2016年1月5日火曜日

正月の教え

毎年正月には
学びたくもないのに
多くを教えてくれることがある
概ねそれは負のもので
だから私は正月を好きとは言いづらい

年がら年中
その烙印は押されているのだろうけれど
特に正月には
その烙印を強く感じる
年が改まり
新たに押されているのだろうか

正月は吹雪だ
どれほど綺麗な初日の出で
どれほど一日中快晴であっても
正月は吹雪だ

正月は吹雪を教えてくれる
私は学ぶ気がないし
これまで抵抗もしてきたけれど
今年はもう抵抗する気もなくなった
そんな教えをもたらす正月なのだから
本当の吹雪の中で寝る温かさや楽しみを
与えてくれてもいいんじゃないのかな



2015年12月15日火曜日

便箋で送る年賀状

年賀状を書き終え、毎年のように、今日、投函しました。
昨年よりも40通ほど減らして103通を、手書きしました。

40通ほど減らしたのは、返事がなかった人です。返事がないということは、返事を送る価値すらないと思われている証明ですから、そんな人に送ったところで迷惑になるだけ、と出すのを止めました。
不思議なことに、ここ1年会ったことのある人が多いのは、嫌々ながら付き合ってくれたということなのでしょうかね。

2015年10月11日日曜日

来た道

来た道を振り返れば
一度交わった道は遠くになり
声も返らぬほどになった

来た道を振り返れば
今でも声の届くつもりでいた殆どの道が
もう見えないところだった

風景の変わり目は
過ぎ去りし時間を感じさせる
心の風景もまた
もう会えぬ道を感じさせる

この時代に
声の返らない程遠いなら
それはもう交わる気がない道
一度交わった直線同士が
二度交わらないように

認めたくなくて
しがみついていたけど
もう一度交わると
信じていようとしたけれど

離れる道ばかり

涙は止まらないかもしれない
心は通夜か葬式かもしれない
それでも もう辛すぎるから

鬼籍に名を連ねよう
もう会えない事実を受け入れて
鬼籍に名を連ねよう
嫌われた事実を受け入れて

一人なんだから
好いてくれる人なんて ほんの僅かだから

2015年9月3日木曜日

嫌われて嫌われて得たもの

先日、可愛がっていた後輩から、もう付き合うのはたくさんだという旨の連絡がきました。私がどうこう言うこともできませんから、わかったと答える他ありませんでした。

2015年7月11日土曜日

超勤分で人を雇ったほうが安いんじゃないの?

労働関連のお話を読んでいて思うことなのですが、超勤分でもう一人人員を増やしたほうが安いんじゃないのかな?と思うことがあります。

2015年6月23日火曜日

Linux Mint17においてSynpaseがSegmentation Faultを起こす問題の対処

漸く解決しました。

Linux Mint 17に変えてから、お気に入りのSynapseはSegmentation Faultを吐くようになったため、kupferを使っていました。が、何回目かの調査で漸く動かす方法を発見し、動かせるように…。

ximが悪さをしているようなので、その設定ファイルを削除し
rm ~/.xinputrc
im-configを起動して、ibusに自動設定します。
im-config
(GUI操作)
後は、ログアウト→ログインとしてやれば良いようです。

Manjaro LinuxのMate版でも同じ問題がでているので、こっちについても試してみる予定。追って、追記して報告します。

追記:日本語の設定に従って、fcitxに設定するだけで問題なく動きました。
インプットメソッドをきちんと指定していない時に勝手に読み込もうとするというバグかな?

2015年6月19日金曜日

水準を変えて跳ね返る

インターネットの様々な記事を見ていて、"DQN"なるものがどうのこうのという記事が昔からよく目につきます。とりわけ、SNSなどで「いいね!」等を押すことで(気になるような書き方をした記事の)続き・結末を読ませるという、別目的がありそうなサイトでは、こういった記事が多数散見されます。「大事」とか「面白い」とか「義憤」で広めるのは個々人の勝手ですが、そこに思うことがあります。

水準を変えると、自分に跳ね返ってくるのではないのか、と。