2010年7月29日木曜日

任天堂のゲームに見えるゲームの理念

任天堂のゲーム、マリオやカービー、ドンキーコング、ファイアーエムブレムなど様々ですが、その多くについて、コンプリートという概念があり、それを主たる目的としているゲームが多いように感じます。例えばスーパードンキーコングのシリーズはボーナスステージを全てクリアし、隠しコインを集め切らなければ真のエンディングは見られないようになっています。ファイアーエムブレムの封印の剣もそうでした。一方で、メトロイドなどはせいぜい絵が変わるだけで、コンプリートはおまけという感じ。MOTHERシリーズもそうだったような気がします。

任天堂の他にも幾つかありますが、任天堂のゲーム、その中でも特によく売り出しているシリーズについては、コンプリートを目的としているゲームが多いように感じます。それはそれで面白いのだと思いますが、多くの時間を要し、私のような飽きっぽい人間は飽きてしまいます。楽しむためのゲームなのに、苦痛を…というのはしんどい話だと思います。

コンプリートはおまけである、という概念で出しているゲームはいくらでもあります。コンプリートの楽しみは確かにありますが、最初からそれを前提としたゲーム作りだと、しんどいような気がします。一部に売れればいいという意見ならともかくとして、任天堂のような、非常に名の知られた企業なのであれば、主たるシリーズでも、もっと「コンプリートは副次的なもので、コンプリートよりも他に楽しめるものは多い。コンプリートはついでに楽しんでくれ」というものを作ってみてはどうだろうかと思います。もしかすると私が知らないだけなのかもしれませんが、任天堂のゲームは進めなくて困るということが多い自分にとっては、コンプリート基本の任天堂のゲームは、とっつきにくいように感じるのです。

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