2011年11月14日月曜日

懐かしさと哀しさと時間〜中島みゆき歌詞の解釈(14)


中島みゆきは、自分の歌詞の解釈を聞き手に任せます。それは、私にとって嬉しいことであり、私もその精神に則って、自分なりの解釈をしていこうと思います。

解釈は人によっても異なりますが、時によって異なり、心によって異なり、状況によって異なるものであると思います。同じ曲を複数回出すこともあるかも知れませんが、それは状況や時が変えたということと考えてください。

今回は、「おまえの家」です。歌詞はこちら

「元気ですか」に始まり、「怜子」「わかれうた」と続き、「化粧」を経て「世情」にたどり着くという愛を求めたアルバム「愛していると云ってくれ」のトラック8です。

ほとんど解釈の余地がないぐらい、きっちり書かれた歌です。「雨も上がったことだし、お前の家でも ふっと たずねて みたくなった」から始まって「今夜は どんなにメイジャーの 歌を弾いても 湿っぽい音を ギターは出すだろう」に至るまで、淡々と、その情景が描写されています。

仲のいい友人、すごく仲のいい友人の家を久しぶりに訪ねてみたら、友人は時間の流れで変わっていた…。懐かしい中に、あの頃との違いを感じてどこか哀愁が漂っていて、それは時間がもたらしたものであった。そんな中、友人は昔通り、自分と仲が良かった…。

それ以上書くことがありましょうか、というような歌です。

時間の流れは大変に残酷なものだと何かの本に書いてありました。私もそう思うことは少なくありません。でも、その時間の流れの中でも変わらないものがあるのです。「「そうか、いつでも 来てくれよ」と その時お前は昔の顔だった」

この曲、曲調も〆も寂しい感じです。実際、「どんなにメイジャーの 歌を弾いても 湿っぽい音を ギターは出すだろう」という終わりは、語り手の湿っぽい気持ちを非常に端的にあらわしている表現です。ですが、同時に大変に温かい、非常にいい関係を描いているとも思います。ある意味では、私が目指している友人との関係でもあります。

時の流れに伴い、人は疎遠になっていきます。
10年前、同じ習い事でライバルのように思っていた友人は、もう今どうしているか全く知らない。
7年前、ずっと親友でありたいと別れた友人とは、もう今やほとんど会わなくなってしまった。
4年前、互いの道を互いに認めた友人からは、もう手紙もメールも返事が来なくなった。
そんなこともあるけれど、中にはこんな、昔の顔のまま、「いつでもきてくれ」と言ってもらえる友人もいるのではないか、そんな関係を築けるのではないかと、この曲を聴くたびに思います。

変わっていく寂しさと同時に、懐かしい友人との温かい絆を描いた曲だと思います。


※ この解釈は、あくまで私の一解釈であり、正しい・誤りであるというのを書くものではありません。一つの見方として受け取っていただければ幸いです。



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