暑中見舞いを出していて、返してくれる人はもう随分稀になりました。友人、後輩、先輩、万年筆の世界で出会った人々、恩師等、思いつく限りに出しますが、そもそも暑中見舞いという習慣がないためか、一部に「ありがとう」というメールや電話があるものの、万年筆の世界の人以外で手紙による返事をくださる人は正直少ないのが実情です。メールや電話が手紙に対して劣っているとか優れているとかといった巷間でよく行われる議論はさておき、どんな形であれ、手紙が届いてすぐのうちの返事は特に嬉しくて、嬉し泣きしてしまうこともあります。返事を出さないのが標準化してきているというのは私が普段から続けている主張ですが、その一方で、きちんと返事をくださる方もいらっしゃる。そのありがたみに感謝しています。
そんな返事の一通に、恩師からのものがありました。サラリと書いてある文の中に、いつも含蓄のあることを書かれる先生で、学問に限らず色々なことを教わったように感じます。
先生が書かれていたのは、「気づかないうちに多くの人に支えられていて、その中で目に見える人もいる。目に見える人をまず第一に大切にしなさい、その人達の話をじっくり聴きなさい」と言うことでした。自分が気づいていない「支え」を大切にするのは正直難しいことだから、まずは目に見える人から大切にするべきだ、というように解釈しています。目に見える人すら大切にしていないような人間に目に見えない人を大切にできるわけがない、ということなのでしょう。まずは、自分の目に映る人々を大切にしたい、とそう思います。
世の人全てに好かれることは無理だし、自分を嫌う人を助けるのは相手にとって心持ちよくないこともあろうと思います。だからこそ、まずは、自分の意見に賛同してくださったり、自分の事をしたってくれたりする人を大切にしようと思います。世の中に完璧な存在があるなら、ありとあらゆる物を大切にできるのでしょうが、私はそんな人間ではありませんから、自分の目に止まる人々から、まずは大切にしたいと思います。
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