2011年5月24日火曜日

それがなかったら幾人が去るか

いろいろな人と話をしている中で、私は相手にとってひどく価値がない人間のように思えてくることが多くあります。そしておそらく、その相手のうちの幾人かは…実際はもっと多いのかもしれませんが…私が唯一役に立っているだろうパソコン関連の質問がなくなれば、私の眼前に立つことはなくなるのだろうと思います。

様々な人にパソコンの質問を受けます。それは決して嫌なことではなく、寧ろ歓迎しているのですが、その中で最もよく思うのは「仮に私が何かの事故にあってパソコンの知識を失ったら、私はこの人と話すことはあるのだろうか」ということです。仕事上の付き合いとしてではなく、私的なレベルで質問を受けているのに、私からパソコンの知識がなくなればそこで私はもう用済みになるのか、と。

周囲にはいろんな考えの人がいるでしょうが、その中での私の見られ方は「パソコンについて詳しい人」というのは間違いないようです。逆に、そこ以外には価値を見出されず、又実際それ程の価値も当人にはなく、雑談を交わすでもないと見られているのかもしれません。

あくまでも事務的に、パソコンができるから達哉んが必要なんだ、というスタンスの人が周囲に多いように感じます。しかし、私のパソコンの能力など、たかが知れたものです。パソコンの能力が必要なら、別に書籍を読んだり調べたりすればいい。自分の仕事でもなんでもないのに、事務的に処理しなければならないパソコンの仕事が増えるのはまっぴらゴメンです。「システム管理者の眠れない夜」にも書いていましたが「よほど世話になった人ならともかく、そうでない人に私的にパソコンに教えるいわれはない」、私も同じく思います。

私のことをパソコンだけの人間と思って接する人がいて、それなら私からパソコンが抜けたら何人が去るのか。私的に聞きに来るのなら、せめてパソコン以外にも価値を見出して欲しいと、よく思います。逆に、団体上たまたま一緒になっただけというのなら、私的に聞きに来られるいわれはないのだから、もう何も教えまい、とさえ思います。

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