中島みゆきは、自分の歌詞の解釈を聞き手に任せます。それは、私にとって嬉しいことであり、私もその精神に則って、自分なりの解釈をしていこうと思います。
解釈は人によっても異なりますが、時によって異なり、心によって異なり、状況によって異なるものであると思います。同じ曲を複数回出すこともあるかも知れませんが、それは状況や時が変えたということと考えてください。
夏特集の第4回は「過ぎゆく夏」です。
歌詞はこちら。
この曲は、有名な「地上の星」に始まり、「ヘッドライト・テールライト」に終わるオリジナルアルバム「短篇集」の7番です。
曲からは想像もつかないほど、難解な歌詞です。「全くの初心者による中島みゆき全曲解説」でも「様々な場面を想像できる多元的な曲」とありまして、まさしくそのとおりだと思います。私の場合は、夏の真っ盛りなのに、その夏も終わりがあるのだと考えて、それを惜しむかのように今夏を謳歌しているという状況を想像します。
「寂しさと愛しさを夏はすり替える」というのは、夏に対する言葉なのだと思います。夏が過ぎ行く寂しさと、夏への愛しさを、夏という季節はすり替えてしまうのだと。確かに、過ぎ行く夏を惜しむというと、思い切り遊んで、謳歌する様子が想像されます。その一方で、過ぎ行く春を惜しむ、の場合は、桜が散っていく様子で、それは寂しさから変わらないのです。
過ぎ行く夏は実際のところ一瞬だから、それを出来る限り謳歌しようではないか、と、そう歌っているような歌だと思いました。夏なんだから、謳歌して、その後に「夏だったでいいじゃないか」。
「寂しさと愛しさを夏はすり替える」というのは、夏に対する言葉なのだと思います。夏が過ぎ行く寂しさと、夏への愛しさを、夏という季節はすり替えてしまうのだと。確かに、過ぎ行く夏を惜しむというと、思い切り遊んで、謳歌する様子が想像されます。その一方で、過ぎ行く春を惜しむ、の場合は、桜が散っていく様子で、それは寂しさから変わらないのです。
過ぎ行く夏は実際のところ一瞬だから、それを出来る限り謳歌しようではないか、と、そう歌っているような歌だと思いました。夏なんだから、謳歌して、その後に「夏だったでいいじゃないか」。
※ この解釈は、あくまで私の一解釈であり、正しい・誤りであるというのを書くものではありません。一つの見方として受け取っていただければ幸いです。
※ 扱って欲しい曲がありましたら、コメントでお書きください。
※ 他の解釈が載っているサイト、もしくは自分なりの解釈がありましたら、コメントでお書きください。
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