受難あり、苦労ありのエドソンでしたが、今はもうすっかり、私の持ち物に自然にあるものとなりました。
私がエドソンを手に入れてから3年が経ちました。
初めて買ったときあんなに欲しかった万年筆、見るたびにすごいと思った万年筆でしたが、今はもう、ごく当たり前の存在になりました。
エドソンを特別視しなくなって、もうエドソンは自然になったのです。
そして私は今、万年筆を欲しいと思うことがなくなりました。
エドソンが生活に定着して、他のペンも定着して、これ以上なくてもいいや、と思うようになったのです。
辛い思いがあって、辛い日々があって、今ずいぶんマシになったから、自然にエドソンを使いながら、エドソンというペンとの絆を感じます。
そして、その絆を切ることはできないし、同時に、万年筆への欲望も薄まりました。
数年後、また万年筆を欲しいと、エドソンの時ほど強く思うことがあるでしょうか。
それほど強く思うなら、エドソンがすねてしまうのではないかと、それが心配でなりません。
私とエドソン Fin.
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