暑中見舞い・残暑見舞いを出し終えました。およそ1ヶ月、約60通全て、心をこめて認めました。梅雨明けしたと騒いでいた時期から書き始め、立秋を超えて、コオロギやスズムシの声が聞こえる今、出し終えました。
私は、コオロギやスズムシの声が嫌いです。その凛と澄んだ美しくはかなげな声は、しかし寂しく聞こえ、自分自身の寂しさをいや増します。文化部だった私にとって、秋は引退の季節でしたから、その寂しさの記憶とも相まって、一人だけの秋の夜長、虫の声が聞こえてくる日はあまりの寂しさに泣きたくさえなります。
暑中見舞いや残暑見舞いは、いったい何通届いたでしょうか。出した数だけ、きちんと相手の心に届いているならばいいな、と思います。手紙が相手のもとに届いたか、そして相手の心に届いたかは、普通確認できません(ごく一部の「届いたよ」っていう返事をくれる方は確認できますが)。そして、そのことがわかっている以上、秋の夜長に手紙を書くのは大変です。寂しい夜に、寂しくなるかも知れない手紙、相手の心に届かないかも知れない手紙を書くのは。
これから寂しい季節がやってきます。近づく秋、年賀状の準備まで、手紙の数は少なくなります。ただ、この夏、手紙を送った人々に私の心が届き、私のことを親しくしたいと思ってくれているのであれば、私はこの秋も、まだ寂しさに耐えられるかもしれません。
私からこの夏旅立った、約60通の手紙。ただ、送った人に私の心が届いておいてくれと、それだけを願います。「返事がないのがいい返事」「便りがないのがいい便り」と、そう思ってくれているのだと、祈るような気持ちです。
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