友人に、私は概ね何に対しても厳しいことを言うが、とりわけ飲酒に関して厳しい、というようなことを言われました。それには理由があって、今回は、その理由を書こうと思います。
まいど書いている、未成年飲酒への反対意見は今回は書きません。だいたい未成年飲酒容認派の人が自己正当化して終わりだからです。ちなみに、早良区薬剤師会の調査や国際アルコール政策センターの調査によれば未成年飲酒容認派は多数であり(前者)、世界的に似たようなことがあるようで(後者)、私のような反対派はもしかすると少数派なのかも知れません。私が少数派ばかりになるのはもはやお決まりでしょうか。
私はもともと、法律を破るべきでないという考えを持っています。酒についても、もともと法律を破るような飲酒は反対でしたが、現在このブログで何度も言明しているほどに厳しくなったのは、それが原因で遺書を書き、自殺しようと思い立つに至ったからです。
昔から知る友人に、以前までの明るさがなくなった、などと形容され、毎日のように自殺のことを考えていたとき、私が一番長く悩んでいたのは未成年飲酒問題でした。
具体的には…
・自分が酒を飲むことによって死に、未成年飲酒の問題性を社会に知らしめるのはどうかと考えた。
・友人に、ほとんど泣きながら、未成年飲酒がいかに辛いか6時間以上愚痴を言った。
・遺書に「未成年飲酒を見るたびに辛い思いをし、法律を守るたびに周りから奇異の目で見られてしんどくなるので、未成年飲酒を反対してもやらなければならない世界から逃げたいと思いました。だから死にます」と書いた。
などが挙げられます。
今は少しましになりました。勿論、見るに付け聞くに付け、大変嫌な思いをしますが、それで自殺に至ることはなくなりました。その理由は多分、自分がはっきりと主張してきて、周囲の環境では未成年飲酒がなくなってきたからだと思います(ただし、私の感知できる範囲ではない、と言うだけで、別の範囲では行われているのかも知れません)。
未成年飲酒に苦しみ、毎日死のうと考えた日々。
そんな日々を送っている人が周りにいたとして、貴方はそれでも未成年飲酒をしますか。それで追い詰められて死んだって勝手だ、そいつが悪いんだ、と言い切れますか。そんな人がいないというなら、それは認識不足です。私はその一歩手前まで追い詰められました。
上の質問に、言い切れるという人がいるなら、私はその人を軽蔑します。どんな思考があろうとも、人一人の命を軽視できるような人とはお付き合いしたくありません。
言い切れないというとき、そんな人が横にいたら、貴方はどうするかと問いたい。…当時、私の周囲にいた人は、それでも構わず未成年飲酒を続けました。そして私は、上に書いたように、自殺寸前まで追い詰められたのです。
今、未成年飲酒に強く反対しています。それは、ここに書いたように、私が自殺を考えるほどまで、辛い思いをしてきたからです。普段、法律などの観点から書いているけれども、その根底にある、強い反対の理由を明かしてみました。
9 件のコメント:
本稿を読んでもまだ,貴君がまだ,なぜ未成年飲酒に厳しいのか判りません.こいつは変なやつだという目で見られて,つらい;そんなにつらいものかなぁと思います.未成年が酒を飲んで騒いでいる.「飲め」「いやだ」,そんなことで人一人の命に値すると考えているなら,私はその命の方を軽視するに十分な理由があると思います.
負の面ばかり見て人一人の命を終わらせるのは傲慢ではないでしょうか.
>Volcanologueさん
ありがとうございます。
多分、未成年飲酒をしないということでどれだけ辛い思いをしたかというのは、言葉で言っても数%程度しか伝わらないと思います。実際に体験出来る訳ではないし、それがすぐに伝わるものだったらこんなに厳しく言い募らなくても、無くなっていると思うからです。
そして、それを理解できない人たちが自分の周りにもいて、その人たちが飲んでいるのだと思っています。
飲ませることを嫌だということが人の命に値するなら軽視しても…とおっしゃるならそれも結構ですが、私は賛成しかねます。
その行為は、自分は馬鹿だと落ち込み続けて、何の価値もないと思って死のうとしている人に、「そういったら反応が面白いから」というだけの理由で、「おまえは無価値だ」と突きつけるようなものだからです。
私は横にいる人の命を奪ってまで自分の欲望、それも法を犯すような欲望を達成しようとは思いませんが、それは考えの違いなのかも知れません。
「未成年飲酒に反対して死ぬようなやつがいるなら勝手に死ねばいい、俺は未成年飲酒したいからするんや」と言うのであればそれも結構だと思います。ただ、そういう考えをお持ちであれば、私とは相容れないのではないかな、と思います。
本文のような理由があるので、私にとって、未成年飲酒をする人は殺人鬼のようにしか映りません。「負の面ばかり見て人一人の命を終わらせるのは傲慢」と書いておられますが、私には寧ろ、自分の欲望のために人を思い切り苦しめ自殺に思い立たせるほうがよほど傲慢に思えます。
上記に追記です。
逆に私にはVolcanologueさんが未成年飲酒の私の意見に対していつも反対する理由がわからないのですが。
私、「法律を守るべきである」といっているだけなのですが、ここまでまいど反対されると、法律は良くないと言っているのではないかと感じます。
横で未成年飲酒ばっかりされて辛い思いして死にたいと思うほどまでになってもまだ未成年飲酒容認、というほどなら、多分なにか理由があるのではないかと思うのですが。
未成年飲酒、しないに越したことはありません。どこで線を引くか、なんてのは都合に過ぎないので、そのことに合理的な理由は見つけられないと思いますが、そう決まってればそれに従う、それはソクラテスの昔から正しいこととされています。
未成年飲酒を嫌い憎む気持ちがわからないわけではありませんし、そのことで追い込まれた辛さというのも、そんな状態になっている人が身近にいくらも居ますからわかっているような気になっています。
Volcanologueさんの意見から汲むべきものがあるように感じます。あることを「憎む」気持ちが昂じていく中で、自分の内面が変化していく可能性がある、そのことを忘れないようにしたいと思うのです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ということになってしまうと、周りのものから見て理解しがたい状況になるのではないかと思います。そうなってしまうと、本来訴えたいこと、願っていることが理解されないままに終わってしまうのではないでしょうか。
歳を重ねていく内にそのあたりの「ズルさ」が身についてくるように思いますし、ピュアな心を持ち続けつつも、ある程度までそういったズルさも発揮する、というのがバランスというものかもしれません。
>つきみそう さん
ありがとうございます。
私、未成年飲酒と速度超過、未成年喫煙については今まで全くスタンスを変えたことがありません。小学校1年生の頃、近所の道を速度超過して走る親に「速度超過」と言っていた記憶がはっきりあります。
私、未成年飲酒を容認する人の全てが嫌いとは思いません。具体的には自分の父がそうですが、私は父を尊敬しながら、その部分ははっきりと袂を分かちています。
成人であるならば、少なくとも決まりを守らない未成年に対してそれを言って諭すべきであると思います。未成年飲酒を容認する人は、少なくとも飲酒という観点について、その責任を放棄していると思うのです。
また、未成年飲酒をバレないようにこっそりとする者、及びそれに手を貸す者も、その行動に問題ありと思います。
未成年飲酒を勧めるものがいて、容認するものがいて、結果、したくないものまで未成年飲酒をしなければならないかのような風潮を作り出しています。
未成年飲酒には反対であると言っていても、結局見過ごして、あるいは注意していないような人もいます。
そんな世情はおかしいと思うのです。
未成年飲酒はダメだとはっきりと言明しているものが死のうと思い立つまで辛い思いをしている一方で、未成年飲酒を問題ないものかのように正当化して大笑いしているものがいる、その論理はおかしいと思うのです。
正直者が馬鹿を見るのはおかしいはずです。
私はそれに一石を投じたい。
最も基本的なところである「決まりは守るべきであり、未成年飲酒禁止は決まりであるから守るべきである」ということをそもそも理解しない人がいて、何を言っても無駄だろうと感じてもいます。痛い目を見るまでわからないのでしょうが、その痛い目を見ることなく狡猾に抜けていい思いをしているのが余計に腹立たしいのです。
つきみそうさんが書かれた「坊主憎けりゃ…」の、坊主と袈裟には、何が当てはまるでしょうか。坊主=未成年飲酒、袈裟=その人の全て、であるならば、そんなことはないと思います。具体的に、Volcanologueさんは、この一点を除いては尊敬しています。
もうひとつ、私にはつきみそうさんが書かれた「ズルさ」がわかりません。最後の一文から、ピュアな心というのを決まりを守るべき心、ズルさを容認の姿勢ととっていますが、それだと余計に分からないのです。
いじめを傍観しているだけの人はいじめをしている人と同罪といいます。おなじ様に、未成年飲酒を容認する人を止めないのも、同罪だと思うのです。だからこそ、つきみそうさんの言う「ズルさ」を私は誤解しているのではないか、と思うのです。
私、今いる環境において、仮に未成年飲酒が行われていたならば、全て然るべき報告をしようと心に決めています。そして、それを行うと嫌われるだろうなと思うとため息がでます。どうして正直者ばかり損をしなければならないのか、と。
正直者が馬鹿を見るような、そんな状況を作り出す、あるいは助長するようなことはあり得ない話ですね。でも、現実にはそういう人も多い。これはもう、ここでこの人と絶交してしまうぐらいの勢いでバシッといかないと、ということも、節目節目ではいっぱいあります。そういうことが日常的にあるのが私の仕事です。でも、私はズルいんですよ。そのズルさが良いのかどうかは、それこそ歴史が証明する、なんてのは大げさですが、今目の前では何が絶対的に良い、なんてことは無いのだと思っています。
>つきみそう さん
ありがとうございます。
今目の前でこうするのが100%良い、っていうのは誰にもわからないから、私は自分が正しいと思うことをその場その場でやって、やらない後悔をしないことにしようと思っています。やったことで嫌になったこともありますが。
生真面目・頑固なのでしょうか。あるいは自分の精神状態を悪くしない防衛本能なのでしょうか。未成年飲酒をするものを見咎めたら必ず注意しようと思うのです。それは自分が成人として果たすべき責務だと思いますし、先生のおっしゃるところのズルさを備えていない自分に出来る、精一杯なのだと思います。
つきみそうさんに付言させていただくと,「貴君が深淵をのぞき込むとき,深淵も貴君をのぞき込んでいるのだ」ということにつきます.
貴君が「未成年飲酒を憎む」という気持ちが,常に未成年飲酒について考え(=深淵をのぞき込み),深淵によって変化させられ,何か不健全な何物かになることを私は最も恐れます.
>Volcanologue さん
ありがとうございます。
常に考えることによって不健全なものになる、それは確かに怖いことですね。その不健全さをなくすためにはどうすればいいか、となりますが、それは気負いをなくすことぐらいでしょうか。容認すること、目を背けることとは意味が違うと思います。
その不健全さの最も根本の、多分一番の原因は未成年飲酒があることなのだと思うのです。
原発問題があって、そこから現在に至るまでの論調は「原発をつくるのをやめよう」です。原発がなければ問題ないからです。背けていた結果ああなったから、今直視している。
未成年飲酒について、私も同じ構造があります。目を背けようとした、そのあげくに苦しみ果てたのですから、それはやめようと。はっきり言明して、未成年飲酒をなくすほうがそもそもの問題からなくなりますし、また、はっきり言う方がまだ自分への負担が少なくなります。
自分が未成年飲酒から不健全となるのであれば、そうなる前に未成年飲酒を取り除けば良いと思います。そのために言明をはっきりしたいと思うのです。
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