2010年11月6日土曜日

ペン先の調整の意義

いつものごとくpen and messageのページを見て、金曜日なのでペン語りを読む。昨日のことで、本当にいつものことですが、今回の内容は随分と興味深いものでした。普段は万年筆あるいはそれに関する「特論」なのですが、今回は「概論」といった感じだったからです。

ペン先調整は使い込んでいく上での下地である、というのは調整を行う上で本来忘れてはいけない根本的な考えであると思いますが、実際に考えられていることは少ないように思います。まず調整ありき、何でも調整、そんな感が蔓延していて、自分自身も結構調整に頼っているからです。
とはいえ、調整なしでペンが使えないということはなく、自分のペンの調整などここ数ヶ月行っていませんが…。

調整は下地であり、そのペンに秘められた力を最大限出すための方法である、というその意見は、もしかすると現在の調整中心の万年筆マニアに一石を投じる意見ではないかと感じる次第です。

調整はすればいいものではないと思います。私はまだまだ未熟ですが、まず調整ありきではない、というのを、吉宗氏当人から何度か伺っているにもかかわらず、それでもまだ調整に走ってしまいます。調整はあくまでもオプションであると布教論にも書きましたが、まずそれを自分で実践しなければならないと強く感じました。

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