当たり前のことだけれども、年齢と共に友との絆は廃れていきます。時間的な距離も、地理的な距離も、どちらも疎遠さを増してしまいます。
中学の頃、一生友達と言って別々の高校に進んだ友人。もう、4〜5年は顔を合わせていないように思います。
同じ部活で切磋琢磨した友には、もうメールも手紙も届かなくなってしまいました。
高校の頃は普通にメールを交わしていた友人は、人伝にその消息を聞くだけになってしまいました。
旧友であるからには、機会が減るのは変なことではないと思います。でも、もうずっと会っていない友人たちがいて、その人たちはもう、自分の中で過去の人になってしまっている。今、自分が故郷に戻って友人をふと見たとき、私は声をかけられるだろうか。まして、今自分のいる故郷から離れた地で旧友を見かけたとき、私はそれを旧友と認められるだろうか。正直に言えば、答えはNOです。
「毎日多くの人と顔を合わせているのに、気づいてないから出会っていない」という言葉があります。同じことだと思います。出会ったときに声もかけられないなら、旧友と呼ばせてはくれないだろう。実はよく見ているかもしれないのに、気づいてないから旧友でない・・・。もしそうだとしたら、その旧友は自分の中では故人です。顔を合わせても出会えないような旧友は、故人と何が違いましょう。
友と過ごした日々は遠ざかり、地理的にも随分離れたところにいて、私の旧友の多くには、きっともう、顔を合わせても出会えない。そもそも顔を合わせる機会などないだろうと思います。後10年たったらどうでしょうか、私は今の友人の幾人と出会えるでしょうか。
10年後、私は31歳。旧友も皆、働いているでしょう。電車に旧友が乗り合わせたとき、もう二人は知らない顔でしょうか。全くの他人で、すれ違うだけの人でしょうか。
もう会えない人々がいる中で、1人でも多くの人と出会えるようにありたいと思いますし、1日でも長く出会える関係でありたいと思います。
8月には、半年ぶりの帰省です。多忙な友人たちに会う機会はあまりとれないことでしょう。その帰省の時、久々の再会を果たして、旧友と笑いあえれば、と思います。多くの友人があってこその今の私なのだから。
2011年6月11日土曜日
顔を合わせても出会えない旧友
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿