第1志望を受験したその日から3年。大体「成績優秀」と言われる類の集団に所属し続けてきていて、その中で出来の良い試験も悪い試験も経験してきましたが、ペーパーテストを最後とする教育体制はどうかと、中途半端な出来の試験を見ると思います。
合否から言えば合格ですがぎりぎり、そういうテストについて思うことが「テストが最後の教育でいいのか?」ということです。
ギリギリ合格で終わらせたテストというのがあとになって響いてきます。その時はそれでよくて、喉元過ぎれば熱さ忘れる、という一夜漬けのテストも似たような状況です。友人で、現在数値計算のレポートに苦しんでいる人がいます。彼は「線形代数が学年最低点やったから」「プログラミングなんておぼえてないから」と言っています。「だから数値計算が苦手なのですか?」と聞いた時の返事は、きっと「違う」だと思います。その時のテストで通ったから、忘れて放っておいてしまったのが今の「苦手」だと思います。私は英語が苦手です。しかしながら、先生に色々教えてもらいながら学んだため、最低限に読めるぐらいにはなりました。得意とは言えずとも、英語を使って何かをする場合に困るほどではなくなった、といえます。友人は、確かに線形代数もプログラミングも通ったのかもしれませんが、まだよく身についていないところで放り出してしまった。それが今の「数値計算の苦手」に結びついているのだと思います。
テストは実力を測定する一つの手段として優れています。しかし、そのテストを最終目標に据えるのはいかがなものかと思います。それで一定の得点が得られていれば合格。体制としては楽ですが、ギリギリの人はその理解を深めるということをせねばならない、と思います。本来は個人でそれを行うべきなのでしょうが、個人で行おうと言う気にはなかなかなれない、というのが現状です。それ故、大学の単位など特にそうですが、「テストが最後の教育」になっているように思います。私は、それ自体をあまり歓迎していません。と言っても、テストをなくせと言っているのではありません。
テストに合格していても、それが怪しい、ギリギリの得点の場合、口頭試問やレポートの提出等を課すようにしてはどうか、ということです。理解が深まる、あるいは確認できると思うのです。学生としてはしんどいのかもしれませんが、テストを最後の一枚の判断基準とするのであれば、その基準の段階制をより強くすれば、と思うのです。
通ればいいという考え方は、資格試験や入学試験で十分です。それ以外の、学問の試験では、たとえ合格だったとしても、ギリギリだったら追加レポートを課すなどしていいのではないでしょうか。それは私のような学生にはしんどいことかもしれませんが、後々良かったと思えるはずだからです。入試が終わり合格したから数列の総和公式を忘れてしまって導けない、というのではなく、数列の総和公式は忘れたけれども理論的に考えて導ける、という方が良い気がするのです。
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