アドを教えてと
知己からメール
返信して
確かに送信して
いつまでも返事がこない
そう思って
同じメールを受けた人に
後から聞いてみて
返事来ていると知る
その返事のメールの
登録リストの中に
自分の名はなかった
だからもう一度
メールを送った
他の件もあって
幾つかのアドレスから
その知己に数通の
メールを出した
返事はこない
そうして一月
MLが使われて
でも私は
未だに登録されない
申請は放置されて
聞けば
他の人には
返事がきているらしい
まさか
見てないわけでもあるまいし
ひとり
除け者か
ひとり
入っちゃいけないか
私が何をした
結局私は
嫌われものに過ぎない
カタイからこそ
嫌われものに過ぎない
自分でそんな気はないけれど
嫌うものよ
はっきりと嫌え
明白に嫌え
あからさまに嫌え
鬱陶しいと突き返せ
不安ながら
人と話す
寂しいから
話さずにいられない
そんな私を
幾人が好いて話すか
いや寧ろ
嫌う人が多いのでは
鬱陶しい人が多いのでは
いつもそう思って暮らしている
嫌われるほどに
意見を言って
私は今日も生きていく
だからこそ
好いてくれる人は大切にしたい
世に100人いれば
80人は行きずりで
19人は敵で
味方はたった1人
そう感じる日々を生きる
パラドックスでは
人に心がないという
私はそうは思わない
思わないからいつも
私は嫌われている
2 件のコメント:
なんていうか、切ないですね。
朝、妻の声で目覚めると、その声は
子供たちを叱りつける声です。その
中身は、そのまま、私に向けられた
ものといってもよいもの。小さい頃
から、父母には一度ずつ褒められた
ことがあるだけ。祖父母にも、顔を
合わせるたびに叱責されたり失望の
目を向けられたりしていました。
親戚が集まっていたときのこと、
誰かが「やってみぃ」というので、
いや、僕はそれが苦手で、と答える
と、アンタはすべて苦手やろ、特に
それだけっちゅうことないやろ、と
いわれて親戚全員の笑いもの。その
一件を悔しがる両親に心底申し訳
ないと思い、これは死んでしまう
よりほかにない、と思ったことも
ありましたが、意気地無しの私に
そんなことができるはずもなく、
この歳までズルズルと生きてます。
MLの件、気分悪いですね。それ
以前い、哀しいですね。自分のこと
だけでなく、この世が哀しい。そう
かんじられてるんではないか、と
勝手に思っています。
ま、そういう卑しいことをする輩
はこの世が続く限りなくならないし、
そいつ自身がとっても哀しいんだろう
と思ってあげるしかありません。
顔を上げてしっかり生きていれば、
これ書いているおっさんみたいになる
ことだけは避けられるでしょう。
あなたの反面教師から。
>つきみそう 様
お久しぶりです。コメントありがとうございます。
顔を上げてしっかり生きるということが大切なのだ、ということ、ありがたいとおもいます。自分のことを嫌だと思っている人だっているのだから、それをいちいち気にしていてはやっていられませんものね。
尊敬する先生に
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