝ていなければならないとしたら、一体どれほどの苦しみにさいなまされるのか、おそらくは気が狂うのではないだろうか、そう考えるだけで、布団の中で気が狂いそうになりますが、それを今考えたところで何がどうなるわけでもないのです。
近所に下半身が麻痺してしまった犬がいますが、その子は飼い主が作ってくれたキャスター付きの板の上に下半身をのせて前脚だけでぐいぐいと散歩しております。動かなくなった下半身を嘆くわけでもないその姿に強さを感じるとともに、自分は何と弱いのだろうと情けなく思う、50目前のおっさんです。
私は酒が好きですが、嫌なことを忘れようとして飲んだ記憶はありません。
気が滅入っていても酒を飲むと楽しくなります。
酒を飲んで調子に乗って騒いだり失敗は何時もしています。明くる朝反省はしますが、その時は何時も楽しいですよ。
人生堅苦しく生きていると、そのうちダメになると思います。
真面目なときは真面目なとき、適当なときは適当なとき。
緊張と緩和、メリハリを付けなきゃ。ねっ
パンツのゴムも引っ張ってばかりじゃすぐ切れてしまいます。
来年赤いちゃんちゃんこのぢぢい予備軍です。
マオぢい
>つきみそう 様
いつもありがとうございます。
そもそも酔自体に忘れるという効果はないのですね。私は飲まないのでそのあたり全然知らなくて、歌などに書いてるとおりに、飲んで忘れてしまえるのかと思っておりました。
「おまえが気に入らないからさらばじゃ、というのは去っていく人の弱さ」というのは、まさしくそうかも知れません。少なくとも、ちょっと気に入らないからと言って去っていくようでは友人はできないと思っています。ただ、去っていく側の弱さ故に、去られる側も辛い思いをするのはしんどいものですね。
>マオぢい 様
いつも他所でコメント拝見しております。こちらにも来ていただいてありがとうございます。
真面目と適当でメリハリを付ける、というのは良く言われることで、普段も、遊ぶときは真面目ではないです(友人曰く、声まで変わっている)が、それが終わってまた真面目になるとしんどくて・・・。
真面目な時間をもっと減らさないといけないのかもしれませんね。
それは、右と左が有って中央が無いのでは?
だらだらとか、ぼけっ、ぐたっ、ぐうたら とか
垂れパンダ状態ね。(常の私の状態です)
右も緊張、左も緊張、真ん中が緩和
プログラムでは適当に判断してねと言うのは無いし、正確に指示しなくてはいけないから、そんな生活は疲れます。
(プログラム作るときは仕方ないけど)
昔こんな事がありました。
学校のクラブが軽音で、学校外で別の集まりで部員に黙って外に持って行ったら、下の女の子にこっぴどく怒られました。
明くる日に返して、部の活動に影響は無かったのに。。
黙って持ち出すのはなんですか? そんな事も判らないのですが?と
私は心の中で、堅いこと言うなよ。そんなん判ってらい、面倒だから黙って持ち出したんだ。 うざったいなおまえと、、
怒るには言い方があるやろう!
ほとんどの人は私みたいな考え方では?(時代違う??)
違っていたらゴメン
マオぢい
>マオぢい 様
なるほど、中央がない、ですか。
確かに01思考で、中央というのは全然ないですね。意識してみます。
今の 達哉ん がお酒飲んだら 大変な事になりますよ
お酒飲めない事がラッキーですね
お酒は はっきりいって危険です 適度なお酒はいいというけど適度に飲める人などいないでしょうね 飲まないにこした事ないし お酒飲んで嫌な事を忘れるって その時だけで そして眠くなってしまうだけ 何の解決もしていないし 次の日余計に落ち込みますよ
「酒は百薬の長」「今日も元気だたばこがうまい」という二つの言葉は
この世から抹殺しないといけない 実に危険な言葉ですね
悪いことを さも いいように謳う 策略といっていい言葉です
>kammy さん
コメントありがとうございます。
お酒飲めないことがラッキー、というか飲まないことがラッキーというか・・・。精神的にものすごい嫌悪感があって、酒・タバコには手を出したくありません。
「適度に飲める人などいない」というのが心に残りました。確かに自分の周囲を見てみても飲める人は少ないように思います。
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