2016年2月16日火曜日

私が万年筆の世界をやめた理由

2015年の5月以来、私は万年筆関連の催しに行くのをやめました。その、正直な気持ちを、書いておきたいと思います。

私は、万年筆が今でも好きです。同好の士と話ができればいいな、と思うこともあります。けれども、同好の士の集まりに行ったところで、私は一人ぼっちになるだけです。誰かに話しかけても、盛り上がることもなく終わるだけ。誰かから話しかけられることもない。ここ2〜3年の大抵の会では、ほとんど窓際に一人でぽつんといたように思います。
初めて参加した人には優しいような会であっても、一人でぽつんといる私を入れてもらえるような会はありませんでしたし、そもそも私が最初に入った時は、そんな雰囲気でもなかったようにも感じていました。

そんな会では、自己紹介をして、相手に名前さえ告げてもらえず去られたことも、一度や二度ではありませんでした。
実際に会って話すのは難しいから、せめてお手紙でもと送った手紙は、たとえSNS等で繋がっていようと一切何の返事もないままで、話すことすら拒まれる有り様でした。
SNSで話しかけたところで、返事をしてくれる人さえ稀でした。

2015年の後半、何度か面白そうなイベントを見かけました。比較的近くで、自分も参加できそうな場所でのイベントも多くありました。それでも、私は一人ぼっちで寂しい思いをするのではないかと思うと、一人で行く気にはなりませんでした。
だから、「誰かが誘ってくれれば行こう」と思っていました。
勿論、そんな誘いが来ることはなく、私は、万年筆の世界で本当に一人ぼっちで、誰からも好かれていなかったのだな、と思い知りました。

万年筆のことが好きで、色々な活動もしてきた。
裾野を広げようと、自分のできる試行錯誤をしてきた。
そうして、少し変わった世界は、なるほど自分の思想が、少し反映されたような気がする世界だった。
でも、私は、その世界には入れてもらえなかった。
私が目標としてきた世界は、私を受け入れてはくれない世界だった。

そんな状況でしたから、私は万年筆の世界に行くたびに孤独を感じていました。
居場所がない、誰にも必要とされない、白い目ばかりを向けられる…そんな感じにしか思えませんでした。
独りぼっちの中で、万年筆への思いは、冷めていくばかりでした。

私は、これ以上孤独を味わいたくなかったし、万年筆を嫌いにもなりたくなかった。だから、万年筆の世界から退くことにしたのです。

少しは、肩を触れ合った人もいるから…私は、ここにこうして、理由を示しておきたいと思います。

こういう寒さを感じて、万年筆の世界を去る人が減るよう、春が訪れることを祈っています。

2 件のコメント:

unknown さんのコメント...

こんにちは。
若輩者の言葉ではありますが、お伝えしたいことがありましたので、コメントさせて頂きます。
もう随分前になりますが、私が初めて万年筆の催しに行った際に、達哉んさんにお声がけ頂いたことがあります。
もし、お声がけ頂けなかったらと思うと、おそらく、私は万年筆の催しとは縁のない生活を送っていたことだと思います。
万年筆……文房具が好きで好きで仕方がなくて、そのような催しがあることを知り、同好の士というものを求めて参加しましたが、それは私の想像とは少し違っていて、参加中に感じていたのは疎外感だけでした。
最初はそのようなものだと思いますが、私は小心者に出来ていて、自分よりもはるかに年上で様々なことを知っているだろう先輩方に万年筆の話など出来るのだろうか、鼻で笑われてしまうのではないだろうかと不安で声すら掛けることが出来ず、会場をうろうろとしていました。
「やけに場違いなところに来てしまったのではないか」、「自分は此処にいてもいい人間なのだろうか」という考えがしばらく、頭の中を廻っていました。
何事も最初は勇気がいると思いますし、万年筆などのある意味、閉鎖的にも思える世界の催しに自分はそぐうのだろうかなど、私のような人間は余計に考えてしまうわけです(最近ですと、そのようなコミュニティに躊躇なく飛びこんでいけるフレキシブルで聡明な若い方も増えてきているようで、私自身、尊敬する一方でどこか引け目を感じている部分もあります)。
そんな中で、居たたまれなくなり、帰ろうとしていた私にお声がけ下さった達哉んさんは、さながら、慈愛に満ちたマザーテレサのように見えていたわけです。
そのことがなければ、様々な方にお会いすることも、他では得がたい経験をすることもなかったでしょうから。
物ぐさな私にきっかけをつくって下さった達哉んさんには心から感謝しています。
私のどうしようもない話ではありますが、それでも達哉んさんのお心遣いで救われた人間がいることをお心の片隅にでも留めておいて下さいますと幸いです。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>unknownさま
コメントありがとうございます。

私は、マザーテレサと比べるべくもない、ちっぽけで卑屈な人間ですが…。
ただ、割と話しかけることができるタイプではあるので、行った時には、ちょっとぽつんとしていそうに見える人に声をかけるようにしていたつもりです。どれだけできていたかは知りませんが、他の人の私に対する態度を見る限り、あんまり良いことではなかったのでしょう。

>> フレキシブルで聡明な若い方
厳しい意見ですが、そのフレキシブルさと聡明さは決して他人へと向かないのが残念なところです。そういうことが出来るなら、孤立している人を見つけて声をかけて話の環に入れるとか、心の込めた手紙を出したら(同じ手紙でなくとも)なにか返すとか出来るはずです。そういうのをできない人は、ただ能力を持っているだけで、私は尊敬するより寧ろ自己中心的な人だと軽蔑してしまいます。

趣味もあり、私はプログラミング関連のコミュニティによく行きます。面白いことに、同世代の間で比較した時、手紙に対して(どんな媒体であれ)反応を返してくれる人は、万年筆の世界のほうが圧倒的に少ない、ということです。
「立派な道具を持っていてもありがとうを伝えられない人より、道具は簡易なものでもありがとうを伝えられる人のほうがずっといい」最近強く思うことであり、万年筆の世界の、特に若い世代に噛み締めて欲しい言葉です。