まずは知恵袋のこのページを
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1041785495
ベストアンサーの方の回答、いいですね。
先日、友人に「達哉んは一部の法律違反に特に厳しい、異常に厳しい」と言われたのが大変心外だったので、このような記事を書く事にしました。要するに法律を破っているのは一緒だということです。
スピード違反について逐一言うのはやめました。車内で喧嘩が起こって、かえってドライバーの集中を乱して危ないから。でも、スピード違反は昔から嫌いです。幼い頃何度父と「なぜスピードを守らないのか」と喧嘩したことか。
未成年飲酒について逐一言うのはやめました。言ったところで風当たりが強くなるばかりだから。でも、未成年飲酒は昔から嫌いです。未成年にちょっと飲めとすすめる父と、何度喧嘩したことか。
未成年喫煙について逐一言ったことはありません。自分の目の届く範囲でそんな事をする愚物はいないから。でも、実際にいたらとことんまで糾弾するでしょう。
人間があらゆる法を完全に遵守して生きることができるかと言われれば、それは容易なことではないでしょう。色々言う私だって、法を破ったことも少なからずあります。それについて批判するなら大いにすればいいと思います。罰するならば罰すればいいと思います。裁量の余地など必要ありません、極刑でも結構です。悪いことをしたならそれを受け入れるのが当然、秩序を破ったのであればそれについて怒られるのが当然。
その観点では未成年飲酒も未成年喫煙も、あるいはスピード違反も同じ事です。私が未成年飲酒にとりわけきついように見えるとすれば、それは周囲の人に飲酒をする人が多く、先の回答の通り「お酒を飲む人は飲酒に甘い」からそう見えるだけです。単に相対的に厳しく見えるだけです。
2年ほど前、未成年飲酒にきついことで孤立しました。今でもその名残で風当たりは決して弱くありません。それは単に人口比の問題であると、最近になって気づきました。未成年飲酒ではなく、未成年喫煙ばかり言っていたら、もう少し風当たりは弱くなっていたのかもしれません。未成年飲酒ではなく、万引きの話をしていれば、もっと風当たりは弱くなっていたのかもしれません。
結論はどれも同じ事です。決まりごとを守っていないのです。その倫理観の成長について、上の方が回答されていましたが、たしかにその通りですね。私だって時間はギリギリ、遅れてしまう時もあるというような人間ですが、決まりを守らない、でも付き合いのある人は概ね皆、私よりも遥かに遅刻率が高く、当然無連絡です。
法律を破ったことについて色々と言い訳をするのは勝手です。決まりを守らなかったことについて、色々と理由をつけて逃げようとするのは勝手です。でも、一言だけ言わせてもらうならば
「結局あなたは法律を破ったのだろう?」
ということです。
未成年飲酒問題について色々というのは、自分の友人(と思っている人々)の中にもそういう愚かしいことをしている人が少なからずいたからです。未成年喫煙やスピード違反は単に人数が少ないだけの話です。
もしも上記のような軽犯罪、あるいはあらゆる法違反について、何か自己弁護するならば勝手にすればいいと思います。ただ
「貴方は法律を破った。この命題が真であることについて、誤りがあるなら言ってみろ」
とだけ返します。自己弁護する人が偽であると切り返せるはずがありませんから。
自分がそのような愚かしい行為をしてしまったら(法律以外の決まりを含む)いつも猛省していますし、罰せられるなら罰を受け入れる態度でいます。それでもまだ、自己弁護で法律以外の根拠を求めるならば(法律を破る、決まりを破るということだけでも、十分に愚かしいことですが)、信頼を裏切るということでしょうか。
10年ちょっと前の私は愚かでした。その愚かさたるや、筆舌に尽くし難いほどでした。そんな時に、母や祖母、あるいは先に書いた父ですら、どれほど悲しんだことか。私が嘘をついていると疑い、挙句学校に行く前に警察に連れていくと父が言い出したことさえありました(そういう自分はどうなんだ、と今は思いますが)。その悲しみようを見ていて、今、失敗することがあったとしても、意図的に法律を破ることは絶対にできません。私には、そんな行為をしようと思い立ってしまったときに、ひどく悲しむ肉親の姿が経験として映るからです。
大変厳しい意見ですが、意図的に法律を破る愚者は、人間としての心を失っているか、あるいはそれを悲しむ人々を思いやる心(もしくは余裕)を失っているかどちらかです。冷静に考えれば、自分の愛する人々の嘆く姿を思い描くことができると思います。そんな嘆く姿を思い描けるような人間などいない、というのであれば、その人はきっと寒いでしょうね、極寒の無法者ばかりの荒れ地に生きているのでしょうね。
もしも自分が親になったとき、少なくとも私は、自分の子供たちに「意図的に決まりを破りなさい」とは教えませんし、それの延長線たる未成年飲酒なども勧めたくない(し、すすめることも絶対にしないつもりです)。そして、そう教えても意図的に破るようならば、やはり悲しむでしょう。
「自分が親になって、子供が出来たとき、貴方は子供に、意図的に決まりを破るように教えるのですか。もし決まりを破らないよう教えるとして、それが破られたらどうですか。」…どんな法律だって、決まりは決まりだから、守らねばならないと思います。だから、意図的に破る人にいいたいのが、このフレーズなのです。
悲しいだろうね、親はきっと
寒いだろうね、信頼を失えば
それでも破るというならば
勝手に破るがいい
破ったあとにどんな罰があっても避けるな
それから逃げようとしたって
ただひとこと
「破ったことには違いない」といってやるから
9 件のコメント:
こんばんは。達哉様の御意見に大いに賛成です。
未成年飲酒であれ、未成年喫煙であれ、万引きであれ、脱法行為であることには変わりありません。
私と同い年の方とは思えぬほどの力強い文章で、改めて達哉様の信念の固さを感じました。
拙ブログへの御訪問、誠に有難うございます。歌謡曲を貼り付けただけの手抜きブログですが、これからもよろしくお願い申し上げます。
文才のない私にとっては、歌謡曲を御紹介するのが精一杯です。
よろしければ、達哉様と相互リンクをお願い出来ませんでしょうか?
名店「Pen and message.」の万年筆関係のイベントに毎回参加されるそうですね。
私も万年筆(低価格帯専門)が大好きなので、いつか御一緒出来ればと思います。
こんばんは。達哉様の御意見に大いに賛成いたします。
読んでいて、達哉様の信念の固さを改めて感じさせられました。
未成年喫煙であれ、未成年飲酒であれ、万引きであれ、ダメなものはダメです。どれも脱法行為なのは変わりありません。
私も以前、幾度か未成年飲酒及び喫煙を勧められたことがあり、その都度丁重に断ってました。
若者特有の同調圧力で未成年飲酒・喫煙に手を染めてしまうのは考え物ですからね。
(話が脱線して申し訳ないんですが……)
達哉様は万年筆がお好きなんですね。
私の同級生に万年筆が好きな人が一人もいないので、達哉様は大変貴重な存在です。
それにしても、あの加藤製作所が貴方の万年筆好きの原点だったとは、何ともうらやましいことではありませんか。
加藤清社長が亡くなって1年が経ち、“もっと早く加藤社長の存在を知っていれば……”と後悔するばかりです。
法や秩序を守ろうとしない姿勢は大いに
問題ですし、見ていて苦しいですね。
奈良県に名阪国道と言われる道路があって
制限速度が60キロに指定されていますが、
ここを60キロ以下で走ると本人のみならず
周囲の車にも危険な状況を生んでしまいます。
常に80キロ程度で流れていますので、
60キロ以下で走行する車に対して、
「流れに合わせて走ってください」と声を
かけて走り去るパトカー、という珍しい
光景が見られます。
そもそもは制限速度を無視して「流れて」
いる車のドライバーが悪いのですが、これを
すべて是正するのが困難である状況から、
やむを得ずこうなってしまうのですね。この
場合、安全を優先しているわけです。警察の
ひとも忸怩たる思いなのでしょうね。
飲酒や喫煙、これはもう、本人が自覚して
きちんと守って欲しいですが、自動車の運転
に関しては、それを超える事情(と偉そうに
いうのも変なのですが)が存在することも
また事実なのです。
意のあるところがわかっていただけるか、
ちと心配ですが。少なくとも、積極的に法を
おかすことを是とする立場ではないのです。
>ヘンリー 様
コメントありがとうございます。
リンク、しておきますね。
この信念が強いと言われて、それが理由に風当たりが強く、とてもしんどい日もありましたが、今は何とかやっています。周りに理解してくれる人がいるというだけで違いますし、後輩たちにもそんな私のことを知って気軽に話しかけてくれる人がいて、幸せです。
Pen and messageのイベントは、近場でないので最近参加できていません。帰省の折にはよく参加しているのですが、最近はもっぱら万年筆研究会などへの参加の方が多くなっており、土地が違うなぁという次第です。
>寛志 様
コメントありがとうございます。
車の運転についてのスピード違反が安全性を損ねることがあり、それについては意図的とは言いがたいという点、今回は一切書いていないのですが、知っております。
問題と思うのは、だれもいない様なとき40キロ制限の道で80キロとか、100キロ制限の道で140キロとか出す人(身近に言うと自分の父)のことで、決して変だとは思っておりません。
"意図的に法律を破る愚者"と書きましたが、安全性を損ねる場合には別だと言う事について異論はありません。自己防衛の場合と同様です。
意図的に、というのは少しいい方がまずかったかもしれません。"積極的に法を犯すことを是とする"と書いたほうが、この文章にはより正確です。
その強固な信念は大事にして下さい。私と同世代で達哉様ほど強固な信念をお持ちの方はそないいてませんからね。
さぞ苦労されたことでしょうね。お気持ちは十分に分かります。
万年筆研究会を一度拝見してみたいですが、10年使って初心者の域を出ない私には場違いかもしれません。
達哉んさんのような方がしんどい思いをしなくちゃいけない社会って本来おかしいんですけどね。
達哉んさんの十年後二十年後が楽しみでなりません。
立派な方に、立派な親になることでしょう。
嫌な思いをされる事もあるかもしれませんが、理解者がいることをどうぞお忘れなく。
私も心から応援しています。
貴君の支持者を裏切るようで申し訳ないが,私は法律を絶対視してはいない.従って”誰もいなければ”=誰の安全も損ねることがなければ,40km/h制限の道路を,任意の速度で走ってもらってかまわない.法律を破ることは悪なのかということについて,私は必ずしも首肯しない.「みんながそう思うから」なんて私には何の価値もない.
>「結局あなたは法律を破ったのだろう?」
True. ただそれが悪かどうかに関しては議論する.というのが私の立場です.
貴君の最後の詩に補足です:
しかし貴君のsystemは私の破壊行為を止められなかった.
耐障害性に欠けることを自認したらどうか.
破ったことは事実だが,破れないようにする設計を貴君は怠った.
罰がある? 罸せられればの話しではあるが.
私は眠る.貴君のsystemの中に.
人は故意にせよ過失にせよ,愚かしいことをするという前提に立った方が,現実的ではないだろうか.fail-safe, fool-proof いろいろあるが,いずれにせよ,信頼などという曖昧模糊としたものよりもsystemに組み込んだ方が,より有効ではないかと思います.
>Volcanologue 様
初コメントありがとうございます。
法律を破ることが悪いかどうかという点については、議論の余地が十二分にあるはずと思います。法律というシステムは決して完全ではないですし。
信頼は曖昧であるかもしれませんが、人の心は命と並んで尊いものであると思っています。それはあくまで私の考えにすぎません。
私は法律を破ることは良くないと思います。それは、法律が完全ではないにしろ、秩序を守るための一手段であるから。この意見は私のその前提に従ったものです。
返答ありがとうございます.貴君と同様,法律を破ることが悪なのかどうかについては,議論の余地しかないと思います.
ここで貴君の前提を,疑ってみようと思います.すなわち:私は法律を破っても良いと思います。それは、法律が完全ではないにしろ、秩序を守るための一手段でしかないから。
貴君の意見は傾聴に値しますが,貴君の考える正義とまた違った場所に,(時にはその正反対の場所に),また等量等価の正義があるのではないか,などと疑っております.私の前提はこの点と,法律が想定しないところに(既存の人知が及ばないところに)よりよい秩序が存在するかもしれない,という2点です.無論ここには,秩序とは何か,またそれは守るべきものなのかという議論が発生しますが.
コメントを投稿