2011年5月27日金曜日

生真面目でカタいんかなぁ

今回のプログラミング関連の話題は、Superconに関するもので、来週、31日に振り替えます。


私、カタイのかなって思うことがあります。決して少なくないのですが、徹底的に思い知ることもまたあります。カタいというのは、生真面目とか頑固とかと言い換えられるかもしれません。

何かどこかずっと真面目なのかもしれない。たとえ皆がハメを外すところでも、それがマイナスに働いてしまうぐらい真面目に考えすぎているのかもしれない、とそう思います。そして、その真面目さを理由に「あいつはカタい」とか「あいつは真面目」という理由で、除け者にされているような、そんなことがあります。それは決して少なくない体験だからと、ちょっとしたことでも邪推してしまうあたり、やはり生真面目、気にし過ぎなのでしょうか。腹を割って話すような人間には見えないぐらい、私は真面目すぎるのでしょうか。

私は漫画をあまり読みません。別に真面目だからではなく、興味を感じないからです…少なくとも当人はそう思っています。でも、それは周りにしてみれば真面目以外の何者でもないのかもしれない。

勉強するときはなんと言われようと、原理から押さえて勉強します。人に質問される時も、原理から説明します。だからでしょうか、1知りたいだけの時でも10説明される、と形容されます。必要だと思ってしているけれど、相手はもっと早いほうがいいのかもしれません。

手紙を書いているときは、親しい仲であってもきちんと頭語からはじめて、前文を書き、結語を欠かしません。それを使うことで書きやすくなり、相手方も驚かずにすむと思うのですが、「もっと砕けたほうが似合う」と言われることも少なくありません。

連絡のメールを送るときは、宛先を書き、最後には署名を入れます。それでも長いとさえ言われます。要件を短くまとめても、たいていは長いと言われます。しかし私は、はじめに○○様、最後に署名を入れるのがごく一般的なメールと思っています。

お茶会に誘う日には、きちんと招待メールを送ります。そのほうが雰囲気が出るからです。だからといって多くが来るわけではありません。寧ろ来てくれるのはごく一部です。他の人からは、真面目な感じに受け取られているようです。

しょっちゅう書いている飲酒関連。未成年飲酒は絶対駄目だと思うのですが、自分の周りでは未成年飲酒は迷惑でなければいいという人のほうが多数派のようです。コールやイッキが当然という人までいます。

気にし過ぎなのかもしれない。真面目すぎるのかもしれない。どんなにハメを外すつもりでも、なにか真面目なところが残っているような私は、人から敬遠されるようなタイプなのかもしれません。性格診断、エゴグラムなどでもだいたい、「責任感が強く…」などと出ます。ラフなところももちろんあるつもりですが、それでも私は、とっつき難い生真面目さがあるのかもしれません。

「忘れてしまいたい のぞみを隠すために
馬鹿騒ぎするのは 私だけなんだろうかね」
タクシードライバーの一節ですが、私だって、忘れてしまいたいのぞみを隠すという意味で馬鹿騒ぎをしています。でも、どこかで残っているから、馬鹿騒ぎしたって、結局尚更しんどくなるだけです。

親にまで言われることのある「カタさ」、私、生真面目すぎるんですかね、カタすぎるんですかね、気にし過ぎなんですかね。

いろいろな人と話します。でも私、どこかでやっぱりカタイと思われているような、そんな空気を感じてしまいます。昨日ほどそのことを思い知った日はありませんでした。いつも私は、カタイのかなぁ。

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