今年は、もう嫌われた人に固執しないということで、人間関係をどんどん整理している。目を背けていたが、ほとんどの人に好かれず、敵のほうが多い人生を送っているという事実は、やはり否定できないものだった。
性善説なんてどこか遠い国の話で、自分の周囲は決してそんなことはないとわかっていた。
良い人の話は物語にこそ存在するけど、それは非現実的な話で、現実には裏切られるばかりとわかっていた。
それでも、私は自分が嫌われているのを認めたくなかった。
それでも、私は友達がいると信じたかった。
それでも、私は仲良くしたい気持ちを叫ばずにはいられなかった。
そんな、弱い自分がいることはわかっていたけれど、整理して、それがはっきり見えてきている。
人間関係を整理して、私を本当に好いてくれている人が、ほんのひと握りなのがよりクリアになってきたから、せめてそれだけは大切にしたい。
それでも、まだ嫌われるようであれば、私は価値のない人間として、潔く死にたいと思う。
誰にも好かれないようならば、自分が、潔く命を絶てるだけの強さを得たい。
いや、好いている人がいたとしてもいい。願いごとが叶うならば、私のことを好いてくれている人にだけ、私は遠くに旅立ったと、そう伝えて、誰の手も届かぬところに行きたい。
「生まれてこなければよかった人間なんていない」とか、「誰にも愛されぬ人間なんていない」とか、キレイ事はいくつもあるかも知れない。でもそれは、人間だけの話であって、人間以下の芥であれば、その話は通用しないのだと、私は最近そう思っている。
人間関係を整理して、改めて自分の価値のなさに気がついた。
整理をはじめて、良かった。今年の年末までには、死ぬ強さを得られるように祈る。
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